清水寺のはじまりと交通アクセス | 京都恋慕

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京都が大好き。京都検定1級所持。自らの足で訪れ感じた京都の魅力を、解説を混じえて発信していきます。

 

清水寺

 

京都の最も代表的な観光地・清水寺。

過去の写真を整理していたら、幻想的な清水の舞台の写真がでてきました。

 

 

雪がパラパラと降ったあと、日が沈むころに奥の院から舞台を撮影したものです。

清水寺には仕事の関係で少なくとも100回は行っていますが、その中でもTOP5に入る美しさでしたスター

 

清水寺は1994年にユネスコの世界文化遺産「古都京都の文化財」に登録された世界遺産で、年間500万人を超える参拝者が訪れます。

 

世界から多くの人々が参拝に訪れる清水寺。

では、清水寺はどのような経緯で創建されたのでしょうか?

 

 

清水寺の概要

 

山号:音羽山 

開山:延鎮上人 開基:坂上田村麻呂

宗派:北法相宗総本山

 

 

清水寺縁起

 

清水寺の創建のお話は「清水寺縁起」という書物に記されています。

 

今から1200年ほど前の778年

大和国(現:奈良県)の僧侶・延鎮(えんちん)の夢に観音様が現れ

北の方にある音羽山という山にキレイな泉があるからそこへ行きなさい

というお告げを受けました。

 

延鎮はそのお告げの通り、北の京都にある音羽山へ向かいます。

到着するとそこにはとても美しい泉があり

ほとりにある木の切り株にはおじいさんが座っていました。

 

おじいさんは延鎮をみると

「ワシは仙人の行叡(ぎょうえい)である。

 この切り株で観音様を彫り、

   ここにお寺を建てたいが

 東の国に行かなければならなくなった。

 ワシの代わりにこの木で観音様を彫り

   お寺を創って欲しいんじゃ!」

といって消えてしまいましたダッシュ

 

延鎮行叡のいった通りに切り株で観音様を彫ります。

しかし、延鎮はお金が足りずに観音様を安置するお寺を創ることができずにいました泣

 

そうして困っていた延鎮が出会ったのが、

音羽山に鹿を捕まえにやってきた坂上田村麻呂でした。

 

坂上田村麻呂がなぜ鹿を捕まえにやってきたのかというと、

妊娠中の奥さんに"鹿の生き血“を飲ませるためでした。

当時は、鹿の生き血を飲むと無事に元気な赤ちゃんが生まれると考えられていたのです驚き

 

延鎮坂上田村麻呂

「別の命を奪って新たな命を迎えるのではなく、

 観音様に心を込めてお祈りすれば

   元気な赤子が産まれるでしょう」

と諭しました。

 

坂上田村麻呂は鹿を捕まえるのをやめ、

それから毎日奥さんとともに心を込めて観音様にお祈りをしました。

そして元気な赤ちゃんが誕生しましたにっこり飛び出すハート

 

坂上田村麻呂と奥さんは、観音様と延鎮に感謝をして798年に大きなお寺をプレゼントしましたキラキラ

 

これが清水寺の始まりです。

 

こうして誕生した清水寺。

1200年の時を超え、世界中から愛されるお寺として多くの人々から親しまれていますニコニコ

 

 

アクセス

 

📍京都市東山区清水1丁目294

🚌バス停「五条坂」or「清水道」より徒歩10分(参道は坂道!)

※バスは京都駅から206系統・100系統

 

清水寺への行き方ワンポイント!

206と100の停留所は毎日かなりの行列ができていますが、

本数が多いので待っていれば乗れます。

しかし「座る」ことはかなり運がよくない限り無理だと考えましょう…ガーン

 

同時に大きな荷物は事前にコインロッカーに預けてから向かいましょう。

バスの中で迷惑になってしまうことと、清水寺への参道を大きな荷物をもっての移動は

かな~~~りキツイです凝視

(予想以上に坂)

 

また、三十三間堂→清水寺の移動で

「博物館・三十三間堂前」から清水寺行きのバスに乗ることは

かなり難しいと思っておいた方が良いです真顔

 

すでにバスが満杯の状態でやってくるのでまず乗れません…。

 

その場合は少しあるいて「東山七条」の停留所へ。

東山七条の停留所は3か所ありますが、京都国立博物館の東側の停留所に向かいます。

 

ここに止まる市バスはすべて「五条坂」「清水道」に止まります。

(202・207・206・100)

ご参考にどうぞ飛び出すハート