猛暑です。
ご自愛ください。

🐶🐶

七夕は、自分にとって、とても大切な日です。
2008年の七夕。本当ならその日、僕はひとりの子どもの父親になるはずでした。 
2007年の秋に交際相手が妊娠し、「その子」が誕生する予定日が翌年の七夕だったのです。 
その子が男の子でも女の子でも「歩(あゆむ)」という名前にしようとふたりで決めました。 
当時早稲田のラグビー部のスターだった五郎丸歩、僕の好きな将棋の「歩」、そして画数が僕の「守内」と相性がわりと良く、専門書には「親が馬鹿でも子は立派に育つ画数」みたいなことが書かれていた。その三つが「歩」と決めた理由です。 
が、歩は、2007年の暮れに、産まれてくる前にこの世を去りました。今は(岡山の高梁にある)守内家の墓に地蔵として眠っています。 
七夕には、
 「もしも歩が生きていたら、何歳なんだろう?」
って数えます。「死んだ子の歳を数える」みたいな表現があるけど、僕は「産まれてこなかった子の歳を数える」んですね、年に1回。 
今年で16歳です。高校1年。 
僕の子どもなら、さぞや生意気だったろうと思います。でも、相手の女性は優しい人だったので、その「中間」をとって、バランスのいい若者になっていた可能性も、ある。って、こんな妄想には意味がないことはわかっています……。 
昨夜、日付が変わって七夕の一日が始まった頃、歩に、心で語りかけました。 
「歩。今でもお父ちゃんは馬鹿だよ」 
と。
それ以上歩に言うべき言葉は悲しいかな見つかりませんでした。
今は間違いなく馬鹿だけど、1ミリずつ「馬鹿ではない方へ向かってく」のが、僕の人生の後半戦あるいは終盤戦のテーマです。 
純との穏やかな生活を守り、今日という一日をひたすらリアルに(=しらふに)生きていく。それだけです。 
何の因果か、たまたま歩と「同世代」の子たちの再生に関わる仕事をしています。だから、そこは一所懸命やります。西川(神戸大医学部)や山本(京大大学院博士課程)他、優秀な若者が僕の傍には何人もいてくれるから、彼らの力を借りて、そこは真摯に、真剣にやっていく。 
歩がもしも青春期に道に迷っていたら、自分はきっと歩に、 
「何度でもやり直せる」 
と言ったはずです。 
セカンドチャンス、アナザーチャンスがあるのが人生。そう考えています。自分では思いもしなかった流れが生じて、奇跡としか言いようのない邂逅があって、そりゃ切ない出来事も時にはあるけれど、それも含めて一切合切のリアルから逃げずに歩いていけば、何か面白い景色が見えてくるのが人生だと僕は思っています。 
うちの教室で、十代の女子、男子が、自分で自分の未来を切り拓いてほしいと願いますし、その手伝いをしたいと思っています。 

七夕。 
世間的にはロマンチックな日だけれど、僕の中では、1年でいちばんリアルな(己と対峙するための)一日です。