●子どもは欲しかったが、修行はしたくなかった!
こんにちは、東ちひろです。
子どもは、親の心の器を広げるためだけに産まれていたと言えます。
そのため、子どもは手を変え品を変え、親の手を取ることをやってくれます。
悩ましいことは、、、
「私が子どもの時には、そんなことをしなかった!」
「もう、ムリ!子どもがあり得ないことをやってくれる」
そんなことがよくあります。
よく「子どもを受け入れましょう」とは言いますよね。
まあ、お母さんにとって「都合がいい子」は認めることができるんですわ。
でもね、子育ては
お母さんにとって「都合が悪い子」をどこまで認めることができますか!!と突きつけられるわけです。
「素直で優しい子は認められる」
でも
「下の子や親に暴言を吐く子を認められますか?」
「まじめで勉強熱心な子どもは認められます」
でも
「登校を渋ったり、遅刻ばかりを繰り返す子どもを認められますか?」
ということです。
あああ、子育てはひょとしたら修行なのかもしれません。
お母さんは修行僧だったのか!?
私のことを言うと、子どもは欲しいと思いました。
でも、修行をしたいとは思いませんでした、、、、トホホ。
だから、私の子育ても山アリ、山アリ、谷アリ、大谷アリでございました(汗)
さて、こちらの動画はご覧いただいたでしょうか?
【1】反抗期は子育ての結果が出る時
【2】反抗期を上手に乗り越える方法
【3】子育ては「わかる」と「できる」が違う!
今でこそ、私は子育てを教える先生ですが、じつはわが子育てでは悩みに悩んだひとりです。
その分、お母さんの心の痛みがわかると思っています。
お母さんはつらいよ。
子育て心理学協会 代表理事
東ちひろ