いつもいつも、無償の愛で包んでくれる息子達。
いつの間にそんなことをしてくれるようになったんだろう。
どんな時も全力で支えてくれる。
困った時にもそっと手を差しのべてくれる。
この人達のお母さんになれて本当に良かった。
それだけでどれだけ心が温かくなるか…
人を愛せない、
人を思いやれない、
やっているつもりになっているが、結局は自分のことしか考えていない。
こんなアダルトチルドレンが私の周りには沢山いる。
苦しんでいる人、
苦しんでいることに気づかない人、
親のせいにしてフタをしている人、
状況は様々。
共通して言えることは、自分の頑張りを見て欲しい、認めて欲しいが強烈に強い。
それを現在の状況の中で求めているけれど、
本当に認めて欲しいのはその人達の母親に!なのです。
それを目の前の人に求め、強要するからこまったものなのです。
その人自身は用事をやり直しているので、
例えば、
・気に入らないと怒りを爆発させる。
・承認欲求が極端に強い。
・人を思いやれない。
・子どもを思いやれない。(自分も子どもを生きているので、親には慣れずむしろライバルや対等な立場に立ってしまう。)
無自覚でこれをやってしまう、もしくはわかっていてもこれを突き進めてしまうので、周りはそうとうしんどい。
まずは、本人がその自分を認めるところこら始まる。
ここはなかなか難しいところで、
子どもである心はそんなこと簡単には認めない。
感情だけが先行して歩いている、と言っても過言ではない。
全ては幼少の頃の誤認から始まっている。
極端な例でいうと、
幼少の頃、母親から愛された記憶がない。
↓
子どもが愛されている姿を見て苛立つ。
↓
恨む。
↓
自分は孤独だと殻に閉じこもる。
↓
親であること、または子どもの姿から目をそらす。
↓
いつも苛々している。
情緒不安定。
全て誰かのせい。
怒りの世界に生きている。
子どもを愛せない。
自分を愛せない。
伴侶を愛せない。
こんなスパイラルに長い間はいって、何のために生きているのかと、自分を見失う。
こんな構図が出来てくる。
これらのことを、大人になって治していく、もしくは誤認を解くのはなかなか容易ではない。
だから、いいたい。
幼少の頃の過ごし方がどれだけ大切か。
親のエゴで、もしくはこのスパイラルにハマった親が育てた子どもがどんなに苦しむのか。
もっともっと考えて欲しい。
幼少期の誤認はとんでもない事態を引き起こす、と言ってもいい過ぎではないと思う。
親が子どもの育ち方を邪魔することがどれだけのねじれを生んでしまうのか、よーくよーく考えて欲しい。
こんな子どもに育って欲しい。
↓
それは本当に子どものため?
もしかして自分の願望を押しつけてはいないか?
↓
押し付けられた子どもは、自分の意思を優先して、出来ないことは出来ないと親に伝えているのか?
誰のせいでも、
誰のためでもない。
自分の人生なんだから、NOはちゃんと伝えよう。
NOを伝える先は→自分の子どもでも、伴侶でもない。自分の親に!を間違えてはいけない。
それはただの八つ当たりに過ぎない。
矛先はそこではない。
それははなはだ迷惑な話しであって、むしろさっさとベクトルの向きを直して欲しいところなのです。
さあ、
いつまでも、
周りには感情を撒き散らしていないで大人になることを考えてみませんか?
家族が待ってくれているいるうちに…
勇気をもってズレを直していきましょう!