#13窪から紹介を受けました、2回生マネージャーの
#Mgr田中祥生です。
窪は同期の選手全員から何かといじられており、(彼のキセキでも触れられていましたが)今年度のこれまでのキセキでも何の脈絡もなく
窪の写真が貼られていたり、何故かキレられていたり、やばめのエピソードや思想が暴露されていたりと
中々な扱いを受けています。これまでのキセキを読み返し、ぜひ
窪探しの旅に出てみてください。
また、以前「髪切った?」と聞いたら、「だいぶ前やで、全然わかってないやん俺のこと」と返ってきました。やはり#23松原の言う通りツンデレなのでしょうか。髪切ったのに気付けなかったのはごめんね。
そんな彼ですが野球のことに関してはすごくストイックで、チームのことも真剣に考えていて本当に尊敬しています。怪我から復帰し、再びリーグ戦のマウンドでの活躍を目指す彼を応援していただければと思います!
さて、初めてキセキを書かせていただくにあたり、簡単に自己紹介をさせてください。
僕は現在マネージャーとして野球部に携わっていますが、中学校までは地元のクラブチームでプレイヤーとして野球をしていました。野球自体は好きで練習をしに行くことは楽しんでいましたが、うまくなるために自主練に励むわけでもない、ただ単に毎週野球をしているだけの少年でした。

そのため高校の野球部という厳しい環境の中で野球を続けるのはあまり乗り気にならず、高校では陸上部に入っていました。
先日#64瀬口が誘ってくれて軽くノックを打ったのですが、思ったより上手に打てなくなっていて、さすがに悲しかったです。5年のブランクは想像以上に大きかったようです。瀬口、下手くそノッカーでごめん!もっと上手くなります!
また元々人前に出て何かをするのは好きなタイプで、高校最後の文化祭ではクラス別の大劇で主演として出演し、ありがたいことに主演賞をいただき、全校生徒の前で演技を披露したりもしました。

当時の写真です。ディズニー映画「塔の上のラプンツェル」のユージーン役を演じていました。同じ四條畷高校で2学年下の#Mgr清花ちゃんはそのことを覚えてくれていましたが、同期で1学年下の#26島は全く覚えていませんでした。当時はお互い面識もなかったので無理はないですね。京大に入学当初自信満々に聞いた僕が恥ずかしいです。
1学年下の同期がいるということで、僕は一浪して京大に入学できました。
今回のキセキでは、そんな僕の浪人生活、一度野球から離れた僕が京大野球部にマネージャーとして入部した理由、そして毎日部活に励む原動力、伝えたいことを書いていこうと思います。
最初のキセキで書くには少し重く、堅苦しい内容かもしれません。他の2回生のようなボケ満載の楽しいキセキを期待してくれていた方には申し訳ないです。ですが、これは僕が入部前から最初のキセキで絶対に書こうと決めていた内容です。
長くなってしまいますが、ぜひご一読いただけますと幸いです。そして、このキセキが誰かにとって読んでよかったと思ってもらえるようなものになれば、それ以上にうれしいことはありません。
僕が京大野球部に入部した理由は、端的にいえば京大野球部は僕にとって「人生を救ってくれた存在」だからです。
僕は宅浪での浪人生活でした。宅浪を選んだ理由は、自分のペースで勉強を進めたかったからです。要するに自分のやりたいように勉強をしたいというわがままが理由でした。夏休みまではほぼ毎日図書館へ行き、自習室に1日中籠って勉強していました。これが学力面では上手くいき、現役時代E判定しかとったことがなかった夏の冠模試ではA判定をとることができました。このままのペースで勉強を続けていけば合格できそうな未来は見えていました。

しかし、順調に見えた浪人生活は突然崩れます。夏の冠模試を受けた翌日、息抜きに久しぶりに遊びに出た帰りの電車内で突然強烈な気分の悪さに襲われてしまいました。その日はなんとか最寄りの駅まで我慢し、親に迎えに来てもらい事なきを得たのですが、その日以降その気分の悪さが常に頭によぎるようになり、外に出るだけで吐き気を催すようになってしまいました。
『またあのときの感覚が来たらどうしよう』
『他の人がいるなかで、迷惑をかけてしまったらどうしよう』
とどんどんマイナスな方向に思考が傾いてしまい、家のちょっとすぐ外に出ることも困難になってしまいました。
