子どもの時(児童期)は、嫌なことがたくさんありましたが、そんなにしんどいと感じていませんでした。
しかし、高校生になる頃から、だんだんと心身がしんどくなってきました。
そして、大人になる頃には、しんどくて堪らなくなりました。
もう、死んでしまいたいぐらいのしんどさでした。
さて、どうしてあのようにしんどかったのかを考えてみます。
子どもは自分の生まれや家族を、選ぶことができません。
子どもの頃の私は、親や兄弟から言われるままに、それを信じていました。
そこでは、自分の意志など言うことが許されず、ただ言われたことに従うだけです。
ここで生まれて、そこで育ったので、これが私の全てで、疑問を感じたりすることはありませんでした。
そして、何も言わないのが、私という人格になりました。
余計なことを言うと、きつく怒られるです。
また、いつも「お前は何もよいところがない」とか「お前はバカだ」と言われていました。
私は自分のことを、そのようにバカで駄目な人間だと思い込んでいました。
小学校へ通うようになっても、先生から同じようにダメな人間として扱われました。
さて、その状態をふり返ってみると、私にも思っていることや言いたいことが、たくさんあったと考えます。
本当はもっと母親に甘えたかったのに、それができずに我慢していました。
つらいことや悲しいことがたくさんあったのに、それを言えずに自分の中に溜め込んでいました。
そんな私を見ていたまわりの人からは、「鈍感で頭が悪い奴」と思われていたのでしょう。
「我慢」「我慢」が私の人格を作っていたのでしょう。
しかし、私が大人となる頃に、その自分の無理な気持ちに気付いてしまったように思います。
それから、私の極度のしんどさが始まったように思います。
さて、現在の私は、過去のような「しんどさ」を感じなくなりました。
それは、私が一生懸命に生きていこうとしていた自分自身を、認められるようになったからです。
「しんどかった」原因は、私が自分を生きていなかったからだと思います。
だけど最近は、幼い素直で健気な子どもの頃の自分が愛おしく好きです。
さて、つらいことも、全てが自分の人生経験です。
豊かな人生とは、様々な経験のことであり、「私みたいなのもありかな」と思っています。