持続の信心
「日々挑戦」「日々発心」


御書
法華経の信心を・とをし給へ・火をきるに・やすみぬれば火をえず


通解

法華経の信心を貫き通しなさい。

火を起こすのに、途中で休んでしまえば火は得られない。


日蓮大聖人一門への厳しい弾圧が続くなか、門下の中心的存在として、矢面に立って戦う四条金吾は、佐渡の大聖人のもとを訪れた。大聖人は、法華経の行者として折伏の闘争を繰り広げる四条金吾を心から称賛されている。


当時、人々は「火鑽(ひさ)り」といわれる方法で火を起こしていた。

これは、よく乾燥したスギなどを台木とし、木の棒を当てて激しくもみ合わせて火を起こすのである。


御文の「火をきる」との表現は、ここから来ています。

この作業は、発火するまで手を休める事は出来ない。

途中でやめてしまえば、最初からやり直しなのです。


何事も途中で手を抜いたり、「自分は、もうこれ以上できない」と、諦めてしまったら、目標を達成する事は出来ない。


信心も仕事も同く。いかなる苦難にも退かず、粘り強く行学の二道に励んでこそ、一生成仏と絶対的幸福という私達の究極の目標を達成出来る。


「持続」こそ、勝利の要点である。


四条金吾に宛てられた別の御手紙には、「始めも、途中も、最後も、一貫して妙法を捨てず、大難にも信仰を貫く人は、如来の使いである」と仰せです。


大聖人は、生涯にわたって信心を貫き通す事の重要性を、繰り返し教えられているのです。


持続と言うのは、ただ、昨日と同じ事をしていれば良いのでは無く。

「日々挑戦」「日々発心」だと仰せです。


信心とは、間断なき魔との闘争であり、仏とは戦い続ける人の事を言うのです、と。


その戦いの中にこそ、自身の生命の輝きがあり、黄金の人生が有る事を知るのです、と。


競い起こる魔との連続闘争。

「日々挑戦」「日々発心」の持続の信心が、自身の境涯を無限に開き行くのだと仰せです。



持続の信心

「日々挑戦」「日々発心」