今振り返ると、浪人生活になって急激に運動量が落ちたり、日光を浴びる機会が少なくなったりと今までの学校生活とは大きく異なる生活が原因で自律神経が徐々に乱れてしまい、また他人との会話が減ってしまった孤独感が自分の思っている以上に精神を蝕んでいっていたのだと思います。
あれだけ友達と遊び、話し、みんなと何かをし、人前に立って何かをすることが好きだった僕が、
『どうやって毎日楽しく学校に行っていたか思い出せない』
『人前に出るのが怖い』
と思ってしまうようになり、そう思ってしまう自分にも嫌気がさしていました。
言わばこれは全て「起こってもいないこと」に対する不安であり、実際一度も外で戻したことはありません。起こっていないことに対して、「こうなったらどうしよう」とばかり考えてしまうようになっていたのです。
しばらく全く外に出ない生活が続きましたが、両親と相談を重ねてやはり日光を浴びよう、毎日少しずつでもいいから外に出よう、と自宅のマンションの周りを散歩してみることになりました。しかしその散歩をするのにも毎回気分が悪くなってしまい、万が一のことがあってもいいようにと袋をポケットに入れておかないと、不安で不安で外への一歩を踏み出せない状態でした。左ポケットに袋を入れ、毎日唾を飲み込み吐き気を我慢しながら朝家の周りを散歩し、それが終われば家から出ない、そんな日々が続きました。
なかなか元気になる未来が見えなかった僕は、
『しんどいことを乗り越えて京大に合格してやる!』
という前向きな気持ちよりも、
『もし仮に大学に合格できたとしても、このしんどさが治って元通りの生活が果たしてできるのだろうか』
『元気に外に出られないのなら、一体今何のために勉強しているのだろうか』
という後ろ向きな思いが上回ってしまい、
『そもそもこのしんどさは浪人を経験する人であればみんな通るような道なのか、自分の心が弱いだけなのか、それとも何か特別な症状なのだろうか』
などとぐるぐるぐるぐる考え、気付けば勉強すら手に付かない状態になっていました。
余計なことを考えずに、何がどうなろうと勉強するしかないこと、これを乗り越えて合格できればものすごい自信になることは頭ではわかっていても、心が追い付いていませんでした。どうしても起こってもいないことへの不安が勝ってしまいました。そんな状態が8月下旬から4ヶ月ほど続きました。
そんな生活の中での唯一の楽しみだったのが、京都大学硬式野球部でした。
僕が初めて京大野球部と出会ったのは高校2年のときで、現在通っている人間健康科学科を目指し始めて京大のことをいろいろと調べていくうちに野球部を見つけました。野球自体は好きだった僕は、将来スポーツトレーナーになりたかったこともあり、やるなら野球、目指すならプロ野球(欲をいえば大好きな阪神)ということで、サポート側で野球に携わってみたい気持ちがありました。
また京大野球部の私立を本気で倒しに行くという姿や、元プロ野球選手の近田さんが監督をされていること、そして京大野球部からスタッフとしてプロの世界に足を踏み入れられた大先輩もいらっしゃることなどなどに魅了された僕は、京大に合格できたら野球部に入部したいと思い始めるようになります。
先への不安はあったものの京大野球部への憧れは消えていなかった僕は、野球部のホームページを見て活動内容を読み込んだり、部員紹介のページを見て会うかどうかもわからない先輩たちの顔と名前を一致させてみたり、キセキを読み漁って勝手に感動して、もし入部したら自分は何について書こうか想像してみたりしていました。そんな時間が当時の僕にとっては楽しい時間でした。
『合格したらずっと憧れてきたここに携われる』
という思いがなんとか僕を繋ぎ止めていました。
京大野球部が、人生の救いとなっていました。
散歩は続けましたが、少しずつ歩けるようになってきたと思えばまた悪化してしまった、など調子の波もあり目に見える改善があまり見られない日々の連続でした。そんな中で両親と何度も何度も話した末、かけてくれた言葉が
「無理やりでもいいから未来を前向きに考えてみよう」というものでした。
起こっていないことだからこそ不安に感じるけれど、まだ起こっていないのだから、どういう結末を迎えるか誰にもわからないのだから、それならばできるだけ前向きなイメージでそこに向かっていったほうがいいじゃないか。
そう考えられるように徐々に徐々に意識を変えていき、それ以降も外出への不安は完全には消えませんでしたが、それでもやるしかない、これまで頑張ってきた自分を裏切らないためにも絶対に受かるんだ、とゆっくり時間をかけながら前向きに考えられるようになっていきました。
