まずは、民主党・無所属クラブ横光議員の発言をどうぞ。
平成19年10月12日午前の衆議院予算委質疑より
(前略)
それがですね、9月29日に開催されました教科書検定意見撤回を求める県民大会に、なんと11万人の沖縄県民が参集をして、そして検定結果の、集団自決のですね、事実を正して欲しい、事実をゆがめないで欲しいと怒りの声を上げ、この検定結果への撤回を決議したわけであります。まあ政府はここに来てようやく検討を始めたとありますが、これは1歩前進ではあると思います。そこで総理にお尋ねを申し上げます。 この沖縄での11万人以上の怒りの声があったから政府の対応が変わったという理解でよろしいんですね。沖縄県の方々に聞こえるようにはっきりお答え下さい。
(中略)
私はですね、やはりこの11万人の怒りというものは凄まじいと思うのですね。これは当然の結果だと行動だと私は思っております、沖縄の県民のあの行動は。仲井真知事もですね、想像を絶する人数だと仰ってるんです。もしあの想像を絶する11万人の怒りの声がなかったら、恐らく私はですね、文科省は動いてないだろう、検定どおり新しい教科書が使われていただろうと、
つまり歪められた教科書が使われていただろうということです。だから、私は恐ろしいことだと言ってるんです。このですね、11万人の怒りの声のことの本質は、何も人数の多さではないんですよ。事実の重さだと私は思います。これまで何十年間もずっと、何の問題もなく検定を通過してきた教科書が、何故今回突然に、まさに突然にですよ、変えられようとしてるかということなんです。この根本的な問題を解決しない限りですね、私は同じことがくり返される危険性があると思います。
・・・・・・引用ここまで・・・・・・
横光議員は何度となく11万人という人数を仰ってます。ところが、人数の多さではないそうで…数の疑惑を指摘された場合の予防線を張ったのか、何だかよくわかりませんが、だったら11万人という数の多さを利用した発言はすべきではないと私は思います。
それから、
>これまで何十年間もずっと、何の問題もなく検定を通過してきた教科書が
こちらもおかしなご意見ですね。今まで通過していたから今後も通過して良いのでしょうか?それであれば、教科書の検定なんて必要ないものとなってしまいます。聖徳太子がいなかった説や慶安のお触書も存在しないという説も出てきている時代です。適当でない表現や新事実の確認が成されれば、訂正して当然です。
次にこちらをどうぞ。
横光議員の質疑の続きです。
平成19年10月12日午前の衆議院予算委質疑より
(前略)
私は教科書の主人公は子供だと思います。文部科学省でもない、審議会でもない、教科書の出版社でもない、子供が主人公だと思うんです。しかしその主人公である子供たちは、意見を言えません。与えられた教科書を信じて学んでるんです。ですから作る側の、大人の教科書を作る側の責任がそれだけ重いんですよ。もしですね、捻じ曲げられた教科書を使用することになれば被害を受けるのは子供たちなんですよ。私たちじゃない、大人の責任で子供たちが被害を受けるんですよ。ですから大事なことだと言っとるんです。たとえ辛い事実であってもですね、やはりそれを正しく教え、そして伝えていくことがですね、私は戦争の悲惨さや平和の尊さを、未来ある子供たちが学ぶことが出来ると思うんですよ。
・・・・・・引用ここまで・・・・・・
その通りですね。まさにその通りだと思います。だからこそ自虐史観に歪められた教育に批判の声が出ているわけです。色々な意見があり議論中のものは、きちんと注釈をつけ、載せるべきだと思います。
最後に横光議員は、9月29日に意見発表した高校生の意見を読み上げました。
『嘘を真実といわないで欲しい。あの醜い戦争を美化しないで欲しい。例え醜くても、真実を知りたい、学びたい、そして伝えたい。』
確かにその通りでしょう。立場は違えども、それは私も同じであり、どこぞの国じゃあるまいし、嘘を子供たちに教えたいとは思いません。単純に、戦争美化とかではなく、先人の頑張り等も伝え、それに感謝する子供たちの気持ちや日本への誇り等も養って欲しいとも思ってるだけのことです。私は、この高校生を否定する気はありませんが、一方的な洗脳教育でそういった高校生を作り上げ、それを利用して情感に訴えるようなやり方や、数を誇張して表現するような姑息なやり方に納得できません。部分的には横光議員の言いたいことはわからないではないのですが、逆の立場で自虐史観などに怒りを感じている人間も多いこともわかって頂きたいものです。
私見でした。
『姑息な手を使うな!』
と思われる方、意思表示のワンクリックお願いします。