北白川 子安観世音(こやすかんぜおん) | 創業280年★京都の石屋イシモの伝言

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◆京都の石屋 石茂 芳村石材店◆部録/石のセレナーデ
 京都 石のある風景/京都・石仏散歩/折々の京都
 京のヨモヤマ/京都のディテールなど徒然に。

今出川通りを東に走り、京都大学が建つ百万遍の交差点を越えると、
ゆるやかな上り坂にさしかかる。少し重くなったペダルを強く踏み、
吉田山の赤鳥居の前を過ぎるとほどなく“y字交差点”が見えてくる。


坂道はそのまま銀閣寺へと続くが、斜め左(北東)に分岐した細道は、
昔の白川村へと向かう。そのまま抜ければ、比叡山の登り口。
つづら折りの険しい道を上り下りしたら、琵琶湖にたどりつく。

京と近江をつなぐ、滋賀越道(しがごえのみち)である。


踵を返し南西へ下がれば“京の七口”の一つ“荒神口”へと向かう。


石の仏さんはその曲り角に、ドッカリと座られている。

昔の白川村の方に向かって、目を細め、遠くを見つめて…。



京都の石屋★石のセレナーデ


二メートルはあろうか、大きな身体を木の祠いっぱいに納める。
周辺は丁寧に掃除がされ、新しい花束も供えられている。
昔は“白川女”が毎日花を換え、町へ花売り仕事に出ていたと言う。
この綺麗さから見ると、今も町の人々に大切にされているようである。

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鎌倉期に作られたこの石仏は、稀代の大仏として、「拾遺都名所図会」
にも紹介されている。もとは弥陀仏であったようだが、永年の風化で
姿が変わり、いつの間にか“子安観世音”として親しまれてきたようだ。

大きな大きな“肝っ玉母さん”のような、石の観音さんである。


白川村はかつて京石工の里とも呼ばれ、銘石“白川石”が採れていた。
威勢の良い石工たちが、早朝から夜中まで槌の音を響かせ石を彫り、
または、牛が曳く荷車に巨石を乗せ、ガラガラと往来したことだろう。


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この道に昔日の面影はない。


だが今でも、この大きな石の仏さんは、優しく目を細め、

行き交う人や車を見守ってくれているようである。