『勉強しても大学に行けないなら意味がない』という思考から、
『今の外出できない状態が、勉強をしない理由にはならない』
とだんだん思考を変えることができるようになりました。ようやく机に向かえるようになったのは、共通テストまで残り3週間のときでした。それでもやるしかないと、吹っ切れたように過去問や予想問題を解き続けました。
共通テスト本番は点数をとることはもちろんですが、それよりも無事に受け切って帰ってこられたらOKと考えて臨むことにしました。正直2日間受け切ることができたら大勝利だ、ここを受け切って帰ってこられたらとんでもない成長、自信になると思って受けに行きました。途中危ないときはありましたが、休み時間ごとに外に出て両親と電話をしながら気持ちを落ち着かせ、なんとか2日間受け切ることができました。

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自宅では、愛しているぬいぐるみも一緒にリスニングテストを受けてくれていました。僕はかわいいものが好きなので、こういう写真を見るとすごくほっこりして、気持ちを落ち着かせることができていました。
この経験を自信にできた僕は、2次試験までの約1か月間、夏までと同じもしくはそれ以上の熱量と時間を勉強に充てることができました。
そして迎えた2次試験当日。
試験開始40分前、これまでの集大成となる会場を前にして様々な感情が込み上がってきて、とてつもなく気分が悪くなってしまいました。
『ここまできたからには受けたい、合格したい、でもやっぱり気分が悪くなるのが怖い、それで周りの受験生に迷惑をかけたらどうしよう、でもここで受けて合格できれば京大野球部にもいける、受けなければ後悔もすると思う、でもやっぱり怖い、でも合格したい』
家族の車の中で泣きじゃくりました。今までで一番のとてつもない不安に押し潰されそうになり、もう本気で受験するのをやめようかとも考えました。それでも決心して車から降り、入り口に立っていた救護の方に説明し、一旦医務室へ行きました。案内していただいて少し落ち着いた僕は、別室受験ができないか申し出てみました。今思えば試験開始20分前にそんな要望をしてしまい本当にご迷惑をおかけしたと思います。
教務掛の方が部屋に来てくださり、別室受験はできないが奇跡的に僕の席が大教室の一番右端の列の一番後ろの席だよ、と説明してくださいました。これがもし大教室の真ん中で四方を受験生で囲まれた席だったら、また全然違う結果になっていたと思います。本当に奇跡です。これを聞いて少し心が楽になれた僕は、看護の方に連れられ試験開始10分前に教室に入り着席し、他の受験生は試験前の説明を聞き終えて緊張の静寂に包まれる中、僕だけ小声で説明を受けていました。
試験が始まれば本当に嘘のように気分がスッキリとし、何事もなかったかのように2日間試験を受け終えることができました。そして、無事に合格できていました。
余談ですが、両親が2次試験前に車で大阪天満宮へ合格祈願に行ってくれたその帰り道で、「京都」ナンバーで僕の受験番号と同じ4桁のナンバープレートの車が目の前にあらわれたそうです。嘘じゃないです。とんでもない確率です。それを聞いたときは、本当に京大に呼ばれていると思いました。
そんなこともプラスして、試験が始まれば力が出せたのかもしれません。奇跡の連続です。

これで晴れて京大(人健)生、気分も良く大学生活に部活に頑張ろう!と思っていましたが、そううまくはいきませんでした。
危惧していた通り、合格したとしても外出時の気分の悪さは完全には治っていなかったのです。
浪人期に比べると程度は軽くなっていましたが、「ここで戻してはいけない」という状況におかれるとどうしても悪い方悪い方にまだ考えてしまい、どんどん気分が悪くなっていってしまいました。
不安の残る中迎えた一番最初の授業は線形代数学でした。小さめの教室に人が詰め詰めで入っており、気分の悪さが込み上げて耐えられなくなった僕は授業開始20分ほどで教室を抜け出してしまい、そこから授業終了までずっとトイレに籠って戻ることができませんでした。
『せっかく合格できたのに、あれだけの思いをして合格できたのに、また逆戻りだ、何も改善していない、合格しても元通りの生活はできないのか』
