#Staff向井さんから紹介を受けました、#1山本陶二です。向井さんは博士課程で病院勤務などもありお忙しい中でも、合間を縫って練習に来てくださいました。必ず挨拶を返していただける印象を持っています。野球部、特に投手陣を支えていただきありがとうございました。向井さんのおっしゃる通り、私が周りの目を気にしていたのは間違いありません。


彦根東高校とのオープン戦で初めて「KYOTO」と書かれたユニフォームに袖を通したとき、京大で野球をするという目標を達成したことに対する感慨深さと、福井県外のチームの一員になったことに対する違和感を同時に覚えた。そのことを当時#5大我に共有したが、「あそう?」と軽くあしらわれたことを鮮明に覚えている。

入部当初は野球がしたくてうずうずしていた
親に言わずに勝手に入部届を提出し、なまった体を引き締めるために朝の鴨川をランニングしていた。桜の下で走るのは気持ちがよかった。今でもたまに鴨川を走ることがある。御所のグラウンドで#7壮樹と素振りをした。彼はライバルになるという予感がしたので、スイングに力が入った。結果的に彼とは一番キャッチボールをすることになった。彼の後に他の人とキャッチボールをしても、何か物足りないと感じる。
#21駿は吉田南食堂で、「150km/hを投げてプロに行く!」と興奮ぎみに話していた。あと10㎞/hぐらい足りなかった。平均すると20km/hぐらいか。吉田南食堂は壮樹とともに#4佳大を電話で勧誘した場所でもある。
中央食堂では#6宙生#23拓志と飯を食ったのが思い出深い。あの飯は楽しかった。どうやら南は強肩強打のキャッチャーらしい。だが、ライバル意識はそんなに芽生えなかった。あの時もすかしてたんかな。
#18翔貴は急にグラウンドに現れた。LINEグループには最初の方から名前があったのだが、なかなかグラウンドに来ないのでもやもやしていた。あと、たぶん入部して一番最初に話したのは#10雄介かな。もちろんチームで一番活躍する気だったので、ある動画で私らの代の注目選手が大我と雄介だったときは、不服だった。そりゃあ監督の見る置きティーで空振りする奴に負ける気はしなかった。
#3江原というとんでもない奴が入部してきた。彼と4年間どう関わればいいのかとかなり心配した。大我との相乗効果に助けられた。なぜか江原と瓜二つ扱いされる尾道北ユニの#2想人には先輩と見間違われた。「人を想う」ってなんて素敵な名前なんだと思った。
マネージャーと連盟委員の獲得が最大の課題だった学年に、#Mgr菜緒#Staff花谷くんが加入してくれた。かなりほっとした。
ノンプレッシャーでひたすら練習していた一回生。自主練をしてフランス語のテストをすっぽかしてしまったこともあった。岐阜遠征ではイップスをさらしてしまった。送球がそれるたびに感じる周囲の雰囲気は耐えがたい。リーグ戦初ヒットは今でも#25航太郎にこすられる。初めての阿南のキャンプも興奮していた。
2回生は転換期だ。捕手としてチャレリ関大のコールド勝ちに貢献出来た。一方、#11米倉は投げるたびに滅多打ちにされていたのが印象に残っている。彼に配球表を送ったのが捕手としての最後の仕事やったかな。その後、イップスが原因で外野手に転向した。外野での再出発はかなり苦労した。リーグ戦でフライを肩でトラップしてしまった。かなり恥ずかしかった。水江さんの方を見ることはできなかった。満塁ホームランを打てたのはいい思い出だ。ベンチでみんなが迎えてくれた光景は目に焼き付いている。その冬に社会人野球チームの練習に参加した。振り込みよりもシートノックの方が憂鬱だったが、上のレベルを知れたのはとても大きかった。なぜ航太郎だけ風邪の症状が出なかったのか、いまだにわからないが。#31昂次郎が私のことを好きだということも判明した。





