科長神社と小野妹子墓など | KANSAI SANPO

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科長神社

 

 

大阪府南河内郡太子町にある科長神社(しながじんじゃ)。

 

御祭神は風の神、級長津彦命(しなつひこのみこと)・級長津姫命です。

 

元々は二上山に鎮座していたとされ、平安時代までにはこの地に遷座されたようです。

 

しかしなぜこの地に級長津彦命・級長津姫命が祀られているのかはよくわかりません。

 

もう少し時間をかけて調べてみたいと思います。

 

そしてこの辺りが磯長谷(しながだに)と呼ばれるのは、

 

この神社に由来するものなのだと思われます。

 

磯長谷は別名、王陵の谷とも呼ばれています。

 

敏達天皇陵、用明天皇陵、推古天皇陵、孝徳天皇陵と聖徳太子墓など

 

天皇陵を中心としたおよそ30基からなる古墳群があるのです。

 

 

 

小野妹子墓

 

 

 

科長神社の南、長い石段を上った先に「小野妹子墓」があります。

 

小野妹子は推古天皇の御代に遣隋使として大陸に渡った人物として知られています。

 

また小野妹子が朝夕仏前にお花を供えたことから華道池坊がはじまったとされ、

 

この小野妹子墓は池坊によって管理されているそうです。

 

 

 

 

 

 

華道家元 池坊の管理としては、微妙なお姿と言えなくもないかも。

 

塚らしきものは崩れ、お供え物も見られません。

 

しかし小野妹子の命日である毎年6月には、


池坊関係者と科長神社の宮司により「小野妹子墓前祭」が執り行われているそうです。

 

しかしなぜ、この地に小野妹子墓があるのでしょうか。

 

どういった伝承が残っているのかは不明ですが、興味深いですね。

 

 

 

 

 

小野妹子墓付近から見下ろす石段。

 

科長神社もそこそこ高台にあったと思うのですが、

 

小野妹子墓はさらにこれだけ上った所にあるのです。

 

 

 

 

 

 

 

小野妹子墓前から富田林市方面を見下ろす眺望です。

 

現地で確認はしていませんが、この方向には二子塚古墳があるはず。

 

二子塚古墳は推古天皇が最初に葬られた陵墓との説があります。

 

小野妹子墓から見渡せるかどうかはさておき、

 

王陵の谷を見下ろす位置にあるというのはどうなのでしょう。

 

当時の官位としては最高位を得ていたとは言え、

 

天皇陵を見下ろす位置は小野妹子の墓としては畏れ多い場所と言えそうです。

 

 

 

 

小野神社

滋賀県大津市小野

 

 

一方、小野妹子は近江の出身と言われています。

 

大津市・琵琶湖西岸に小野氏の本拠があったとされ、小野という地名も残っています。

 

周辺には小野神社やその境内にある小野篁(おののたかむら)神社、

 

境外摂社の小野道風神社など小野氏ゆかりの神社が点在しています。

 

 

 

 

小野篁神社

 

小野道風神社

 

 

 

この地にある丘陵には、小野妹子神社と小野妹子墓との伝承がある

 

7世紀前半の築造とされる唐臼山古墳があります。

 

この丘陵は小野妹子公園と名付けられ、地域住民の憩いの場となっているそうです。

 

小野神社などには何度か訪れているのですが、

 

毎度のごとくリサーチ不足のため小野妹子神社は未訪問。

 

こんど湖西に行く機会があれば、必ず参拝したいと思います。

 

私個人的には、こちらの唐臼山古墳が小野妹子墓のような気がします。