とまた絶望し、母親に「もう無理かもしれない」と電話しました。その日はなんとか家に帰れましたが、次の日からはバスに乗るのも怖く、また授業で気分が悪くなるのが怖く、本気で大学に行くかどうか迷いました。
しかし、僕は行くという決断ができました。
その理由は「京大野球部の体験に行く約束をしていたから」でした。
入学式の日に勇気を出して野球部の新歓アカにDMをし、初回授業日の次の日に野球部の体験に行くことになっていました。とうとうずっと憧れ、浪人期の支えになっていた野球部へ足を踏み入れられる、ホームページで見ていた先輩と実際に出会える、というワクワクがありました。
この約束がなければ、僕はその日大学へ行っていなかったと思います。そしてそのまま再び外に出られない日々が始まり、大学にも行けず、、、という恐ろしい事態になっていたと思います。僕がこうして今元気に過ごせているのは、その日京大野球部に行く約束をしていたから、引いては「京大野球部という存在があったから」だと確信しています。京大野球部という存在が、僕の人生を救ってくれました。
そんなこんなで気分の悪さを我慢しながら、約束通りに部室へ行ってマネージャーの話を聞くことができました。菜緒さんと#Mgr蒼依さんが優しくたくさん話してくださり、この野球部で頑張りたいという気持ちがより強くなりました。
それからも症状が収まることはしばらくありませんでしたが、毎日吐き気止めを飲んで大学へ行き、授業や部活の前に吐き気止めを飲み、今日も1日無事に帰ってこれたと安堵し、また吐き気止めを飲んで朝家を出る、という生活を繰り返していました。その左ポケットには、常に袋が入っていました。入部直後は常に気分の悪さと戦っていましたが、自分の状況を理解して無理しないようにと優しく声をかけてくださった近田さんや、この人たちの前ならどうなってもいい、信頼できる、と心から思えることができた先輩方や同期の仲間のおかげで、苦しいながらも楽しく部活を始めることができました。袋を手放すことができたのは、新チームに入ってからのことです。
そして今は何不自由なく毎日外へ行き、授業や部活に勤しむ生活ができるようになりました。



このような経験を経て僕が伝えたいことを書き連ねていきます。
・『起こっていないことだからこそ前向きにとらえてみることの大切さ』
テストの結果、受験、大切な試合、将来のこと、などなど人生にはどうなるかわからない中で迎えてしまう現実がたくさんあります。
どうなるかわからないことだからこそあれこれ不安に思ってしまうものですが、そこをうまく思考を切り替えて、「どうなるかわからないことだからこそ、そこに対してできるだけいいイメージで臨んでみるほうがいいじゃないか」といかに思えるようになるかが、受験だけでなく様々な場面で大切だと感じています。
・『休むことが必ずしも悪ではない、頑張り続けることが必ずしも正解ではない』
実際僕は4ヶ月ほどほぼ勉強に手をつけていませんでしたが、志望校に合格できているという事実があります。毎日休まず勉強を続けたら必ず合格するなどということはありません。
何事においても、とにかく日々のベストを尽くし続けていく、その連続だと思います。そのベストが「今日は休もう」、「今日はちょっと無理をしないでおこう」でもいいのです。今日は休むことがベストだと思ったら、休んでもいいのです。その休息が、長い目で見ると良かったと思うことも絶対にあるはずです。
休みたくても休めない日もあると思いますが、そこをうまくカバーしあい、労い合うために、同じ目標を目指す仲間という存在がいるのだと思います。
・『頼れるもの、安心できるものの存在、そして「どうなっても大丈夫だ」と思える環境を見つける』
そのような存在や環境は人によって異なりますが、それらがあることで人は自分というものを保ち、一歩踏み出そうとしやすく、そして前向きに考えられやすくなるのだと思います。
僕にとってそれは左ポケットの袋であり、京大野球部という存在でした。
頼るものを作ることは決して逃げではありません。何をするにも、どんなことを成し遂げるにもまずは自らが健康であることが何より大切です。
綺麗事ばかり言っていられないかもしれませんが、自分を大切にする手段は惜しみなく使ってほしいと思います。組織として成長していくために、より高みを目指して基準を上げていきながらも、まずはそこに所属する一人一人の人間の存在が大切であることをお互いに理解し合えること。そしてみんなが苦しい中でも心から助け合い、お互いの存在を認め合えることのできる仲間が集まった団体こそが、勝負どころで強さを発揮できると僕は思います。