3回生のタイトル獲得はのちの悲惨な成績を見れば幸運だった。遠い昔の思い出のよう。ポールさんにアントレプレナーシップをいじられるようになったのもこの時から。次のステップはリーグ優勝だと思っていた。飛躍しすぎかもしれないが、目指す権利はある。秋からは苦しくもがく日々が続いた。自分が打てていれば勝てた試合も多々ある。だが、個人的にも組織的にも、理想と現実の乖離から、完全に優勝を目指し切れていなかったのは事実だ。当時の4回生方には大変申し訳ない。

主将に任命されたとき、当時の力では到底リーグ優勝には及ばないと考えていた。身体的にも、精神的にもタフなチームにしていく必要があった。私学に劣らない能力を身に着けるという水江さんの考えと似ているところがあった。私たちは最下位脱出や4位を目指しているわけではない。勝ち点4で優勝するとしても、奇跡を8回起こすことを勝算とするつもりはなかった。勝つべくして勝てるような試合を増やすことが大前提だった。うまくいかないことはあって当然だと思っていたが、結果的に最上回生としての1年は厳しいものだった。

 春は10敗1分けに終わった。負けるべくして負けていた。打てたのは最後の関大戦のみ。私はいつもスタートダッシュが遅い。組織的な問題点も浮き彫りになった。これは私の性格も関連していると思うが、浮ついた行動や周囲を見れていない行動にしばしば腹をたてていた。これでは一体感のかけらもない。しかし、この時期私が1人で打ローテ後の整備をしているとき、想人が手伝ってくれた。自覚を持ってくれた同期が増えたことがうれしかった。それをきっかけにチームがいい方向へ向かう兆しが見えた気がした。「当たり前のことを当たり前にする」と口酸っぱく言っていたのは、このころだ。

 夏はこのチームが一番成長した時期だと感じている。七大戦は散々な結果に終わったが、その後のオープン戦では理想的な勝ち方をすることができていた。米倉主催のミーティングのおかげだ。2回生を中心にチームを盛り立ててくれたこともあり、いい雰囲気を作り出すこともできていた。「当たり前のことを当たり前にする」ことも少しは浸透してきた。各々が進んで動いてくれる状況が、私の目指してきたものに近づいてきたと実感したときは、非常にうれしかった

 秋。受け止めきれない結果である。個人的にもチーム的にもリーグ戦では通用しないことばかり。昔は楽しみにしていたリーグ戦が、全然楽しくない。打てない自分に対するいら立ちは最高潮になった。外野では打球を追いひたすら走りまくった。四球を与え、打たれ、点が入り、点差が開くにつれ、現実から目を逸らしたくなった。こんなプレー、こんなチームを目指してやってきたわけではない。「最後楽しもう」という声が聞こえたときは、私たちの目標が実現不可能になったということを突き付けられたような気がした。

もう野球は疲れた。そう思うようになった。1回生の秋の最終節で、牧野さんが「今日勝ってはよ引退しよ」みたいなことを言っていたのを思い出した。あの時は一日でも長くやれた方がよくねと思っていたのに。
しかし、同期が私を奮い立たせてくれた#8うっちーの打撃の調子がよさそうに見えたり、#19知希が吹っ飛びそうな肘でも吠えながら投げていたり。「4回生には腐らずやりぬいてほしい。」そう言っていたのは私ではないか。
それ以降は、自ら奮い立たせるようになった。あの言葉は自らに向けられたものだった。ああしとけば良かったとか思い出したらキリがないが、後は彼らと走り切るだけだ。




京大硬式野球部がリーグ優勝するために、後輩たちに伝えておきたいことがある。
京大硬式野球部はリーグ優勝を目指してきたが、それが並大抵のことではないということはみんなわかっているのか。ポジ別のあのエラーの数、スピード感のなさや、打ローテのコンタクト率、打球の鋭さで勝てると思っているのか。投手もそうだ。あの四球の多さを改善しないと先はない。配球にすべてを任せるのも限界があるように思える。それを踏まえたうえで今の練習量でいいのか。
私は足りないと思う。必ずしも練習量を増やせばうまくなるわけではないし、それ以外の側面もあるが、量はうまくなるフェーズとして有効的だというのは、致知を読んでいれば気づいていると思う。阿南では量をこなしていると思っているかもしれないが、もっと高い質でもっと多くの量をこなすライバルがうじゃうじゃいる。近大の勝田は10を超える種類のティーを欠かさずするらしい。野口は毎回アップに1時間半かけるらしい。阪上はもっと体を大きくしようとしている。首位を走る立命の二遊間は、耐えず投手に声をかけ続けている。どうか私たちの野球への向き合い方を見直して欲しい。今の4回生ではまだまだ示し切れていない。

