Amazonプライムで『ショーシャンクの空に』を約30年ぶりに再鑑賞。


野外の作業時に(主人公の『活躍』のおかげで)皆でビールを飲むシーンがあるのですが、それが素晴らしく素敵でした。主人公(ティム・ロビンス)だけは、 

「酒はやめたんだ」 

と言って飲まないところが、また、いいんです。


映画の話から脱線しますが、昨夜、僕はあるミーティングに参加しました。詳述はしませんが、旧知の仲間の一人の親切に触れました。優しい人なんですよね、その人(僕より少し上の男性です)。感謝しましたね、ホント。(……詳述しないと、『なんのこっちゃねん?』というリアクションにならざるをえないだろうけど) 

同じ夜に、その仲間からいただいたバウムクーヘンを抹茶オレで流し込みながら、この映画をたまたま(およそ30年ぶりに)見直したんですよね。 

で、前述のシーンを見ながら、 

「いいな、仲間って」 

と感じ入りました。 

ところで、「友」と「仲間」の違いって何なんでしょう? 

僕の中では「明確に感覚的に」この人は友、この人は仲間、っていうふうに分けられるのですが、どっちが上下(うえした)ってことではないです。言わずもがな、両方大事。 

あなたにとっての「友と仲間の違い」もいつか聞かせてください(って、誰に語りかけてるのか)。 

ちなみに、本作の中で、モーガン・フリーマンは、ティム・ロビンスに向かって、

 「おまえは友達だ」 

って言ってます。 


老いた囚人が仮釈放された後に社会に適合できず、哀しくも自死する挿話で胸が締め付けられた直後に、図書館から中古本が寄贈されるシーンへと続いていきます。

このように、起伏の付け方が抜群のシナリオなんです。 

「今度は、週に二通(手紙を)書く」 

の台詞には思わず声を上げて笑ってしまいました。


 「フィガロの結婚」のシーンもよかった。逆に、胸が痛くなるシーンも幾つもありました。 

そして、怒涛のラスト30分には痺れっぱなし……。「映画っていいなぁ」を強く実感させてくれる名作でした。30年ぶりに観て大正解。30年後に3回目の鑑賞ができるといいな。


追記

昨年、京都刑務所のイベント(お祭りのようなもの)に参加しました。老若男女で賑わっていました。


「何度でも人生はやり直せる」

僕はそう思っています。というか、「思いたい」です。

刑務所が「罰を与える(ためだけにある)場所」ではなく「人生をやり直すための(きっかけとなる)場所」であってほしいと僕は考えます。

これには異論を持つ方もおられるでしょう。無論、いろんな考えがあって当然で、たとえば死刑にしても存置派と廃止派で侃侃諤諤の議論をやればいいんです。

でも、いみじくも『ショーシャンクの空に』で描かれているように、誰かが明るい方向へ動く時に原動力となるのは「希望」です。

めっちゃ厳しいペナルティーを食らって(痛めつけられて、絶望させられて)、

「この絶望をバネに、正しく生きます!」

って思える人ってどれくらいいるんだろう?(むろん、皆無ではないかもだけど)

それよりも、

「こうすれば、過ちは繰り返さないで済むんじゃないのか?」

という具体的な提案や訓練をする場所が刑務所だと思うんですよね。


子どもだって、二十歳の子だって、30歳前後の若者だって、中年の男女だって、高齢のおじいちゃんおばあちゃんだって、何回でも(なりたい自分になるために)やり直せる社会。それがいいと思ってます。一度「本線」から外れたら終了ではなくて、です。


自分の仕事に引き付けて語らせてもらうと、

「もうおれ(わたし)は駄目だ」

って頭を抱えて、スマホやゲーム機ばっかいじってる十代の女子男子に、

「いつまで燻ってんねん? ここはひとつ、受験勉強であなたの未来を切り拓こうよ」

ってことを言うのが京都あすなろ教室であり、私や講師たちのやりたいことは、生徒に「希望」を与え、「リアルな行動」によってその希望に命を吹き込むことです。