僕は今、本当に様々な奇跡の連続でこのキセキを書けています。親身になって支えてくださった先生方、友達、そしてこんな状況でも受験することを応援してくれた、なんとか前向きになろうとたくさん働きかけてくれた両親には本当に感謝してもしきれません。
何より、僕の思いを繋ぎ止めてくれていた京大野球部という存在にも心から感謝しています。
僕が京大野球部に魅力を感じることができたのは、これまで数々の偉大な先輩方が京大野球部という組織を紡ぎ、築き上げて来られた功績や思いがあり、そしてそれを形として残し、僕のような1人の人間に届いていたからです。
これまで京大野球部に携わってくださった全ての方々のおかげで、今の僕は生かされているのです。
今度は僕がその一員として、
・こんなに素晴らしい組織を繋いできてくださった先輩方、応援してくださる方々へ優勝という結果や取り組む姿勢で恩返しをすること
・人生を救ってくれたこの組織で自分に求められているあらゆる役割をとにかく全うすること
・精神的に辛い思いをする部員を1人でも減らし、みんなが安心して楽しく、なおかつ真剣に部活に打ち込める環境を作ること
・頼れる、何かあっても大丈夫だと思える存在に少しでもなること
これらが僕が部活を頑張る原動力として根幹にあるものです。
今こうして笑ったり泣いたり、真剣に考えたり怒ったり、外で過ごす何気ない全てのことが僕にとってかけがえのない幸せな瞬間です。
そしてその中心に京大野球部があって、僕はもっと幸せです。
1年前までまともに外に出られなかった僕が、1年経てば憧れの大先輩とご飯に行かせていただいているのです。
人生うまくいくことばかりではないかもしれませんが、こんなこともあるのです。少なくとも当時の僕は1年後こんな素敵な生活が待っているとは思いもしませんでした。
"人生、何があるかわからない。これから先どうなるか、どんなことが起こるか誰にもわからない。だからこそ不安に思うこともあるけど、だからこそ人生というものをできるだけ前向きにとらえて、『今日は頑張った』『もっと頑張れた』などと思いながら日々自分自身のベストを尽くし続けてみよう。
でもそれは必ずしも毎日進み続けることだけではなく、休んだっていい。立ち止まったっていい。頼れるものや存在に自分を委ねたっていい。どんな行動をとったとしても、その行動の一つ一つが、いつか自分にとっていい方向に作用するはずだ、と思いながら生きてほしい。"
これがこのキセキで一番伝えたかったことです。
最後に。
入部前の僕には、京大野球部という組織の一員というだけで全員が輝いて見えていました。その思いは入部した今も変わっていないどころか、こんなにも毎日いろんな思いを抱えながら必死に頑張る仲間の姿を間近にしてより一層輝いて見えています。
京大野球部の一員というただそれだけで、かつての僕のような全国のどこかにいる誰かの憧れの的、希望になっています。全員の一人一人の存在が、です。そのことを部員の皆さんは忘れないでいてくれるとうれしいです。
僕もその一員として、自分にできることを毎日精一杯頑張っていこうと思います。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!
次は2回生内野手の#6叶羽です。
彼の野球の実力や努力量はさることながら、勝つ、優勝するという思いは誰よりも強く、結果を出さねばと自分の世界に入り込んでしまいがちなところを、チームとして勝つために周りにまで目を向け声をかけられる人です。本当にどこまで視野が広いんだ、と日々感心させられるばかりで、こんな同期を持てるなら一浪して正解だったなとも思います。チームへの責任感や部活に取り組む姿勢は見習いたいものばかりです。あまり抱え込みすぎずに、話しやすい人にいつでも頼ってね。
一方、彼はよくニヤニヤしながらマネージャー内のあれこれについて聞いてくるのですが、何もございません。いい加減に懲りてください。
そんなことより、某2回生捕手Yとの熱愛疑惑はどうなっているのでしょうか?ようやく彼から真相を聞けるかもしれません。
次のキセキも必見です!ぜひご覧ください!
そして彼へのご声援をよろしくお願いします!