『方舟にのって ~イエスの方舟45年目の真実~』@アップリンク京都

どうしても観ておきたかった作品。今日を逃すと、いつ何処で観られるかわからない(京都での上映は今夕が最後)。だから、万難を排して(ってのは些か大仰だが)、烏丸御池まで行ってきた。





 イエスの方舟「事件」。
僕が子供の頃の「事件」というか騒動である。僕の中では、この騒動の主人公(千石イエス)をたけしさんが演じたスペシャルドラマを、後にレンタルビデオで借りた記憶だけが残っている。その作品は、この騒動の実相を抉ってみせるというよりは、(当時、人気絶頂の)たけしさんが「変な人物(千石イエス)」を演じるというのが「売り」だった(と記憶している。遠い昔の話なので、ドラマの筋立てなどは完全に失念しているので、実際には良質のドラマだったのかも知れないが、僕の中では凡作という評価が残っている)。 

 ま、そんなこんなで、イエスの方舟についても千石イエスについても彼を取り巻いた女性たちについても、詳しいことは何も知らない(失念している)……という状態で、本作を観た。今自分が最も注目している映画監督のひとりである佐井監督がイエスの方舟という素材をどう料理してみせるのか。あの傑作『日の丸 寺山修司40年目の挑発』を観た直後だけに僕の胸に渦巻く期待は半端ではなかった。




(……と、ここまでは上映前に館内のベンチに座って書いた。そして、以下は帰路の地下鉄車内で書きました。) 


 ……ところが、である。
『方舟にのって』を観終えた僕が感じたは、
「いったい、何だったのだろう……」
ということだった。頭の真ん中に浮かぶ巨大なクエスチョンマーク。しかも、?の数はひとつではない。 

イエスの方舟とは何か? 

 千石イエスとは何者か? 

 というより、このドキュメンタリー映画自体が何だったのかが、(鑑賞後も)よくわかっていない。自分の中で「これは、こうだ」という明瞭な言葉にならない。 

「それは、おまえが頭悪いからだろ?」 

と言われたら、その通りなのかも知れないが、なんて言うか、自分が何を観たのか(見せられたのか)がわからない。正体不明のものを食べさせられて、確かにその物体を嚥下したのに、それが肉か魚か野菜かすら分からないというような体験。まずいか美味いかも言えない、みたいな。「不思議な映画体験」といった、わかりやすいフレーズに変換することが躊躇われるような、不可思議なドキュメンタリー体験……。 

暫し「答え」を出さず、保留することにしよう。何を保留するかもよくわからんけれども。 


ひとつだけ言えるのは、千石イエスは周りの人達に愛されていた、ということ。
自分の母親以外の女性から全く愛されていない中年男なんて、この世の中に幾らでもいる。
千石イエスを「変な奴」としか捉えなかった(人間の多かった)昭和という時代は、ずいぶんとガサツだったんだなぁ、ということは想う。


📖📖

菅野久美子『生きづらさ時代』(双葉社)を図書館で借りて読了。
 敬愛している書き手の一人です。
菅野久美子の文章にはこの社会そのものだけでなく、(書き手)自身の在りようがしっかりと書き込まれています。なので、彼女の想いに共感するかどうかは別としても、どの文章もこちらの胸の真ん中に確かな重みを湛えて届きます。 
本書の中では、ペットロスにまつわる随筆に特に痺れました。動物を愛する人には一読してほしい文章でした。 
「人それぞれ」という言葉にまつわる論考にも考えさせられました。「人それぞれ」という一見耳触りの良い言葉の中に潜む酷薄なスタイルってやつです。尊重と薄情って、紙一重なんだと思います。
 いずれの章も本当に素晴らしいです。期待通りの一冊でした。