リーグ戦に照準を合わせて練習するというのは難しい。吉Gで外野の頭を超えると思った打球は、球場ではただの外野フライだ。守備ではもっと鋭い打球や滞空時間の長い打球がくる。外野後方のフライを打った、うまそうなプレーした、それぐらいで「えぐい」が飛び交う環境が私は好きではなかった。それが通用するのは京大だけだ。特に野球については京大に閉じこもって考えるのはかなりもったいない。そう言うところから基準がどんどん低くなってしまう。

もっと目の色変えてやってくれ。私は決してできないと言っているわけではない。周りにがんぎまってるとか言われるかもしれないが、気にしなくていい。変わらないと勝てないのだから。私はもう引退していなくなるが、少なくとも私は目の色変えて頑張る人が大好きだ。今の京大野球部で現状維持を許されている者はいないと思っている。

「ほんとにこのやり方でいいのか。」「どうすればいいのかわからない。」と路頭に迷うことがあるだろう。そんな時はぜひ周りを頼ってほしい。私は1人で悩むタイプだった。技術的なことも、チームのこともそうだ。自分一人でできることも素晴らしいが、もっと頼っていればと思うところは正直ある。目の色を変えて本気で取り組めていれば、近田さん臼井さん平山さんも必ず相談に乗ってくれると思う。大学で教授から教えを授かるように、野球を知っている方々から教えを授かるのはごく自然なことだ。
他の4回生に比べれば厳しめの主将だったと思う。#9佐々木を泣かせてしまった時も、ただ詰めようとしたのではなく、本気で言った。優しい先輩の多い集団ではあるが、締まった雰囲気を出せるような選手があと何人かいれば、より強いチームになるのではないか。もう大学生なのだから、近田さんがいらっしゃるかいらっしゃらないかで練習態度に差が出るようなそんな稚拙な選手にはならないでほしい。何かするとすぐネタにされがちな風習も締まりを悪くする。来年を不安視する声は多いが、覆してくれることを期待している。
 
大学野球は重く、深く、そして濃いものだった。
今は苦しかったことが先に思い浮かぶが、私は幸せ者だ。恵まれた環境で、疲れた、やりきったと思えるまで野球に打ち込むことができた。支えてくれた全ての人に感謝を伝えていきたいと思う。DB2025が今後の京大野球部のリーグ優勝のキセキのピースになれば嬉しい。


DB2025〜完〜

#2田中想人から紹介を受けました#Staff向井飛雄です。4回生のキセキ熱いなあと思いながら過ごしていると、#Mgr田中一華が「キセキ書きますか?」と提案してくれました。昨年、佐々くんが書いていたように「このタイミングで自分が書いてもいいのかな」と思案しましたが、京大硬式野球部に携わらせてもらった記録を残したいと思ったので、書かせてもらうことにしました。長くなりそうなので、目次をつけます。
 
・自己紹介
・ラプソード、一式100万円
・「エースって誰なんですか」
・最後に
 
・自己紹介
自分がやっていることを一言で言うと、「ラプソード」という機械を使った投手のサポートです。2023年の春リーグ戦が終わってから現在まで続けてきました。とはいえ、毎日チームに帯同しているわけではなく、練習に参加できているのは週2日くらいでしょうか。(だから、特に1回生野手とかは「お前誰やねん」と思っていることでしょう。)その理由は、僕が大学院生で研究に時間を割いているかつ理学療法士として臨床業務に従事しているからです。では、なぜそんな僕が硬式野球部に携わるようになったか。話は2023年の春に遡ります。
 
