見栄をはって「別荘」と呼んでいる家が、若狭・小浜にあります。
京都との境にある名田庄に近い、山間の地。
初夏には庭先で蛍が飛び交い、
歩いて5分のところには泳げる川もあります。
TVはいまだにNHKしか映りませんし、何にもないところなのですが
私は子供の頃からここが大好きでした。
この「別荘」とは、母の里なのですが
祖母が亡くなってからは、この家は親戚で「別荘」代わりに利用されています。
写真の家は35年ほど前、祖父の死後に祖母が建てたもの。
京都に出た叔父のためかも知れませんが、
きっといつまでも私たちが集まれる場所を残してくれたのどろうと思っています。
古い方の家は、近く取り壊す予定とか。
この家で育った母は4人兄弟ですが、2人の伯母、叔母は既に他界。
母も要介護者となり、この家に帰省するのは叔父だけになりました。
ここで暮らしていた祖父母を知らない私たちの子の世代は
この家に馴染みが薄いため、こんな田舎にはほとんど寄り付きません。
ここを「別荘」として利用するのは、私と弟、そして従弟の3人ほどになってしまいました。
しかもここ数年、コロナ禍の影響もあって利用頻度は極端に減ってしまいました。
私はコロナ禍以降、残念ながら一度も行けていません。
小浜に行くと必ず食べるのが「焼き鯖」です。
子供の頃からの大好物です。
現在ではノルウェー産の鯖が使われていますが、
昔は若狭湾でたくさんの鯖が獲れたのだそうです。
「京は遠ても 十八里」
鉄道も自動車もなかった時代、
若狭で獲れた魚は険しい峠を越えて
近江、大原を経て京の都へと人の手で運ばれていました。
運ばれる魚介類の中で、特に多かったのが鯖。
なので、若狭から京への道は「鯖街道」と呼ばれていました。
「京は遠ても 十八里」
背中に背負えるだけ鯖を背負った行商人たちは
「あと十里」
「あと八里」
次第に明け来る街道の一里塚を横目に、
自分自身を励ましながら京の都を目指して歩いたのでしょう。
鯖は腐りやすい魚で、
「数を数えているうちに腐る」と言われるほど。
腐る前に目分量で数えたことから
「サバを読む」の語源になったとも言われます。
しかしどんなに急いでも、所詮は人の足。
都まで十八里とすれば、十数時間はかかったのではないでしょうか。
小浜・いづみ町商店街にあった
「鯖街道・起点」の石版(2016年撮影)。
小浜の魚なら小浜港にあるフィッシャーマンズ・ワーフや
若狭小浜お魚センターも有名ですが
「焼き鯖」はいづみ町で買っていました。
この写真では閑散としていますが、
私が子供の頃は大勢の買い物客や観光客で賑わっていました。
焼き鯖の店で一番有名なのが、この「朽木屋」さんです。
若狭の焼き鯖は大きな鯖をまるまる1本、串に刺して焼きます。
見た目はどのお店のものも同じなのですが
うまく焼くには裁き方や火加減など
熟練の技を要するのだそうです。
先にご紹介した焼き鯖の画像は、実は朽木屋さんのものではありません。
いづみ町で唯一、炭火で焼いていた川村商店さんの焼き鯖です。
この画像はかなり前のもので、川村商店さんはずっと前に閉店になっています。
そして上のいづみ町の写真は2016年のもの。
現在は道路拡張工事などで、付近は再開発の工事が行われました。
朽木屋さんも、新しい店舗に移転されたようです。
さて、若狭から近江を越える鯖街道。
起点が小浜なら、その終点はもちろん京都。
下鴨神社近くにある出町橋の西詰めに
ひっそりと「鯖街道」の石碑が立っています。
この石碑の前で立ち止まる人はいませんが
若狭にご縁が深い私にとっては、ちょっとしたチェックポイント。
下鴨散策中に偶然この石碑を見つけたときは、ちょっと感動しました。
やはり「ご縁」なのでしょうか
私はこの近くに住んでいたことがあります。
最後にここを訪れたのは2016年の1月。
ここで出会った友人を偲んで、この下鴨を歩いたのでした。
またこの界隈を歩いてみたくなりました。
「京は遠ても十八里」
これは浅田次郎著、「輪違屋糸里」からのフレーズ。
この記事は2016年に書いたブログをアップデートしたものです。
つまり。。。現在ネタ切れ状態です。
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