近年、日本の漁獲高は約400万トン
三、四十年前は約一千万トン
昔は近海でたくさん獲れていた魚が減って
昔の半分の漁獲高です。
それは山、森が死んできているからです。もちろんほぼコンクリート、アスファルトしかない街中のあり方もですが。近年の山や森は木や草が生えていて見た目は機能しているように見えても地中に問題があり、ヤブ化して機能してない場合が沢山あります。
水が滞り海中の岩の間から押し出されるはずの、自然濾過され栄養豊富な水がしみ出さなくなり海藻が枯れ魚が育たない原因となっています。うみは川から水が流れるだけでなく海中の岩間から染み出る水からも成っています。
コンクリートやアスファルトで循環を遮る事は地球上の大地全体を大きな視点で見るとほんの少しの行為に思えるかもしれませんが
その行為のために水の循環を滞らせ付近にある樹齢何百年で、まだまだ何百年も生きる様な大木が台風で倒れたりします。水と空気が滞る事が原因で。
大木になればなるほど地下深くに根を張り菌糸と共に大地を支えて水と空気を地中に巡らせる役割を持つとても大切な木です。
土の中は見えないので気付かない。
循環が上手く出来てない山や森はヤブ化が進んで荒れ果て多種多様な生態系が壊れます。
循環が滞ってる森や山は鬱蒼として入りたくもない感じで気持ち良くない感じないですが、自然の循環が機能している場合、高木、中木、低木、下草とそれぞれが階層をなし、苔も生えしっとりとした土を保ち生物多様性も保持する気持ちの良い光景になり思わず足を踏み入れたくなります。
全ての命あるものがそれぞれの役割を果たしながら生きる姿です。
地球上の水循環が全て止まると
日中の気温は130度近くなり
夜は零下70度になると言われてます
水がどれだけ私達の生活に大切かと云うのがおわかり頂けるでしょうか。
水の恩恵を受けてるのは私達だけではありません。
木や草、微生物、虫、動物、命ある全てのものに
住みやすい環境を作ってくれています。
昔は先人達は今の様な科学は無くとも感覚で自然と共に自然の循環に添って生活していました。
自然に添ってできないことはなく、できないのはどこかで自然からはずれているからです。
退化してしまった私達が感覚を取り戻すのに時間はかかるかもしれませんが肌で感じ感覚を研ぎ澄ませ自然と共に生きるようにしていく事こそが人の仕事かと思います。
数字ばかり追い求め計算ばかりして本当に大切な事を忘れて退化してしまった人類が他の命と違うのは思考力がある事です。
その思考を如何に使うか。生きるとは何か。
計算して数字を掻き集める事では無いはずです。
地球上で多種多様な命が自然に循環している中の一部である私達の役割は何か。
大量の石油を掘り起こし薬や食費添加物を無駄に作る事でしょうか?
プラスチックを作り大量廃棄する事でしょうか?
薬漬けにして長生きする事でしょうか?
草を生やさない様にガレージにコンクリートを打つ事でしょうか?山にトンネルを掘って早く移動出来る、効率ばかり求める事でしょうか?
処分に困る物を作る事でしょうか?
街中でも闇雲にコンクリート、アスファルトで覆うのではなく大地が水と空気を循環させられるようにしなければなりません。昔ながらのセメントを使わない石畳、石積みも昔ながらの空積みなど。側溝もあってもいいですが在り方次第です。草や木が生きれるように共存を考えられないでしょうか?
すぐ側溝を作り大地に浸透循環させずに海に流してしまっては色々な生命の命に関ります。冒頭の海の事にも関わる事です。健全な大地が豊かな水をつくる。
人間の都合だけでたかだが3、40年の間に夏の気温を5度も10度も上げてしまった生き方。
これは異常な上がり方です。
地球が長い年月をかけ
火山の噴火、地殻変動による地震を繰り返し自然の営みをし作り上げて来た生物多様性。
それをたかだか数十年で生態系を壊して絶滅種を出し異常気象を引き起こした。
先人達が守ってきた地球がこのままでは終わります。
木が大きくなればなるほど土は豊かになり
大地を支えてくれます。様々な命を支えてくれます。
共に生きる道を。