体罰に対して過剰反応する方がいらっしゃいますが、
それは体罰と虐待を同じ扱いをしてるからのような気がします。
もちろん、体罰と虐待を全面的にを肯定しているわけではありません。
特に虐待は、絶対に許す事が出来ないと思います。
また、体罰にしても、骨折させたり、過剰ものは認めることは出来ません。
しかし、時と場合により、
『体罰(鉄拳制裁)』は必要な時があるのではないでしょうか?
私の場合、『体罰』を鉄拳制裁と認識しています。
私のことを少し書くと、
私自身、あまり真面目な学生ではなかったので、
小・中・高と幾度と無く、学校の先生や親から、
指導の為の体罰(鉄拳制裁)を受けてきました。
そして、色々と教えられてきました。
少なくとも私自身の場合、
そこに信頼関係が成り立っていたので、納得できました。
ただ、1人の先生だけには、いじめ的な制裁?を受けた事もあり、
その先生に対しては、今でも、納得できない所もありますが・・・
結局の所、
そこに『信頼関係』があるかどうかがポイントではないでしょうか?
今回、体罰のことについて書かせて頂いていますが、
体罰についての是非を問う為に書いているのではありません。
言いたいことは、
体罰(鉄拳制裁)も、教育・指導の中の一つの手段であると言う事です。
親や教師(私自身含め)が精神的に成長し、
子供を教育・躾しなければなりません。
時には、厳しい指導も必要です。
親にとって、自分の子供が可愛いのは分かります。
しかし、同時に親には、自分の子供を立派な大人へと導く責任があります。
ただ可愛がるがけでよい“孫”的な感覚では、
到底子育てなど出来るはずもありません。
その点を、一部の意味の分からない親に、認識してもらいたいです。
ワンクリックを宜しくお願いします。