いずれテーマ別にノートにまとめていくつもりですが、内規ができる前のパチンコ・パチスロ機(0号機)について軽く解説しておこうと思います


【パチンコ】


0号機時代のパチンコは「羽根物(飛行機台)」が主力で「デジタル式パチンコ(デジパチ)」「電役物」「権利物」「一発台」「平台」と、おおむね6種類のジャンルに分かれていました。ファンはこの中から好みに合った台をチョイスして遊んでいたわけです。


それぞれのゲーム性や射幸性はノートでまとめるとして、現代で主力の第一種について触れていきたいと思います。


デジタル式パチンコとは文字通りデジタル部で大当りを抽選するシステムです。大当りになるとアタッカーが一定秒数間開放され、Vゾーンに玉が入賞し続ける限り開放が継続しました。つまり、店側が定めた定量数になるまで玉が出続けたのです。出玉量は差玉込みだったので打ち込み玉がたくさんあると一撃で一万発以上出ることもありました。


それゆえ、客達は朝から打つより打込み玉がたまったハマリ台を狙って夕方から打ったりしたのです。


○一回目の規制が


あまりにも射幸性が高いという理由か、その後アタッカーの開放回数が最高10回までに制限され(継続しないパンクもあり)、アタッカーの開放時間が30秒に規制されました。(30秒機)


この時はまだ10カウント規制がないので、普通に打っていれば3千個程度の出玉が期待できました。


ところがその後さらに規制が入り、30秒開放が15秒開放に制限されたのです。(15秒機)当然一撃大量出玉が見込めなくなり、2度3度と大当りさせてようやく打ち止めになる展開が多くなりました。


中にはアタッカーへの寄りをめいっぱい良くして以前のように3千個の出玉を演出していたホールもありました。


○そして1号機時代へ


釘調整で出玉量をコントロールされてしまうという理由なのか、昭和60年の内規ができた年にアタッカー10ラウンド☓10カウントの1300 個機が登場しました。デジパチに限っていえは射幸性が極端に抑えられた状態で1号機時代を迎えることになったのです。(パチスロ編に続く)