こんばんは。今日は異常に暑かったですね。
まだ5月なのに京都は34℃だったようです
お互い油断せず熱中症等には気を付けなくてはですね・・・
さて前回は、旅客が国土の乱れを嘆く場面でした。
以降、その原因を究明すべく論を展開していくことになります。
今回は、「そういった災難に対して、世の中を見れば色々な対策をしているけれども・・・」という部分です。
引き続き、旅客の発話が続きます。
然間。或専利釼即是之文。唱西土教主之名。
然る間、或は「利釼即是」の文を専らにして西土教主の名を唱え、
(意)この間、「苦を滅する利剣は即ち是れ弥陀の名号である」という善導の『般舟讃』の文を信じ、もっぱらに西方浄土の教主である阿弥陀仏の名ばかりを唱える者がいます。
唐の善導という僧の書いた『般舟讃』という書物に、「利釼は即ち是れ弥陀の号なり」という文があります。「利釼(剣)」とは「苦を滅することで我々を利する剣」ということ、「弥陀」というのは阿弥陀仏、「号」というのは「名号」すなわちお名前のことです。すなわち、「苦を滅するには阿弥陀仏のお名前を唱えればよい」という意味になります。
この『般舟讃』の文を信じて、もっぱら「西土教主」すなわち阿弥陀仏のお名前を唱える者がいる。要は「南無阿弥陀仏」の念仏ばかりを唱え、これによって苦しみを逃れようとする者がいる、ということです。
後にも再三出てきますが、当時は念仏の教えがとても盛んでありました。平安末期に空也上人、そして鎌倉に入り法然上人が出て、浄土教を弘めたのです。
或恃衆病悉除之願。誦東方如来之経。
或は「衆病悉除」の願を恃(たの)みて東方如来の経を誦し、
(意)あるいは、「我が名を聞けばあらゆる病は悉く除かれる」という東方薬師如来の誓願を信じて、その経文を読誦する者がいます。
これは『薬師経』という経典の中に、薬師如来という仏様が十二の誓願を立てられたことが記されており、その中の七つ目の誓願に「我が名を聞かば衆病消散す」という言葉があるのです。「衆」とは「もろもろの」という意味で、「あらゆる病気が消えてなくなる」ということです。
疫病が蔓延していた時代ですから、この薬師如来の誓願を信じて、「東方如来」すなわち薬師如来の経を読誦する者がいる、ということです。
病気平癒などの現世利益を求める薬師信仰は、日本では古くから有力でありました。
或仰病即消滅不老不死之詞。崇法華真実之妙文。
或は「病即消滅、不老不死」の詞を仰ぎて法華真実の妙文を崇め、
(意)あるいは、「この経を聞けば病は消滅し、不老不死となる」という『法華経』薬王品の言葉を信じ、『法華経』を真実の妙文として崇める者がいます。
法華経の薬王菩薩本事品第二十三に、「若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」という文があります。この文を頼りにして、法華経を読誦することによって病を払うことを求めている者がいる、ということです。
ただしここでの法華経信仰は、日蓮聖人のお考えになる本当の法華経の精神に基づく信仰ではありませんでした。
法華経は聖徳太子の頃から日本において尊ばれ、平安の初めには伝教大師最澄によって非常に大きな勢力を有するようになりました。ところが、当時に至ると真言宗、禅宗、律宗、そして浄土宗などに押されて、法華経は廃れてしまっていました。
ただし、そのような状況でも、現世利益的な信仰として、何かの場合につけて法華経を読誦することは行われていました。ここではそのことを言っているのです。
或信七難即滅七福即生之句。調百座百講之儀。
或は「七難即滅、七福即生」の句を信じて、百座百講の儀を調え、
