#Staff向井さんから紹介を受けました、#1山本陶二です。向井さんは博士課程で病院勤務などもありお忙しい中でも、合間を縫って練習に来てくださいました。必ず挨拶を返していただける印象を持っています。野球部、特に投手陣を支えていただきありがとうございました。向井さんのおっしゃる通り、私が周りの目を気にしていたのは間違いありません。
彦根東高校とのオープン戦で初めて「KYOTO」と書かれたユニフォームに袖を通したとき、京大で野球をするという目標を達成したことに対する感慨深さと、福井県外のチームの一員になったことに対する違和感を同時に覚えた。そのことを当時#5大我に共有したが、「あそう?」と軽くあしらわれたことを鮮明に覚えている。
入部当初は野球がしたくてうずうずしていた。
親に言わずに勝手に入部届を提出し、なまった体を引き締めるために朝の鴨川をランニングしていた。桜の下で走るのは気持ちがよかった。今でもたまに鴨川を走ることがある。御所のグラウンドで#7壮樹と素振りをした。彼はライバルになるという予感がしたので、スイングに力が入った。結果的に彼とは一番キャッチボールをすることになった。彼の後に他の人とキャッチボールをしても、何か物足りないと感じる。
#21駿は吉田南食堂で、「150km/hを投げてプロに行く!」と興奮ぎみに話していた。あと10㎞/hぐらい足りなかった。平均すると20km/hぐらいか。吉田南食堂は壮樹とともに#4佳大を電話で勧誘した場所でもある。
中央食堂では#6宙生、#23拓志と飯を食ったのが思い出深い。あの飯は楽しかった。どうやら南は強肩強打のキャッチャーらしい。だが、ライバル意識はそんなに芽生えなかった。あの時もすかしてたんかな。
#18翔貴は急にグラウンドに現れた。LINEグループには最初の方から名前があったのだが、なかなかグラウンドに来ないのでもやもやしていた。あと、たぶん入部して一番最初に話したのは#10雄介かな。もちろんチームで一番活躍する気だったので、ある動画で私らの代の注目選手が大我と雄介だったときは、不服だった。そりゃあ監督の見る置きティーで空振りする奴に負ける気はしなかった。
#3江原というとんでもない奴が入部してきた。彼と4年間どう関わればいいのかとかなり心配した。大我との相乗効果に助けられた。なぜか江原と瓜二つ扱いされる尾道北ユニの#2想人には先輩と見間違われた。「人を想う」ってなんて素敵な名前なんだと思った。
マネージャーと連盟委員の獲得が最大の課題だった学年に、#Mgr菜緒と#Staff花谷くんが加入してくれた。かなりほっとした。
ノンプレッシャーでひたすら練習していた一回生。自主練をしてフランス語のテストをすっぽかしてしまったこともあった。岐阜遠征ではイップスをさらしてしまった。送球がそれるたびに感じる周囲の雰囲気は耐えがたい。リーグ戦初ヒットは今でも#25航太郎にこすられる。初めての阿南のキャンプも興奮していた。
2回生は転換期だ。捕手としてチャレリ関大のコールド勝ちに貢献出来た。一方、#11米倉は投げるたびに滅多打ちにされていたのが印象に残っている。彼に配球表を送ったのが捕手としての最後の仕事やったかな。その後、イップスが原因で外野手に転向した。外野での再出発はかなり苦労した。リーグ戦でフライを肩でトラップしてしまった。かなり恥ずかしかった。水江さんの方を見ることはできなかった。満塁ホームランを打てたのはいい思い出だ。ベンチでみんなが迎えてくれた光景は目に焼き付いている。その冬に社会人野球チームの練習に参加した。振り込みよりもシートノックの方が憂鬱だったが、上のレベルを知れたのはとても大きかった。なぜ航太郎だけ風邪の症状が出なかったのか、いまだにわからないが。#31昂次郎が私のことを好きだということも判明した。
3回生のタイトル獲得はのちの悲惨な成績を見れば幸運だった。遠い昔の思い出のよう。ポールさんにアントレプレナーシップをいじられるようになったのもこの時から。次のステップはリーグ優勝だと思っていた。飛躍しすぎかもしれないが、目指す権利はある。秋からは苦しくもがく日々が続いた。自分が打てていれば勝てた試合も多々ある。だが、個人的にも組織的にも、理想と現実の乖離から、完全に優勝を目指し切れていなかったのは事実だ。当時の4回生方には大変申し訳ない。
主将に任命されたとき、当時の力では到底リーグ優勝には及ばないと考えていた。身体的にも、精神的にもタフなチームにしていく必要があった。私学に劣らない能力を身に着けるという水江さんの考えと似ているところがあった。私たちは最下位脱出や4位を目指しているわけではない。勝ち点4で優勝するとしても、奇跡を8回起こすことを勝算とするつもりはなかった。勝つべくして勝てるような試合を増やすことが大前提だった。うまくいかないことはあって当然だと思っていたが、結果的に最上回生としての1年は厳しいものだった。
春は10敗1分けに終わった。負けるべくして負けていた。打てたのは最後の関大戦のみ。私はいつもスタートダッシュが遅い。組織的な問題点も浮き彫りになった。これは私の性格も関連していると思うが、浮ついた行動や周囲を見れていない行動にしばしば腹をたてていた。これでは一体感のかけらもない。しかし、この時期私が1人で打ローテ後の整備をしているとき、想人が手伝ってくれた。自覚を持ってくれた同期が増えたことがうれしかった。それをきっかけにチームがいい方向へ向かう兆しが見えた気がした。「当たり前のことを当たり前にする」と口酸っぱく言っていたのは、このころだ。
