(最終更新日:2023/08/31)

強迫性障害で毒殺恐怖がある人へ【経験者が語ります】

 

前々からYoutubeなどで言っていますが、
私の強迫性障害がもっとも酷かった時期は中学2年~高校1年くらいで、
最悪の時期には、毒殺を疑い、親が作った食事を食べることができなくなりました。
 

 

▶当ブログ記事の音声解説

 

 

 

 

強迫性障害で毒殺を疑い、食事を取れなくなった時の経験談

 

親が作った朝食、夕食を食べることができないわけです。
(猜疑心があまりにも強くなり、親による自分の毒殺を疑っていました)

 


冗談で言っているわけではなく、
当時存在した本当のエピソードです。


親から虐待を受けていたのかといえば、まあ、受けていたと客観的に言うことはできるでしょう。

 

 

私の家系は元々エリート色が強く、自己愛型の父親に依存型の母親の組み合わせであり、

しかも、兄弟もないため、機能不全家族的な病的な家庭だったわけです。

 

食事を取れなくなった裏側に合ったモノ

 

後年、強迫性障害を私が親にカミングアウトした際、言われたことは
「気づかなかった」という一文句です。

 

子供のことを全く何も見ていない親のもとで育ったことは、
この強迫性障害の毒殺恐怖の惹起に無関係とは言い難いでしょう。

 

 

例えば、
私の母親は私が学校への提出物をすぐになくすため、私の部屋のゴミ箱の中身を
確認していました。



普通、こんなことしないでしょう。

 

 

✅ただし、親に対して、うらみなどは既に何もありません。

 

強迫性障害に限らず、一切の心の問題を乗り越えた人間は親に限らず、すべてを受け入れます。(余裕で可能になります)

 

「お前は人間になれてない」と言われた過去の私
 

余談ですが、
当時、強迫性障害の毒殺恐怖があるような人間がまともなわけがなく、
私が同級生に言われたことは「お前は人間になれてない」
です。





何故かと言うと、吃音(どもり)まで発症していましたので"喋ること"すらままなりませんでした。





 

さらに加えて、
「お前は将来、結婚できなそう」と言われました。
(それを言った本人は交通事故で〇〇しました)
人に行ったことがそのまま自分に帰って来て、その人は自分が結婚できないで終わったわけです。
人をむやみやたらに傷つけるはつげんはするべきではありません。

 

結論



話が逸れましたが、
このような流れより、

私が本当に重度の強迫性障害であったという話は嘘でないことがわかるでしょう。

ポジショントークでも何でもなく、事実以外の何物でもありません。
公開可能な物的証拠すら残っています。

 


 


 

 

 

 

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