みなさま、おはようございます。
教育アドバイザー小百合です。
昨日は、初投稿にも関わらず、ペタをありがとうございました。
さて、今日は人間関係について少し触れます。
「無敵の人」
この言葉、みなさん知っておられると思います。
・地位もない
・金もない
・愛する(守るべき)人もない
失うものがないので「無敵」だそうです。
だそうです、というのも被告本人が作った言葉らしいのですが。
以下、被告人を彼と称します。
彼は、最初の裁判で、自分が「無敵」であること。だから「生きていく価値もない。死刑にすればいい」と言ったようです。
そんな彼には、彼を「自称、無敵の人」と位置付ける、悲しい過去があったようです。
私が注目したのは、親の愛情です。
どんな親でもわが子はかわいいものだと私は信じております。
しかし、養育していく過程は様々で、中には子供の側からすると「愛情不足」ということになりかねません。
今回も、残念ながら、親からの「愛情」を感じることができなかった彼でした。もっと不幸なことは、彼の周囲に彼への「愛情」を上手に伝える人がいなかったようです。
はっきり書いてしまえば、彼が「愛情」を受けるセンサーをなくしてしまっていたようです。
小学校でいじめられたことも加わり、次第に「自分の価値」の喪失につながったのでしょう。
「自分が生きている意味、価値」を失うと人間は絶望にちかづいていきます。
私は彼を肯定しているわけではなく、「無敵の人」になるまでに、もっというと「愛情不足」になる前に彼の前に、救える人が現れていたなら、、、
と思います。
彼は、拘留後、警察の人などと話していくうえで、自分は「無敵」ではなかったと気付き、先日行われた裁判の冒頭陳述では「自分の再スタート」と位置付け、少年少女には「エール」をおくったようです。
親からの愛情を受けることができなかった子どもたちを今まで、何人も見てきました。
15才の子供は、もう2歳、3才の子供にもどることができません。
年齢に応じた愛情を是非、みなさんの周囲にいる、子供たちに注いでください。
また、周囲の人とつながってください。
自分で自分が支えきれなくなたとき、支えてもらいましょう。
自分で自分を支えきれない人がいたら、支えましょう。
長くなりましたが、最後まで読んでいただいてありがとうございました。