この年にアナリストとして活躍した三原くんが卒業し、硬式野球部が投手用ラプソードを運用する人を探しているという情報を耳にしました。兼ねてから「将来的に現場の役に立つような研究をするために、スポーツの現場を知りたい」と思っていた僕は早速連絡を取り、近田さんからラプソードのことについて一通りの説明を受けました。このとき、研究や臨床業務との兼ね合いもあり、部に携わるかどうか大変悩み、友人数人に夜な夜な電話で相談したのを覚えています。最終的に僕の背中を押してくれたのは、先述の「スポーツの現場を知りたい」という思いとこれまで関わった硬式野球部OBOGの方々の人柄です。(現役生からしたら誰やねんってなる話ですが)学部生のときにサークルやバイトでお世話になった三谷さん(2019年修士卒)や蛭間さん(2020年卒)、理学療法専攻の1学年先輩の神尾さん(2022年修士卒)、奥村さん山本さん(卒業年は伏せます)、研究室の後輩の野田くん(2024年修士卒)など・・・。関わったOBOGの方々がみんないい人なので、京大硬式野球部=いい人の集まりと勝手に考えました。この勝手な考えは的中しました。勘って大事ですね。そんな経緯で部に関わるようになりました。
 
・ラプソード、一式100万円
このラプソードという機械は、球速や回転数、変化量などを測れるものです。自分の仕事は、投手がブルペンやバッピに入るときにこれを使って、投手のパフォーマンスを可視化して投球の改善に役立てるというものです。ラプソードのデータの解釈方法はある程度体系化されていますが、数値の個人差が大きいため、解釈には今も困ることがあります。使い始めた当初は全く有効活用できていなかったと思います。水江くん世代の投手には申し訳ないことをしました。ちなみにラプソード本体45万円、ハイスピードカメラ40万円、データ管理用のアプリ10万円/年です。データを管理するためのiPadの値段を考えるとざっと100万円です。自分を受け入れてくれた部のためにも、金額に見合う成果を出すためにもきちんと使えるようになりたいと思い、研究や臨床の合間を縫いながらラプソードの数字の見方や運用方法を勉強しました。野球研究が盛んな筑波大学でラプソードを使って研究していた友人や三原くんに数字の見方を教えてもらったこともありました。
 
知識や経験を積み重ねていくうちに、自分なりの答えを見つけました。それは、「投手が意図していることが、ラプソードの数字に反映されているか」「そもそもその意図はチームが求めているものに合致しているか」を意識するということです。僕が見る限りではありますが、京大の投手陣で漫然とブルペンやバッピに入っている人はいないと感じています。何かしらのテーマや課題を考えて投げています。考えすぎじゃないかと思うときもありますが・・・。彼らが上手くなるためには、その思考と実践のギャップをいかに埋められるかが重要だと考えています。また、そのテーマや課題の設定が、今その選手に求められている役割と乖離していると、「頑張っているのになぜ試合で起用してもらえないの」という不満や不安につながってしまいます。だからこそ、投手が考えていることをなるべく理解したうえで数字の解釈を伝えるし、その意図がチーム方針と乖離していると感じたときは軌道修正を図ることを心がけてきました。



#40玉越です。いつの間にか僕のスマホで自撮りしていました。彼には僕の意図が伝わっているでしょうか。関学戦は良い投球を期待しています
 
・「エースって誰なんですか」
昨年の秋頃、研究室の後輩で部のOBでもある有川くんに聞かれました。彼と同期の水江くんがいたときは、この質問に脊髄反射で回答できましたが、このときは「投げている子がエースなんじゃない?笑」と答えた記憶があります。それでも昨年は西宇くん#11米倉が上手くゲームメイクして、京大は年間6勝をマークしました。近田さん臼井さんをはじめとする指導者の方々、スカウティングを頑張っていた赤尾くんをはじめとするスタッフ、日々の練習を頑張った選手一丸でつかんだ勝利だと思います。尤も、チームの目標は全国1勝でしたが、その勝利に自分が僅かでも貢献できていたらうれしいです。「主力が多く残る来年はもっと上位へ!」という機運がありましたが、今春・今秋と苦戦が続いています。投手陣が打ち込まれる試合が多く、責任を痛感しています。みんなの日々の努力を見ているだけに、自分の力不足に対するもどかしさや申し訳なさを感じています。しかしながら、投手陣へ1つ質問させてください。今のチームのエースって誰なんですか。僕は、試合中にマウンドで投げている人がエースだと今も思っています。相手はどこも格上ですから勝負に負けてしまうこともあるでしょう。それでもマウンドを任された以上は、自分がエースだと思って相手と対峙し、マウンドを守り抜いてほしいです。選手でもないのに偉そうにと思われるかもしれませんが、みんなの日頃の頑張りを知っているからこそ思うことです。あと、投手相手に四球はやめよう(小声)。



