教員には、子どもや保護者にあまり見せていない一面があります。

いくつかあるのですが、今回紹介したいのは研究者としての一面です。

「研究授業」というイベントを見聞きしたことがあるでしょうか。

これまでの流れですと、主に授業技術について検討し合うための材料を提供するための授業です。

授業参観ではないのに学校の内外から教員がたくさん参観に来ていたらそれが研究授業です。

 

研究とは、これまでに行われていないことについて一歩踏み込むことです。

類似研究の検証をすることはありますが、何かしらの仮説を加えるので全く同じことはしません。

(形だけの研究授業だと、もう検証が終わっているのに同じ内容の実践をやる場合があります。その時の理屈は、「子どもが違うのだから、別の先行研究と違う特性が強く出ている子どもの集団に同じ手法がどれくらい有効か」ということを挙げられることが多いです。)

研究授業に励む(励まなければいけない)根拠は、教育基本法第九条の「法律に定める学校の教員は、自己の崇高な使命を深く自覚し、絶えず研究と修養に励み、その職責の遂行に努めなければならない。」という条文です。

法的根拠を出しましたが、私はそうでなくても研究授業をやる意味というのを今回の記事で簡単に述べます。

 

研究をするということは、従来の視点とは違う新しい視点で物事を考えていく必要があります。

ですので、研究として授業を組み立てると、そのどこかに新しい視点で考えられた部分が生まれるのです。

教員集団は比較的保守的なので、新しい視点をもつように圧力がかかるのは、生き方・考え方のバランスを保つためには良い効果があると考えます。

教員は未来を創る子どもと関わるわけですから、偏屈な人間にならないためにも、新しい視点をもつことに慣れていくのが良いのです。