火の鳥 と ナウシカ | 玉砕か、貫徹か…

火の鳥 と ナウシカ

年末年始、

実家で 手塚治虫の「火の鳥」を読んでいました。

$玉砕か、貫徹か…


この作品の最大の魅力は、



「人間の心の光と闇を、ストレートに表現している点」



だと、私は思います。


輪廻転生と不老不死、

この2つが主軸となりながら、

宗教や男女関係の、


「虚しさ」(私はそうとらえました)


を、ストレートに表現している。


特に、男女の関係に執着のある私にとっては、


火の鳥は、非常に心を掻き毟るような作品です。




$玉砕か、貫徹か…

$玉砕か、貫徹か…

たとえば、

乱世編のこの2シーン。


弁太とおぶうは、幼馴染で結婚する仲だったのに、

おぶうが都に連れ去られて、

清盛の側室になって、このありさま。


「人の心は、変わる」


この虚しさ。

そして、弁太も、

最後は


ヒノエと、


せめてヒノエと幸せになることを願い、生きようとする。


それでも、二人とも死ぬ。




あ~~~



虚しい…。



でも、人は、生きる。人は、忘れる。


それが、


「人」


それを肯定して、それでも「生きなさい」と


言っているような気がする。



私の大好きな、


$玉砕か、貫徹か…

アニメージュ版ナウシカと同じ。




こういう表現をしている作品を、


著名な作品であるという信頼をもって、

今の世に送り出せないかと思っています。

それは、「アニメ」として、

ひろく世界に送り出したいということです。


私は、

らき☆すたやハルヒ、けいおん!ももちろん好きです。

ですが、


生と死、人間という生き物を

真正面から捉え、


汚い部分も含めて肯定するというような作品も


人が自分の生について考えるきっかけにするために


とても大事な、必要なものだと思うのです。