
【建勲神社】
祭神は織田信長・信忠。正式には「たけいさお」神社という。1869年、建織田社の名を宣下され、翌年には出羽天童藩主の織田信敏の東京邸内と天童城址に創祀した。明治8年に船岡山の東麓に社地を賜って遷座。織田信長の永禄・天正年間の戦乱に大儀を唱え、皇威を回復し、皇居を造営して朝議を再興した業績を、明治天皇が追賞して社殿を創建した。
織田信長 (1534-1582)
戦国時代の武将。尾張の戦国大名である織田信秀の嫡子として生まれ、長じて同母弟の信行との家督争い、周辺の今川氏や斎藤氏との戦いに勝利し、足利義昭を擁しての上洛を果たす。その後、義昭により武田氏、朝倉氏、延暦寺、石山本願寺などから成る反信長包囲網が結成されるもこれを破り、以後は天下布武を進め、楽市楽座、検地などの政策を取るが、本能寺の変で家臣の明智光秀に襲われ自害した。
既存の権威や勢力の否定、門地によらない人材登用、新兵器の活用などを通して、戦国時代を終結に導いたが、延暦寺焼き討ちなどの苛烈な政策は恐れられ、魔王(第六天魔王)とも呼ばれた。
織田信忠 (1557-1582)
安土桃山時代の武将。織田信長の長男。本能寺の変のときは信長とともに京都に滞在しており、宿所の本妙寺で本能寺が明智光秀に襲われたことを知り、二条御所(二条城の前身)に走る。信忠は休戦を申し出て二条御所に住まう皇太子(誠仁親王)を逃がさせ、手回りのわずかな軍兵とともに篭城したが、衆寡敵せずに自害した。
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