今回は昔のパチと暮らした日々について語りたいと思います


昭和60年にパチンコとパチスロに内規ができ、いわゆる「1号機時代」が始りました。

この時、私はまだ上京したばからで住居もなく、事務所に寝泊まりしておりました。

ベッドの横には研究中のパチンコ台とパチスロが積まれ、3台はめ込める簡易シマもありました。朝起きるとすぐ横にはスロパチ、仕事が終わるとパチ屋にいき、帰ると夕飯の後またスロパチを回す日々が続いていました。


今でこそ家スロ家パチはめずらしくなくなりましたが、当時は自宅に台を持っている人などおらず、本当に特殊な世界だったと思います。そもそも一般人が中古機を買うことが困難でした。


私達がよくお世話になったのは、東上野にあった「松下商会」というお店です。もうないでしょうが業界の方なら知っている方もおられると思います。そこから台を仕入れて研究しておりました。


当時の仲間に牧野という人物がおりまして、東上野でパチンコ博物館をやっておりました。拝観された方も多いのではないでしょうか。今は地元の千葉で続けていると聞いています。


そんなわけで松下さんから仕入れた台が所狭しと積み上げられてありました。夜はTVをみながらスロやパチを回していました。当時人気のあった番組は


オールナイト・フジ

プレステージ

ねるとん紅鯨団

イカ天や赤星の子泣きじじいとかも観ましたね。懐かしい。そんな番組を横目で観ながら台を回したり、週刊誌のコラム記事を書いたりしておりました。まさにパチンコに始まりパチンコに終わる毎日でしたねー。


世間からすると極めて特殊な世界ですが、ここまでパチにのめり込んだからこそ、それ以後ビデオを監修したり専門誌の立ち上げを頼まれたりしたのだと思います。


まだ早いですが、思えばパチンコ三昧の人生でしたなあ。でもこんな男が一人ぐらいいたっていいでしょう(笑)