 
・最後に
この2年半、研究や臨床業務との両立で体力的にきついと感じる場面は何度かありました。特に今年の春リーグ戦の期間中は夜3時か3時半に寝て、朝7時に起きる生活が続いていたので偏頭痛がひどかったです。決して多忙アピールや研究室のネガキャンをしたいわけではなく、実験系の研究室に所属している大学院生の繁忙期は皆こんな感じだと思います。良い研究室なので、#26宮﨑はぜひ当研究室へ。また、院生にも関わらず、毎日のようにグラウンドに来ている平山くん赤尾くんには頭が下がります。2人の献身が報われますように。就活や研究も上手くいきますように。体力的にはきつかったですが、精神的にきつかったことは、昨秋のリーグ戦で安田くん水野くんという継投を見たとき以外ありません。(あれはきつかった。)野球が好きであると同時に、やはり京大硬式野球部=いい人の集まりだったから、だと思います。以前、三原くんから「生意気言うやついたらシバいてください!」と言われましたが、そんなことなかったです。
 
そして、近田さん。僕に投手ラプソードを任せていただきありがとうございました。三原くんほどチームに貢献できなかったと思いますが、この2年半、近田さんの下で働けたことは一生の財産です。近田さんのように、自分の周りの人や物を大切にできる人になりたいです。
 
次は#1山本陶二です。1年間チームを引っ張ってくれた主将です。京大野球部として常に周りから見られていると思って行動するように、と皆に言い続けていた彼ですが、本人も周りの目を気にしすぎて彼女と100メートル離れて歩く芸能人さながらの御忍びデートをしていたという噂が入ってきています。京大野球部主将のラストキセキ、期待しています。
#3江原から紹介を受けました#2田中想人です。江原は野球以外のプライベートでの話題になぜか事欠かず月イチくらいでデカいネタを持ってきてくれます。キセキに書くことはできない内容ばかりで残念です江原の言う通り、生涯独身そうランキングは僕が1位だと思っていました。江原は殿堂入りで僕が1位だと思っていたので少し意外です……。

はじめに書いたキセキ第1原稿は約2000字で、高校の読書感想文をお母さんに書いてもらったくらい文章を書くのが苦手な自分にとってはかなり超大作だったのですが、毎年キセキを酷評されているアイツ(ぽ)が2000字で今年も当然低評価の嵐だったのでさすがにやばいと思い、頑張って6000字に迫る超大作に仕上げました。でも2000字だったものを基盤に引き伸ばしながら書いたので中身が薄めになった気がします。読み返してみるとすっごいカッコつけた文章になってました。ちなみに去年のキセキの最長作品は2万字超えだそうです。どうりであのキセキは読み終わらんなーと思ったわけです。