夏はこのチームが一番成長した時期だと感じている。七大戦は散々な結果に終わったが、その後のオープン戦では理想的な勝ち方をすることができていた。米倉主催のミーティングのおかげだ。2回生を中心にチームを盛り立ててくれたこともあり、いい雰囲気を作り出すこともできていた。「当たり前のことを当たり前にする」ことも少しは浸透してきた。各々が進んで動いてくれる状況が、私の目指してきたものに近づいてきたと実感したときは、非常にうれしかった。
秋。受け止めきれない結果である。個人的にもチーム的にもリーグ戦では通用しないことばかり。昔は楽しみにしていたリーグ戦が、全然楽しくない。打てない自分に対するいら立ちは最高潮になった。外野では打球を追いひたすら走りまくった。四球を与え、打たれ、点が入り、点差が開くにつれ、現実から目を逸らしたくなった。こんなプレー、こんなチームを目指してやってきたわけではない。「最後楽しもう」という声が聞こえたときは、私たちの目標が実現不可能になったということを突き付けられたような気がした。
もう野球は疲れた。そう思うようになった。1回生の秋の最終節で、牧野さんが「今日勝ってはよ引退しよ」みたいなことを言っていたのを思い出した。あの時は一日でも長くやれた方がよくねと思っていたのに。
しかし、同期が私を奮い立たせてくれた。#8うっちーの打撃の調子がよさそうに見えたり、#19知希が吹っ飛びそうな肘でも吠えながら投げていたり。「4回生には腐らずやりぬいてほしい。」そう言っていたのは私ではないか。
それ以降は、自ら奮い立たせるようになった。あの言葉は自らに向けられたものだった。ああしとけば良かったとか思い出したらキリがないが、後は彼らと走り切るだけだ。
京大硬式野球部がリーグ優勝するために、後輩たちに伝えておきたいことがある。
京大硬式野球部はリーグ優勝を目指してきたが、それが並大抵のことではないということはみんなわかっているのか。ポジ別のあのエラーの数、スピード感のなさや、打ローテのコンタクト率、打球の鋭さで勝てると思っているのか。投手もそうだ。あの四球の多さを改善しないと先はない。配球にすべてを任せるのも限界があるように思える。それを踏まえたうえで今の練習量でいいのか。
私は足りないと思う。必ずしも練習量を増やせばうまくなるわけではないし、それ以外の側面もあるが、量はうまくなるフェーズとして有効的だというのは、致知を読んでいれば気づいていると思う。阿南では量をこなしていると思っているかもしれないが、もっと高い質でもっと多くの量をこなすライバルがうじゃうじゃいる。近大の勝田は10を超える種類のティーを欠かさずするらしい。野口は毎回アップに1時間半かけるらしい。阪上はもっと体を大きくしようとしている。首位を走る立命の二遊間は、耐えず投手に声をかけ続けている。どうか私たちの野球への向き合い方を見直して欲しい。今の4回生ではまだまだ示し切れていない。
リーグ戦に照準を合わせて練習するというのは難しい。吉Gで外野の頭を超えると思った打球は、球場ではただの外野フライだ。守備ではもっと鋭い打球や滞空時間の長い打球がくる。外野後方のフライを打った、うまそうなプレーした、それぐらいで「えぐい」が飛び交う環境が私は好きではなかった。それが通用するのは京大だけだ。特に野球については京大に閉じこもって考えるのはかなりもったいない。そう言うところから基準がどんどん低くなってしまう。
もっと目の色変えてやってくれ。私は決してできないと言っているわけではない。周りにがんぎまってるとか言われるかもしれないが、気にしなくていい。変わらないと勝てないのだから。私はもう引退していなくなるが、少なくとも私は目の色変えて頑張る人が大好きだ。今の京大野球部で現状維持を許されている者はいないと思っている。
「ほんとにこのやり方でいいのか。」「どうすればいいのかわからない。」と路頭に迷うことがあるだろう。そんな時はぜひ周りを頼ってほしい。私は1人で悩むタイプだった。技術的なことも、チームのこともそうだ。自分一人でできることも素晴らしいが、もっと頼っていればと思うところは正直ある。目の色を変えて本気で取り組めていれば、近田さんや臼井さん、平山さんも必ず相談に乗ってくれると思う。大学で教授から教えを授かるように、野球を知っている方々から教えを授かるのはごく自然なことだ。
他の4回生に比べれば厳しめの主将だったと思う。#9佐々木を泣かせてしまった時も、ただ詰めようとしたのではなく、本気で言った。優しい先輩の多い集団ではあるが、締まった雰囲気を出せるような選手があと何人かいれば、より強いチームになるのではないか。もう大学生なのだから、近田さんがいらっしゃるかいらっしゃらないかで練習態度に差が出るようなそんな稚拙な選手にはならないでほしい。何かするとすぐネタにされがちな風習も締まりを悪くする。来年を不安視する声は多いが、覆してくれることを期待している。
大学野球は重く、深く、そして濃いものだった。
今は苦しかったことが先に思い浮かぶが、私は幸せ者だ。恵まれた環境で、疲れた、やりきったと思えるまで野球に打ち込むことができた。支えてくれた全ての人に感謝を伝えていきたいと思う。DB2025が今後の京大野球部のリーグ優勝のキセキのピースになれば嬉しい。
DB2025〜完〜





