お疲れ様です。




昼の散歩。
今日も純は穏やかでした。

昼に講師の山本に出したまかないの、あんかけパスタ。珍しく一緒に食べました。

🍝🍝

授業終わりの山本と一緒に地下鉄に乗って京都の真ん中へ。
昼飯の時、およびこの移動中、今日は山本といろんなことを話せました。
感動と感謝の連続でした。
手前味噌になりますが、彼と学べる生徒は幸せだと思います。本当に山本は素晴らしい人格者。そして将来、この国を代表する学者になると僕は確信しています。
山本はうちの教室の宝。僕の人生の宝そのものです。

山本太郎さんのおしゃべり会に参加しました。
若い子たちがたくさん来ていました。
今の根腐れた与党を選び続けるのか。それとも、本当に国民を思う政党を選ぶのか(別にそれがれいわ新選組だとは言っていません。ただ、本当に真剣に政治に取り組んでいるのはどの政治家なのかをそれぞれがちゃんと見極める努力はするべきだということを言っています)。
どの政党に票を投じるのか。誰に大切な一票を託すのか。
我々中高年以上に、それは彼ら若者にとっての本質的な問題だと思います。


前述のイベントの帰りに食べたラーメン。
本当に素晴らしい味わいでした。

帰りは木屋町を三条京阪駅まで歩きました。
街は賑わっていました。

🎥🎥

『市子』をAmazonプライムで鑑賞。
劇場公開時から観たかった作品です。思っていたよりも早くAmazonプライムのラインナップに加わってくれました。

杉咲花の演技が悪魔的なまでに秀逸です。途中(同級生がケーキ屋に訪ねてくるシーン)で怖くなるくらいでした。
本作を観ながら僕が思い出した作品がふたつあります。ひとつは、東野圭吾の小説『容疑者Xの献身』です。で、もうひとつが是枝裕和監督の『誰も知らない』。
身を投げ出してでも誰かを守ろうとする者が描かれると同時に、万死に値するような無責任な人間も登場します(主人公の幼少期に彼女の周りにいたオトナたちです)。
献身的な愛情と破滅的な無責任。きっとその両方がある意味では人間の本質で、どっちに振れるかは、ちょっとした流れ(縁とか運とかを存分に含んだフロー)に因るのだろう、と。で、市子の周りにはその両方が在る。その両方が在った……。
問題なのは、市子がどういう人間なのかが僕には最後までわからなかった(理解できないというより、見えなかった)ということ。あのラストシーンは、
「好きに解釈してくれ」
ということなのかも知れませんが、だとすれば、市子は(究極に幼稚な)母親に似てしまっていると僕には思えました。自分のことを必死に助けようとした者たちに感化されて成長するのではなく、母親が辿った道と同じ悪路をこの先市子は進んでいくんじゃないかと感じられたのです。なので、物凄い後味の悪さが残りました。
出色の作品だとは思います(特に杉咲花の芝居は狂気の領域)。が、(一種のオマージュを含んで言いますが)大嫌いな映画のひとつになりました。