チームの事は最後の#1とうじが書くと思うので、自分のことを書こうと思います。野球をやめようか悩んでいる人、うまくいってない人がいたら読んでほしいです。引退する老害からの最後の言葉です。
1年生の秋、ファーストに平山さんと自分しかおらず、しかも平山さんがケガをしていて、チャレンジリーグに全試合出場させてもらいました。それ以外の試合でもたくさん出場してバッティングでそれなりに結果も残し、入部当初の目標であった「2年で公式戦出場、3年でレギュラー、4年で主力」を達成できるだろう、そのために平山さんとレギュラー争いをしないといけないな、と思っていました。
2年生の春キャンプにはAチームで連れて行ってもらい、その後のA戦にもちょっとずつですが出場できました。しかしその頃から少しずつ自分のバッティングに違和感を覚え始め、2年生の春リーグ戦では代打デビューするも三球三振、その後Bチームに落ち全く打てない日々が続きました。
全く打てないというのは本当にその通りの意味で、そのリーグ戦の打席以降9打席連続で三振をしたり、約1年間全くヒットが出ないなど本当にきつかったです。京大は選手勧誘のために進学校と練習試合をすることがありますが、高校生の球もかすらなくなりました。夏くらいになるとティーバッティングで空振ることもあるくらいに崩壊してしまい「もう野球やめようかな」と思いつつも「辞めたらダサい」というプライドだけで続けている状態でした。
バイト先などで普通の大学生を見るたびに、自分は何のために野球をやっているんだろう、と思うことがよくありました。練習も試合もしんどかった。野球が楽しいという気持ちはゼロになっていました。辞めないことでプライドを守るため、野球部以外に居場所がない、などの部を辞めない消極的な理由と、本当に野球を辞めようという気持ちの間で揺らいでいました。
野球が下手になる、という感覚はそれまで味わったことがありませんでした。高校時代のレベルが低すぎてそれ以上下手になれなかったというのもあります。練習では全球ヒットが当たり前、3ヶ月前までそう思っていた自分が、練習でも空振りを連発してしまう。現実が受け入れられなかったです。イライラしてしまうことも増えました。家で泣いてしまうこともありました。ご飯もろくに食べられなくなり、1ヶ月で体重が7キロくらい落ちてしまいました。InBodyの点数は91点から84点まで下がりました。腰痛も再発しました。気力が無くなり、朝起きるのも苦しく学校に行かなくなりました。練習は午後からなのでなんとか行っていましたが、もちろん単位は取れませんでした(来年は5年生として学校に残っています。麻雀誘ってください。試験期間は助けてください。就活のサポートもお願いします)。
試合で毎回アウトになる自分が本当に嫌いになりました。試合で結果がでないから練習をしないといけないけど、何がどうだめなのか分かっていないからどう練習したら良いか分からない。でも、打席の動画を見てみれば、滅茶苦茶なスイングをする自分がいる。試合の度に、消えたいと思い始めました。野球なんかやらずに適当なサークルに入って適当に生きてたらどれだけ楽だっただろう。周りで活躍し始める同期を見て、惨めな気持ちがずっと続きました。
そんな時父からメールが来ました。「辛かったら野球やめてもいい。野球以外にも楽しいことはたくさんある。」みたいな。練習試合の結果もすべて見ている両親には自分がどんな気持ちなのか分かって、逃げ場を作ってくれたのだと思います。そのメールを見たときに、逆に両親に活躍しているところを見せるまでは辞めてはいけないと思いました。大学まで野球を続けさせてもらって、こんなにも気にかけてくれているのに、野球を理由に留年して、活躍できなかったから辞めますは失礼すぎる。野球をやらせてもらった恩は、野球で返すと決めました。
