年齢を重ねるごとに、物忘れがひどくなったと嘆いている人が、多いかも知れません。でも、忘れることはとても大事なのです。
起きた出来事をいちいち覚えていたら、苦しくなってしまいます。
嫌なことは自然に忘れるので、毎日が過ごせるわけです。
老人になると、ますます物忘れがひどくなりますが、これも本能的な生きる知恵で、自然に悩み苦しまずに楽に死んでいけるようになっているのだと思います。
忘れることも大事なことなのです。
さて、精神障害の当事者の方と関わっていると、どうも過去の出来事が忘れられなくて、そこで苦しんでいるように感じます。
そんな当事者を見ていて、「嫌なことは忘れたら楽になるのに」と思ってしまいます。
記憶は大脳のところで覚えているのですが、精神障害の当事者の場合ちょっと違って、苦しんでいるところが感情にあるように感じます。
つまり、海馬という感情に関わる記憶をする脳の部位で覚えているようです。
海馬というのは、大脳辺縁系という脳の深い場所にあります。
簡単に言うと、生命維持活動に関わる無意識に働く場所なのです。
それで、自分が意図していないのに、突然に嫌な記憶が蘇ったりするわけです。
これは、フラッシュバックというものです。
当事者は、フラッシュバックが起こるところで苦しんでいると思われます。
よく言われるのは、視覚的な映像として嫌な場面を記憶していることです。
そんな嫌な場面の映像が、急に目の前に見えてくると、それでは気分が悪くなるでしょう。
つまり、意図していないのに嫌な感情の記憶が見えて再現され、苦しくて堪らなくなり混乱するわけです。
私も、子どもの頃に学校の教師や同級生から、ひどい目にあわされています。
いじめですが、これを主導していたのが教師なのです。つらかったですよ。
これは、とんでもない話です。
弱い無抵抗な子どもをいじめる教師は、許せませんね。
そのおかげで、私は自己否定と人間不信で苦しみ続けました。
さて、その苦しみをどのようにして解決したかというと、専門家が居る安全なグループワークという場で、何年間もの時間をかけて、苦しみを言語化していったのです。振り返ると、その作業は、「感情の記憶」を「言語での記憶」に置き換えていったように思います。
これは、「言語での記憶」に転換することにより、自分の嫌な出来事を客観的に捉えられるようになったと思っています。
嫌な出来事は決して忘れていないのですが、作業で論理的に言語化されているので、感情に振り回されなくなったのだと思います。
嫌な教師の存在は、「弱い子どもをいじめるような最低な人間だ」と、そのように捉えています。
つまり、私が悪いのでないと思えるのです。
そして、あのような人間になってはいけないと、自分に対してフィードバックしています。
そのことで、「恨み」や「つらみ」などの憎しみの感情の記憶からは、解放されるようになりました。
これも、「忘れた」という一つの現象になりますね。
みなさんも、「嫌なことは忘れてしまう」それを大事にしてくださいね。