今出川通りを東に走り、京都大学が建つ百万遍の交差点を越えると、
ゆるやかな上り坂にさしかかる。少し重くなったペダルを強く踏み、
吉田山の赤鳥居の前を過ぎるとほどなく“y字交差点”が見えてくる。
坂道はそのまま銀閣寺へと続くが、斜め左(北東)に分岐した細道は、
昔の白川村へと向かう。そのまま抜ければ、比叡山の登り口。
つづら折りの険しい道を上り下りしたら、琵琶湖にたどりつく。
京と近江をつなぐ、滋賀越道(しがごえのみち)である。
踵を返し南西へ下がれば“京の七口”の一つ“荒神口”へと向かう。
石の仏さんはその曲り角に、ドッカリと座られている。
昔の白川村の方に向かって、目を細め、遠くを見つめて…。
二メートルはあろうか、大きな身体を木の祠いっぱいに納める。
周辺は丁寧に掃除がされ、新しい花束も供えられている。
昔は“白川女”が毎日花を換え、町へ花売り仕事に出ていたと言う。
この綺麗さから見ると、今も町の人々に大切にされているようである。
鎌倉期に作られたこの石仏は、稀代の大仏として、「拾遺都名所図会」
にも紹介されている。もとは弥陀仏であったようだが、永年の風化で
姿が変わり、いつの間にか“子安観世音”として親しまれてきたようだ。
大きな大きな“肝っ玉母さん”のような、石の観音さんである。
白川村はかつて京石工の里とも呼ばれ、銘石“白川石”が採れていた。
威勢の良い石工たちが、早朝から夜中まで槌の音を響かせ石を彫り、
または、牛が曳く荷車に巨石を乗せ、ガラガラと往来したことだろう。
だが今でも、この大きな石の仏さんは、優しく目を細め、
行き交う人や車を見守ってくれているようである。