そのような状況を見かねたのか、いろんな方からアドバイスをもらいました。近田さん萩原さん平山さん小城さん、などなど。萩原さんに「君は野球のことなんも知らないね」と言われたように、当時の自分は基本とされることさえ全くわかってなおらず、何も考えず感覚だけで打てていた状態が崩れた時に、どこを目指してやって行けばよいか分からず迷走を繰り返していました。
それでも、人から言われたことはちゃんとやろうと思い、家に帰ってノートに書いて残しておくようにしました。自分を心配してアドバイスをくれる優しさを無下にする訳にはいかないと思いました。
しばらくはそんな日々が続きましたが、ある時、中路さんから「もう少し低いライナーを打つ意識を持ったほうが良い」と言われました。理由もその時細かく説明してくれましたが、長くなるのでここでは省きます。この時を境に、バッティングが良い方向に変わっていきました。これが3年生の春のことです。
それからは少しずつ打てるようになっていき、言われた当時はわからなかったノートに残っていたアドバイスも、後から見返してどういうことなのか理解できるようになりました。試合中も余裕のある表情ができるようになったと思います。少しずつ、野球が楽しいという気持ちを取り戻せました。
それでも試合の出番はなかったです。でも、野球人生最後の大学野球で良いところを見せるために何とか頑張れました。特に3回生の頃は公式戦に出場する気配が全く無く、リーグ戦に出る周りの同期を見て惨めな気持ちは募っていきましたが、それよりも最後に良い感じで終わりたいという気持ちが上回りました。それと正直な話、こいつらが打てて俺が打てないわけないくらいのことも3回生の秋頃には思えるようになっていました。最後まで平山さんとレギュラー争いをすることはできませんでした。ちょっとずつ自分を好きになれました。
上手くなるためのヒントは色んなところにありました。しっかり野球と向き合っていれば、あとから理解できることもあるかと思います。近田さんからよく言われると思いますが「周りを見ろ」というのはヒント探しにも生きる話だと思います。常に周りにアンテナを張り巡らせる、学んだことは忘れないようにする、大学野球で学んだ大事な事です。
レギュラーになるチャンスも、上手くなるためのヒントもどこでやってくるかわかりません。光電管測定で足が速いことが判明して代走・守備固めで出るようになった自分のように、予想外のところから突然訪れるチャンスもあります。自分のように実力のない選手は、そういうところから出場機会を掴むしかないです。その突然の出来事に対して準備ができているかどうか。たった1打席、1球が4年間の大学野球を決めてしまうことだってあります。理不尽かもしれないけど仕方ないです。そこで後悔しないためにも、常に周りから吸収する姿勢を忘れないでほしいです。諦めなければ夢は叶う的な綺麗事は言いたくないですが、思ったようにいかない時に諦めるだけではそれ以上の進展はありません。なんとか進むしかなかったです。あと、自分のために野球をするのもいいですが、誰かのために野球をするのも悪くないんじゃないかと思います。野球が楽しいという気持ちは大事にしてほしいですが、上手くなりたいという気持ちだけでは、上手くいかなかった時に自分のように何のために野球をしているのかを見失って逃げ場がなくなるかもしれないです。自分は両親にリーグ戦で活躍する姿を見せるためにやりました。別に彼女とかでも良いと思いますよ。
バッティングの話しかしてませんが、ちゃんと守備もやりました。僕のファーストミットを使うなら、守備もちゃんとやってほしいです@#33山K
うまくまとまりませんでした。書きたいことはこれくらいですが、少し字数が少ない気がしますので、全員に向けてメッセージを書いて字数稼ぎします。

