お疲れ様です。
朝の純です。

夜の純です。

🐶🐶

21時過ぎ、生徒と講師が並んで教室を出ていった。このふたりは兄弟みたいに見えなくもない。

「絆」とか「信頼関係」といった言葉を簡単には使いたくない。そんなものは壊れる時には一瞬にして砕け散ってしまうものだし、そもそも何をもって絆とみなすのかという定義も曖昧なわけで。
ただし、そこに「絆」が存在したかどうかは別として、青春のある時期に誰かと誰かが時間を共有した(共同で何かをやり遂げた)という事実は、たとえその先そのふたりが離れ離れになったとしても永遠に消えないし、恐らく色褪せることもない。そして、場合によっては、何十年後に「そのとき」を思い出し、
「あの日、あの人と、あんな話をして笑い合ったんだよな……」
なんてしみじみとしたりなんかして、胸がちょっぴり暖かくなったりすることさえある。つまり、「こころの財産(善き思い出)」になる。
前述の生徒と講師も大学受験を最後までやり切ってほしい。そうすれば、きっとイレプレイスブルな思い出は必ずひとつ出来上がる。そのふたりにしかわからない「何か」が(そのふたりのこころの何処かに)残る。

大学受験。
みんなに必要なものだとはもちろん思いません。
やりたい人間だけがやればいいんです。
「親や先生が五月蝿いから」
「なんとなく大学でも行って……」
「世間体が……」
そんな「動機と呼べない動機」なら、大学受験なんて辞めた方がいい。十中八九、ショボイ結果で終わるだろうから。
「働きたくないし……」
は気持ちとしてわかるけど、だったら、
「この業界で働きたい!って思えるような目標を見つけるためにまずは大学に入ろう。じゃあ、いちばん行きたい大学はどこなんだ?」
と自分の内側に問いかけて、それで浮かび上がってきた大学に向かって、がむしゃらに勉強してみるといいです。

「口だけ」で終わる受験生が過半数です。そうならないでほしいと思います。なぜなら、「口だけ」ってスタイルはたぶん(その後の人生でも続いていく)癖、習慣になるので。
たとえば首都圏なら、「口だけ早稲田志望」「口だけMARCH志望」がいっぱいいるでしょう。「口だけ国公立」もきっといっぱいいる。メジャーな大学を目指している(と口走る)ことだけで満足してしまうタイプ。あるいは、親や教師が歓迎しそうな大学名をとりあえず出すことでその場を凌ごうとするタイプ(無論、模試一発でその弥縫策は瓦解するけれども)。いずれもダサすぎる。
なぜダサいかといえば、リアリティがないからです。
それより「日東駒専狙ってコツコツと本気で努力している」受験生の方が遥かにかっこいいんですけどね。
とにかくです。一度、大学入試というリングに上がると決めたなら、ちゃんと自分が打ち立てた目標に向かって努力して、やり切ろうよ、って。それは本当に思います。
やり切った先に何が見えてくるかはわからないけれど、自分という人間に相応しい景色が見られることだけは間違いないので。
その景色ってリアルだと思うんですよね。
なんだか最近のハリウッド映画なんかを観ていても、仮想現実とかマルチバースとかバーチャルとかそんなのがやたら多いじゃないですか。しょーもない(って思います。なんやねん、それ、って)。仮想でもなく妄想でもなく、リアルに恋をしたり、リアルに失恋したり、リアルに友達と遊んで、リアルにバカやったり、リアルに自身を研磨することに血道を上げようよ、って……。
「🎶そんなに遠くない未来 僕らはもうここにはいないけど……」
たまたま聴いていた宇多田ヒカルがそう歌っています。
ホンマやなぁ、と。だからこそ、「今、ここに在る現実」を大事にして磨いていくしかないんですよね。

不登校でも高校中退でも、大学受験ひとつで劇的に眼前の景色を明るく変えられる。僕も講師たちもそんな子を何人も見てきました。
京都あすなろ教室は、
「本気で自分を変えたい」
という不登校児と高校中退者およびその親御さんとの出会いを本気で待望しています。