伊勢 いつもとは趣を変えて…みた | KANSAI SANPO

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~最悪の男が歩く関西の最良~
  +伊勢神宮125社巡り

絵画なんぞを愛でる風流は持ち合わせていないのですが、

 

それでも齢を重ねると「経験値」のひとつとして、

 

こう見えて絵画に触れる機会もありやなしやと。。。

 

久しぶり(最後に行ったのは2008年頃)に猿田彦神社に参拝しました。

 

最近は伊勢に行くと125社巡りに時間をとられ、なかなかその他の神社を回れません。

 

猿田彦神社に行こうと思ったのは、宮司さんが出演されたTV番組を見たこと。

 

そしてとある小説で「猿田彦神社は猿田彦大神の怨霊を封じ込めるための神社だ」とあり

 

あまりにもバカバカしかったのですが、2~3現地で確認したいこともあったからです。

 

なんだか最近行ってきたばかりのように書いていますが、実は今年の1月の話です。

 

 

 

 

 

参拝者が多かったため、境内や社殿の写真は撮りませんでした。

 

上の写真は宮司家の旧正門で「赤門」と呼ばれています。

 

ちょっと見えにくいですが、表札には「宇治土公貞尚」と書かれています。

 

江戸時代までは「うじのつちぎみ」と称していたそうですが、

 

明治以降は漢字はそのままに「うじとこ」という姓を名乗られています。

 

宇治土公氏は猿田彦大神・大田命の子孫と称し、

 

猿田彦神社として一般に公開するまでは私邸内の祭壇に祀っていたそうです。

 

そのことを知る伊勢神宮の参拝者たちは、

 

この「赤門」の外から手を合わせて神さまにご挨拶したのだそうです。

 

大田命は猿田彦大神の子孫とされ、倭姫命に大宮造営の地を献上した人(神)。

 

つまり宇治土公家は、内宮を建てる土地を提供した神の末裔ということ。

 

 

 

 

 

 

いつもと違うパターンとなったのが、この伊藤小坡美術館(いとうしょうはびじゅつかん)。

 

実はこちらも猿田彦神社内の施設です。

 

伊藤小坡は明治・大正・昭和にかけて京都画壇で活躍した女流日本画家。

 

本名は宇治土公佐登(うじとこさと)。

 

つまり伊藤小坡は宮司家の生まれなのです。

 

「伊藤」は結婚後の姓で、「小坡」は師匠からいただいた雅号です。

 

明治時代には美人画の大家・上村松園と同じ師匠についていたこともあるそうです。

 

歴史画・美人画で知られ、上村松園と並び称され海外でも高い評価を得ていたそうです。

 

冒頭で「絵画なんぞを愛でる風流は持ち合わせていない」と書いていますが、

 

「けっこう詳しいんじゃね?」と思われるかも知れません。

 

ほとんどHPやWikiからの受け売りです。

 

ただしこんな私でも平山郁夫画伯の作品や、上村松園画伯のことは知っていました。

 

特に上村松園画伯については以前勤めていた会社が(私はお会いしたことはありませんが)

 

上村淳之氏と親交があり馴染みがありました。

 

上村松園画伯の子・上村松篁(しょうこう)も日本画家で、その息子さんが上村淳之氏。

 

上村松園画伯の作品は、日本画に興味のない方でも見たことがあると思います。

 

特に私と同じアラカン世代の諸兄なら、一度はやったことがあろう切手収集。

 

その「切手趣味週刊」シリーズに「序の舞」が図柄として採用されています。

 

 

 

 

上村淳之氏も日本画家。

 

その作品は、平城宮跡に復元された大極殿で見ることが出来ます。

 

 

 

 

 

 

内部に四神と十二支の壁画があります。

 

これらは上村淳之氏(うえむらあつし)の作品だそうです。

 

 

ところで猿田彦神社の伊藤小坡美術館。

 

神社境内とはまた違った厳かな気分があじわえます。

 

駐車場もありますが、猿田彦神社から歩いて行けます。

 

ただし年末年始に行く場合はご注意ください。

 

2022/12/26~2023/1/10まで、臨時休館だそうです。

 

臨時休館の情報や詳しい場所等については、猿田彦神社の公式サイトをご覧ください。

 

作品は伊勢や猿田彦神社ゆかりのものを中心に集めたそうです。

 

特に猿田彦大神の絵は圧巻でした。

 

一流の画家、しかも宮司家の娘が描いた絵ですから当然のこと。

 

明治・大正・昭和初期の社殿の絵もありました。

 

現在の社殿は昭和に建替えられたものだそうです。