(意)あるいは、「般若経を講讃すれば、七難は消え七福が生ずる」という『仁王経』の句を信じて、百人の僧がこの経を講じる仁王会の儀式を営んでいます。
『仁王経』に、「般若波羅蜜を講読せば、七難即ち滅し、七福即ち生じ、万姓安楽にして帝王歓喜せん。」という文があります。
後にも出てきますが、『仁王経』は『法華経』『金光明経』とともに「鎮護国家の三部経」と呼ばれて、奈良時代の頃から宮中で、仁王経を講じる「仁王会」という儀式が行われていました。どのような儀式かと言えば、広いお堂の中に百ヶ所の法座を用意して、一つの法座に一人ずつ僧侶が座って、代わる代わる『仁王経』の言葉を引用して、これを講じるというものでした。
聖武天皇の頃から、この「仁王会」が年中行事として毎年行われておりました。
有因秘蜜真言之教。灑五瓶之水。
有は秘蜜真言の教に因て五瓶の水を灑ぎ、
(意)あるいは、秘密真言の教えによって五つの瓶に水を注ぐという祈禱を行う者がいます。
「秘蜜真言の教」というのは密教の真言宗のことです。
その祈祷の作法に、祭壇の上に五つの瓶を並べて、その瓶の中に五宝・五穀・五薬・五香といったものを満たして浄水をそそぎ、宝花を指して修法を行うというものがあるのです。
有全坐禅入定之儀。澄空観之月。
有は坐禅入定の儀を全うして空観の月を澄まし、
(意)あるいは、坐禅を修して、すべてを空(くう)と観じて苦を離れようとする者もいます。
これは禅宗において、坐禅をして、すべてが「空」である、つまり災難も「空」であると観ることによって、苦しみから逃れようとすることをいいます。
「空」とは、固定的な実体のないこと・実体性のないこと・うつろということです。仏教では「空」は非常に重要な教えですが、「空」のみを重んじるのは法華経の精神には沿いません。
禅宗は鎌倉時代に入り、武士を中心に支持されるようになっていました。
若書七鬼神之号。而押千門。若図五大力之形。而懸万戸。
若くは七鬼神の号を書して千門に押し、若くは五大力の形を図して万戸に懸け、
(意)もしくは、七鬼神の名を書いて門ごとに貼り付ける者や、五大力菩薩の姿を描いて家ごとに懸ける者がいます。
七鬼神(人の精気を食らう七つの鬼神)の名を書いて門に貼って厄払いをする者、あるいは反対に、仏法を護持する国王を守護するために仏様が遣わすという五大力菩薩の姿を描いて門に懸けて災難を払おうとする者がいました。
若拝天神地祇。而企四角四堺之祭祀。
若くは天神地祇を拝して、四角四堺の祭祀を企て、
(意)もしくは、天地の神々を拝して四角四堺という祭祀を行う者がいます。
「地祇」とは、土地を司る神の総称です。
「四角四堺の祭祀」とは、都の四方に式場を設けて、各々の式場で天地の神々を拝する神道の儀式です。
これは「道饗祭(ちあえのまつり)」と言って、京都において年中行事として行われていたようです。
若哀万民百姓。而行国主国宰之徳政。
若くは万民百姓を哀みて国主国宰の徳政を行う。
(意)また為政者は、民衆の苦悩を哀れんで、様々な徳政を行っています。
「徳政」というのは、単に善い政治というくらいの意味です。
鎌倉末になるといわゆる「徳政令」が出されて、武士の借金を棒引きにするということになりましたが、日蓮聖人の頃はまだそれ以前の時代ですので、それとは関係ありません。
各地の統治者が、民衆の危急に対するさまざまな救済措置を取って、これによって災難に対処しようとしたのです。
このように、世の中では主に神仏に祈るなどして、災難をおさめようとされていたのです。
ところで、『立正安国論』は漢文で書かれていますが、今日の部分などは特に一定の規則正しい句数で書かれております。
幕府に提出する正式文書として、日蓮聖人が表現に工夫なさった跡を読み取ることができるように思います。