ここまで書いたあと全員に向けて、1回生から順にメッセージを書いていたのですが、白井あたりからまじでめんどくさくなってきたのでやめました。後輩へでまとめさせてください。先輩の奢りで焼き肉連れて行ってもらったときは肉を焼く係をしましょう@#67白井・#69金澤

指導者の方々へ
野球以外のこともたくさん教わり、成長できたと思っています。4年間で教わったことは数え切れません。途中で見捨てられてもおかしくなかったと思いますが、最後まで面倒を見ていただけたことを心から感謝しています。ありがとうございました。

先輩へ
チームに自分を受け入れてくださったことを感謝しています。知ってる人も同郷の人も誰もいないこのチームに入ってやっていけるだろうか、不安を持って入部しましたが杞憂でした。たくさん声をかけてもらったし、話を聞いてもらいました。プレーでも人生の先輩としても背中で語ってもらいました。いつかそんな背中に追いつけるよう精進していきます。

後輩へ
キセキを言い訳の場にはしたくありません。みっともない先輩で申し訳ないです。今年のチームが始まった時、#1とうじが「どんな場面でも4回生が引っ張って、4回生中心のチームにしてほしい」と言いました。自分は後輩に対して何かできるだろうか。3回生まで全くと言っていいほど公式戦に出られなかったことで、周りに対して引け目を感じてはいました。後輩たちもそれは分かっていたと思います。大我のキセキの内容と少し被りますが、そんな自分がリーグ戦に出て、活躍して、勝って、それだけでもくすぶっている後輩に希望を与えられるのではないか。結果を出していない自分は後輩と野球の話をすることはほとんどなく雑談ばかりしていましたが(下手な先輩からのアドバイスって鬱陶しいでしょうし)、プレーしている背中を見せることこそが後輩にできる唯一のことだと思っていました。結果としては活躍、とまでは行ってないけど、秋の開幕戦スタメン同点の終盤からの守備など大事な場面で出してもらえるくらいにはなりました。きつかった時に諦めずなんとか頑張った結果が今の僕の確定レギュラーでもスーパーサブでもない中途半端な姿です。それでも苦しんでもがいて這い上がって4回生の秋になってようやく見えた景色があったことを伝えたいです。少しでも希望を与えられたら幸いです。でも、勝ってないです。僕はまだスタンドでしかリーグ戦の勝ちを経験したことがありません。勝っている姿を見せられていません。それだけが本当に悔しいです。
春リーグの後、4回生が7時間ぐらい喧嘩してたミーティングを皆知ってると思います。僕たちのようにバラバラになってほしくないです。あの頃から後輩たちを引っ張るどころか気を遣わせてしまっていたと感じています。本当にごめんなさい。野球に向き合ってください。リーグ戦になったらビビって四球を出しまくり、入れにいって痛打され大量失点した挙げ句声をかけてくれる野手のエラーに文句を言うような投手陣にはならないでください。スタメンで出ても3打席同じ凡退を繰り返しヘラヘラしてベンチに帰ってくるような野手陣にはならないでください。自分のプレーが悪かったからといってその態度でベンチの雰囲気を悪くしないでください。すべて僕たちのことです。
これからが楽しみな選手がたくさんいます。一緒にプレーしてこれからの成長を見られないのは寂しいです。野球ができるたった4年間を大切に。4年間は短くはないけどやるべきことを考えたら全然長くなかったです。

同期へ
今年1年の個人目標「1.野球に向き合う、2.周りに迷惑をかけない」を達成できているか判定お願いします。人付き合いが苦手な自分が態度で周りに良い影響を与えることは難しいかもしれないけど、迷惑をかけない程度には態度に気をつけようというのがこの目標の理由です。高校時代には少し人間関係で苦労して、自分は受け入れてもらえないかもしれないと思いながら野球部に入りました。そんな自分を受け入れて居場所をくれたのはこの同期のメンバーです。僕にはここしかないのです。野球を楽しくやらせてもらったことに感謝しかありません。その感謝を返す方法がこれくらいしか思いつかなかったです。
2〜3回生にかけて、皆の野球観が変わっていると感じる瞬間がありました。1回生の頃のギラギラした目つきがなくなりました。「俺たちが歴史を創る」そう言っていた気持ちが皆の目から消え熱が引いたように見えました。同期には「変わっちまった」のひとことで意味は伝わるでしょう。試合に出ていない自分は日和って言えなかったけど、今思い返せば、絶対に言うべきだった。もっとちゃんと言えてたら、今みたいなことにはなっていないかもしれない。嫌われてでも言えばよかった。本気で自分の思いを伝えればよかった。すごく後悔しています。
この4年間、皆の苦労を間近で見てきました。特にこの1年間は集まることもなくなり、楽しそうな顔はほとんど見れませんでした。大好きな野球でこんなに苦しそうな顔をする同期はもう見たくないです。苦しいです。心の底からグラウンドで笑う姿を、最後は見たいです。勝ちましょう。以上です。

最後に。
このチームに入って4年間、本当にたくさんのことを教えてもらいました。礼儀、マナーをはじめ、野球の厳しさ、楽しさ、理不尽、腹の底から沸き上がる興奮、脚が震えるほどの緊張。競技野球を終えてしまったら味わうことはできない感情がたくさんあります。去年の先輩たちが引退する時、「俺も早く引退したいな」とか思っていましたが、この感情をグラウンドで味わえなくなると思うととても寂しいです。あの時京大を受けて良かった。勇気を出してこのチームに飛び込んで良かった。このチームで野球をやり切れて良かった。心の底から言うにはまだ早いです。そう言えるよう残りの試合を頑張ります。今までありがとうございました。




花谷くん歓迎会で全員が揃った写真です。キセキを酷評されているアイツがいませんね。インフルになっていた気がします。




伝説の。


本当に最後の最後。
野球部は野球をする場所です。部内恋愛は、結果を出してからでお願いします!

次は#Staff向井さんです。
自分はピッチャーではないので、ラプソードの人というイメージしかありません。話したこともないので、投手陣の管理をする中でどんなことを考えていたのかは個人的に気になっています。アツいキセキをよろしくお願いします!