千本通り(せんぼんどおり)は、北は鷹峰源光庵付近から九条通りまでの路である。平安京造成時の南北のメインストリートであった朱雀大路(すじゃくおおじ)にほぼ該当し、途中で七条通りから八条通りにかけては、梅小路蒸気機関車館やJR東海道本線等により中断している。その昔の朱雀大路は、天皇が政務を行なう大内理の正門であった朱雀門から、平安京の入り口とされた羅生門までの路で、幅85メートルの堂々たる大路であった。

朱雀の名は、中国の四神相応の思想と呼ばれる方角をつかさどる四つの神からの引用で、北は玄武(げんぶ)、南は朱雀、東は青竜、西は白虎で、大極殿の南の方向であることから朱雀の名が付いたようである。そして平安京の中心を成すこの朱雀大路の西側地域は右京とされ、東側地域は左京とされた。千本通り沿いにはそのためか、平安京創成時の遺跡が多くみられる。まず千本通り丸太町を北に少し上り、西に入ったところに小さな公園があるが、その一角に旧漢字で「大極殿跡地」と記された大きな石碑が立っている。現在の京都御苑に大内理が移されるまで、平安京創成から約三百年、政治の中心的建物である大極殿等が置かれた。その他にも下立売通り付近には大内理の回廊跡、丸太町通り西入るには朝堂殿跡、JR二条駅前では朱雀門跡がそれぞれ発掘され、ここが政治の中心であったことを偲ばせている。

朱雀通りから現在の千本通りに通り名が変わった時期は、おそらく大内理の移転後と思われ、命名の由来も諸説あり、千本の桜が並木を成していたとの説や、この路が葬送の地であった蓮台野につながっていたため、路の両側に千本あまりの卒塔婆が立っていたことからとの説もある。



千本通りは、織物の町西陣のメインストリートでもある。織物産業全盛期には、今出川通りから丸太町通りにかけては、現在の京都の中心部である四条河原町付近に匹敵する繁華街として賑わっていた。

この区間の道沿いには西陣京極と呼ばれた小路があり、映画館やストリップ劇場、或は大衆酒場などが軒を並べ、洗練されたイメージの四条河原町界隈とは違った、下町的な味わいのある繁華街であった。また中立売通りとの交差点を下がって西に入ったところには、水上勉氏の小説「五番町夕霧楼」で有名な遊郭街の五番町があった。物語は与謝半島の樽泊の貧農に生まれ、五番町遊郭で暮らす娼妓夕子と、夕子のもとへ通う吃音の学生との悲しい恋を描いた作品で、映画やテレビドラマでも何度となくリメークされ放映された。特に「金閣寺の炎上事件」と絡ませた物語設定は、フィクションともノンフィクションとも受け取れ、社会に大きな衝撃を与えた。

この界隈も昭和30年代に施行された売春防止法により遊郭も姿を消し、五番町も少し前までは、遊郭独特の連子窓の在る家屋がその時代の面影をとどめていたが、現在は住宅街となり、数軒の民家にそのなごりが残されているのみである。



千本通りを南下すると三条通りから極端に路幅が狭くなるが、更に南下すると七条通りを越した付近で梅小路蒸気機関車館と出会う。梅小路蒸気機関車館は、JRの前身である日本国有鉄道の梅小路機関区の転車台の在る扇型庫を活用して1972年に開設された蒸気機関車館である。施設にはC56C57、或はD51といった往年活躍した蒸気機関車が動態保存されて入る他、旧二条駅駅舎などが保存されている。SLフアンにとっては聖地ともいわれ、多くの鉄道フアンが訪れている。