
当寺は本国寺の日陣上人が応永十三年(1406)に四条堀川に創建した光了山と号する法華宗本成寺派の本山である。本堂には本尊法華題目釈迦多宝仏を安置し、釈迦堂には日蓮上人の念持仏とつたえる金銅釈迦立像を安置する。また、鐘楼にかかる銅鐘は慶長十一年(1606)豊臣秀頼が大阪の法安寺に寄進したもので、家康が大阪の陣に際してこれを陣鐘に用いたといわれ、それをのちに大久保彦左衛門が拝領して当寺に納めたとつたえる
豊臣 秀頼(1593-1615)
父は豊臣秀吉、母は側室、浅井長政の娘淀殿。子は側室との間に豊臣国松、天秀尼。官位は前右大臣。幼名は拾丸(ひろいまる)と名づけられた。秀吉57歳のときの子で、大坂城で生まれる。1600年(慶長5)には石田三成らが家康に対して挙兵する関ヶ原の戦いが勃発、戦前は全国に240万石あった所領を、摂津国65万石まで減らされ、1大名の立場となる。
豊臣家と徳川家の確執が起るが、秀頼は秀吉の遺言もあり2代将軍徳川秀忠の娘千姫(家康の孫、母は淀殿の妹・於江与)と結婚し、右大臣となる。
1614年(慶長19)、方広寺鐘銘事件をきっかけに徳川氏と決裂し、大坂冬の陣が勃発する。翌年(慶長20年/元和元年)大坂夏の陣が起り、敗北。大坂城落城の際に母とともに自害、享年23。その後息子の豊臣国松は処刑されるが、娘の天秀尼は仏門に入ることにより処刑は許される。天秀尼の家系が今現存している豊臣秀吉の女系の子孫ということになっている。
JR京都駅から市バス17、205番で府立医大病院前下車、寺町通を北へ徒歩約4分
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