今日、ひとりの生徒(Tくん)が円満退塾した。
Tくんは高一の春から2年半、うちの講師たちと学んだ。
このたび、指定校推薦で、ある名門大学への入学が内定したための退塾である(ちなみに、この子は不登校児ではない。ある不登校児の生徒のお母さんからの紹介でたまたま縁あってうちに入ってきた、ごく一般的な高校生だ)。
まだ内定なので、大学の固有名詞は書かぬ。と言うか、固有名詞云々はどーでもいい。
この生徒が中学卒業時には(本人も親御さんも中学の先生たちも)恐らく想像もしなかったであろう名門大学に入学できるということも、僕にしてみると、些事だ。
大事なことは、彼が2年半前に入塾してきた時の性格の良さを維持し(さらに磨きをかけ)、高校生活(および、オプションとしてのうちでの授業)を通して、2年半前よりも人格が柔らかくなったことだ。
「賢くなれ」
子どもにそう諭す大人は多い。
「強くなれ」
も古典的だが、いまだに根強い。
でも、僕は「賢い」よりも、「強い」よりも、「柔らかい」を上位に置く。
そりゃ賢いに越したことはないし、強さもある程度は要ろう。でも、柔らかくないと、他者と明るい関係性を築けないじゃないですか。
賢さが鼻についたり、強さがウザさとワンセットになって、人を遠ざけてしまうことはあっても、
「あの人、柔軟だよね。むかつく!」
って言っている人を僕は51年の人生で見たことがない。
「賢いのはわかるけど、なんか腹立つよね」とか「強さは認めるけど、人の痛みがわかんない馬鹿だよね」みたいな言は何度も聞いたことがあるが、「あの人の柔らかい性格が大嫌いなの」という類の言葉は聞いたことがない。
つまり、人を表すときの最強の形容詞は「柔らかい」だと僕は思ってるんだ。
そして、教え子たちには、どうか柔らかい人間になって、素敵な男女とたくさんの「温かい」物語を紡いでほしい。そう、この「温かい」という形容詞も「柔らかい」と並んで最高だ。
閑話休題。
今日、ひとりの生徒(Tくん)が巣立っていった。
Tくん、今までありがとう。
僕もある時期君に英語を教えた時期がある。マンツーマンでの授業を通して、君にはたくさんのことを教わりました。
一年生時の「定期試験前・猛特訓」も懐かしいよ。
ホントありがとうね。
どうか元気で。
残り80年くらいあんのかな? その長い人生の中で、善き人たちと明るい関係性をたくさん「共作」してくださいね。
「生まれてきてよかった」
「生きててよかった」
って何度も思えるような人生を。
Tくんに絡んだ講師たちの名前を最後に列挙しておく。なにせ記憶力の劣化が激しいおっさんゆえ、抜け落ちている名前があるやも知れぬが……。
山本源(京大大学院)、西尾(京都府立医大)、藤森(京都府立医大)、山本理(京都府立医大)、西川(神戸大医)。
みんな、素晴らしい仕事をありがとう。
あなたたちの愛すべき教え子が、これから長い長い長い旅を始めるよ。
Tくんの旅路が善き、温かいものになるよう、教室一同で祈ろう。