お疲れ様です。








朝の散歩シーン。いつもの公園です。春になったら、遠足に行きます。


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京都シネマで『劇場版 センキョナンデス』を観てきました。




『劇場版 センキョナンデス』@京都シネマ

『ヒルカラナンデス』は初回配信から愛聴している。
ダースレイダーとプチ鹿島のかけあいが絶妙で、これでもかと知的好奇心をくすぐられ、なおかつ、
「至極真っ当な対話を聴けた」
という充実感が毎回ある。
「全然違うよ!」と突っ込まれるのを承知で言えば、たけしさんのオールナイトを聴いていた時の感覚に近い。トークに笑い、時に真剣な語りに「うんうん」と頷いたり、あるいは「へぇー」と驚いたり、そして、また笑って……。
無論、ダースもプチも、たけしさんではない。全く違う。思うに、(若い頃の)高田文夫さんが二人いる感じなんだ。
……と、まあ、そんな『ヒルカラナンデス』についての雑な私感はともかくとして、『劇場版 センキョナンデス』である。
ラスト20分間くらいかな、辻元清美がフィーチャーされる。
それを観ていて思った。
この作品、「主演・辻元清美」かも知れぬ、と。
もう少し精確に言うと、「辻元清美と安倍晋三の関係性に思いを馳せることによって、観客の一人一人が感じる(感じざるを得ない)人生の深淵」こそが本作の本質なのではないか。
プチが常々言う、 
「一塁側から観るか、三塁側から観るか」
どの角度から、どんな姿勢で見るかによって、物事の様相は異なって映る。
自分とは違う見え方があるんだよな、ということを含み、自覚しつつ、
「その上で、俺はこう思う」
とまっすぐに語ること。
ダースとプチが毎週金曜の真昼間にやっていることが、まさにそれなのであるが、辻元清美には(一塁側でも三塁側でもなく、バッターボックスに立っていた)彼女にしか見えていない「安倍晋三」がいた。それは、安倍を熱狂的に支持したネトウヨたちが描く「安倍晋三」像とも当然異なるし、僕のような「反・安倍」のそれとも異なる、彼女にだけ見えている安倍晋三なのだ。
安倍の死を受けた時の辻元の衝撃の深さと苦さを想った時、安直に安倍を否定することも肯定することも、もはやどーでもよくなってくる。「そんな浅い話じゃないんだよな……」と、ちょっとセンチメンタリズムに浸ったりするのだった。
長々と書いてしまったが、一言でいえば、
「期待以上でした」
となる。ヒルマニア以外の人達にも是非観て、何かを感じてほしい作品。



帰りに、(京都シネマが入っている)ココン烏丸1階の、僕には不似合いなオシャレなパン屋さんで、純のためにお土産のパンを買って帰りました。ちなみに、その店のアイスコーヒーはスキッとして、とても美味しかった。ちょうど『センキョナンデス』のように濃い映画を観た後に良い感じの……。