もしも、添乗員の仕事が順風満帆だったら、コロナの3年間、給料の60%を保証されたとしても、
パソコンもできない私は、転職ができなかっただろう。
コロナの前だから、転職が50代でもできた。
職業訓練で、韓国人通訳案内士と知り合い、喧嘩しながらも、縁は切れなかった。
反対に、15年来の添乗員の友達とは、修学旅行の仕事のトラブルで、縁がきれた。
彼女も、もともと、京都検定を受けようと思わなかったら、私が添乗員を辞めた時点で、縁が切れていたのだ。
遅かれ、早かれ、縁が切れる人だった。
旅館で、先輩に足を蹴られたおかげで、法テラスを知って、裁判のことなど、法律の知識を知ることができた。
ホテルでは、プライバシーが漏れていて、元添乗員なので、仕事を与えられず、孤立した。
職場異動をお願いして、皿洗いとなったけれど、
パソコンができるようになり、四条の教室に通うことで、町家カフェの常連となり、大学教授とも知り合えた。
今、来月よりアルバイトだけど添乗員の仕事を再開する。
京都検定のために、茶道具などを見に行き、住所を書いたので、旅行のチラシが届いた。
そのチラシをみて、自分を添乗員として、売り込んだ。
修学旅行で知り合ったガイドさんのブレーンが、
私の力となった。
修学旅行のガイドのデビューは、できなかったが、添乗員として、高級ツアーの添乗ができる。
より良い方向へ運命が進む。
一枚のチラシが届かなかったら、何も進まなかった。