公式アカウントや、後援会の方々、著者ご本人のtweetも『宗教であるか否か?』については、いくつも言及されてますね。簡単にまとめると、


・人集めが目的なら万人を遍く救うと言う
・本を読んで納得してから来いとは言わない
・試験なんてしない


というお話。私も、これに尽きるなと思います。


ここで、反証として彼らが所謂『サタン側』であった場合を考えてみます。アンチのいう、婦女暴行的なカルトは行われているのか?


有り体に言えば『清らかな女子を集めて汚す行為が行われているのではないか?』という疑問ですね。
その観点から見ると、考えるまでもなく以下の点が違和感です。


・既に会員となっている方からの被害届がどこにもあがっていない。
・会員を集めたいわりには耳ざわりのいい言葉がない。
・女性を集めたいなら、むしろ女性ばかりフォローしてるアカウントは使わない。危機感を募らせるだけである。
・危機の期限があと一年弱である。(その後の見通しが立たなくなる=言い分がすべて嘘の場合、危機が来なり破綻)


本当にカルトなら、広告塔やマーケティングの手法に長けた人がいるはずです。この短期間で人を集めたいなら、プロに頼むのは常套と思うし。では気になるそのアプローチの結果は、出ているのか。


・公式アカウント、著者ご本人のアカウント共にフォロワー5000人未満である。


これは悪魔的な組織として見た時に、あまりに目的を果たせてなくないかな。巷にたっくさんあるエセスピの方がよっぽどフォロワー集めてるよ。


つまり『人を集めることを目的にしてるわけではない』と予想できて、それは同時に『お金を集めることを目的にしてる』ことも否定できると思います。








『宗教であること』



という事柄について、私は特に否定的な感想は抱かない。『同じものを見る』ことは、考えすぎの弱い生き物である人間にとって必要なことのように思える。

皆がそれを心配するのは、日本が無宗教だからというのは関係なくて。現在、既存のカルトといわれる新興宗教のあまりに多くが、信用ならないからではないかな。

ただ経典を繰り返し読み、お布施をし、個人の心の安寧を得る。

そこには、自発的な成長へ向かう意志が見てとれない。信者はATMとして浪費され、教祖の言葉は心の安定のために消費されるのみ。そんな風に見えます。

『良い方向へ変わろう』は、良い。それは誰もの一歩だと思う。

『じゃあ良い方向ってなんだろう?』と自ら思考を向かわせる事ができない教えって何なんだろうなぁと、既存の新興宗教を見ていて思うかなぁ。

『これをしてれば救われる』というのもそもそもが指示待ち人間を作るだけだけれど、合わせてその内容も、結局、一律に消費と依存を繰り返させるだけで、個人としての自立が見られないんだよね。

それはただの搾取ビジネスです。


その観点から見ても「秘密のたからばこ」は新興宗教では全く無いと思う。『これをしてれば救われる』が、無い。ゆえに集まってくる人も、自発的なのではないかな。







だいーぶ持論に傾いてしまいましたが、いかがだったでしょう?
この勢いで、次回は隙自語……もとい、私がこの本を信じるに至るきっかけを書きたいと思います。

どんな風に信じるに至ったかを知りたいかたはぜひに!