◆ | 受験日本史。意外に知られていない合格の秘訣。

受験日本史。意外に知られていない合格の秘訣。

受験生だった時、ある教師の導きで苦手教科の偏差値30UPを体験。それは決して特殊なこと、難しいことではなく極めてベーシックな盲点・コツを身に付けるだけだった。世間で人気を集めた学習法はウソだった。では、本物の偏差値劇UPのコツはどこにある?毎回紐解いていきます。

◆03年、05年学習院出題。承久の乱での没収地3000カ所。今年は出題されましたか?

私の勤務する高校の生徒から、ある噂を聞きました。

承久の乱で後鳥羽上皇方についた者が所領を没収された数3000カ所。

学習院で繰り返して出題され難関大学受験では、

ここまで必修で「これで差がつく」とか?

素人の感覚で言うと、

数字を教えてもらうと厳密なようで嬉しくなるが、

入試問題を作っている大学教授は

もっと別のところを重視している。

意外かも知れないが数字の出題頻度はかなり低い。

数字を習えば丁寧で厳密に見える素人の感覚と

入試の感覚は全く異なると思った方が良い。

3000の数字も学習院が気まぐれに

何年も前に2003年2005年に一度だけ立て続けに出したのみで

以後は殆ど出題していない。

ある意味珍しくもフェイントをかけたのだが

こういう出題例で

「連続して出題されたぞ!」

「また出るぞ!」

と受験生を煽り立てるセンセイもいたと聞きますが

学習院での

こんな連続出題は

後にも先にもこれきりである。

こういうものを大袈裟に煽って

難関大学合格の切符のように見せかけているならば、

それは詐欺まがいの受験指導だと言われても仕方ない。

そもそも、

こういう問題は

学習院大学にしても

早慶大にしても

上位で合格した者も

覚えていた受験生はほとんどいないのである。

こういう問題が

本番入試で出題されて解いてしまった場合

かえって危ないと思ってもらいたい。

たまたま出題されたのに

遭遇したかも知れないが

数年に一度あるかないかの問題である。

同じような数字を

入試の狙い目だと勘違いさせられて

全時代全分野にわたり

覚え続けてきたとするならば、

数年に一度しか出題されないことを

覚え続けてきたことになる。

その分、

もっと何倍も出題頻度の高いことを

おろそかにしてこなかっただろうか?

実は、これが

受験生の失敗の原因ナンバーワンなのである。

こういう出題例をネタにして、

巧妙な話術で

「難関大学入試の狙い目である」かのように

受験生に信じ込ませるならば

詐欺まがいの受験指導だと言われても仕方ないだろう。

入試の難しい問題だけを見せて、

こんな重箱の隅をつつくような難しい問題が入試の中心であるかのように見せかけて、

こう言うものを覚えないと落ちるような雰囲気を作り上げるならば、

それはパワーハラスメントと言われても不思議はない。

学習院大学が出題して以来、

「これで差がつく」と言って

強烈に受験生を煽り立てたセンセイがいると聞きましたが、

2016年入試で出題されて役に立ったでしょうか?

実は全く出題されていない。

当年に有名大学で出題されたばかりのものは

ホットな話題なので

受験生にウケ安い。

だから

「今年、早稲田が出した、!慶応が出した!」と

受験生を煽り立てるセンセイが沢山出る。

受験生にとっても

そういうものを覚えると

どんどん難関大合格に近付いている

ような気分になる。

しかし、

その正体は・・・

こういうマニアックな事項を

すぐに繰り返して出題することは

百に一つもない。

簡単に言うと99%の確率で

最低10年間は同じものは出題しない。

1%以下の例外として、

2014年、15年に連続して早稲田大が出題したのが

遣唐使で唐に渡り客死した阿部仲麻呂の中国名の朝衡。

2015年、16年に連続して早稲田大が出題したのが

大正期に初めて遠距離送電に成功した猪苗代発電所。

こんな出題例でも

「猪苗代発電所、早稲田が2015年、2016年

連続して出題した!

狙い目だぞ!!!!!」と

教えられれば、

猪苗代発電所を

覚えないといけない

雰囲気に追い込まれる。

しかし、

こんなものを

次の年に繰り返してくれる可能性は

1%未満。

こういうマニアックな事項を

片っ端から覚えようものなら

99%の確率で

外されてしまうということなのです。

この百に一つ、

僅か1%の出題例をネタにして

「早稲田大は、すぐに繰り返して出題するゾ」と

受験生を煽っていたセンセイもいたと

聞きましたが、

これはただのインチキですね。

ともあれ、

「今年、有名大学で、これが出題された!!!」

という情報は

一見、物凄い「お役立ち情報」に見えるのですが、

99%の確率で怪しいと思って間違いないですね。

こういうことは、

頭のよう受験生ほど

早く見抜いてしまう。

だから、見抜かれないように

練習問題などに

わざと改作・追加して

いかにもそれが、

いつものようによく出題される

頻出事項であるかのように

演出するセンセイも登場するわけですね。

なかには、

高2あるいは高3の春の段階で

強力に受験生を洗脳するセンセイもいると聞きます。

「入試は難しい問題が多くの割合を占める中心である。」

「入試は新課程教科書に掲載された特殊な事項が中心である。」

「難しい事項、新課程教科書に掲載された事項を

マスターしないと難関大学には合格出来ない」

ということを徹底的に受験生に刷り込み、

洗脳するセンセイも登場していると

聞きました。

さらに学歴詐称・予備校のなかで自分が

一番偉いかのように振る舞う、

ある意味、

ウソにウソを積み重ねて

宗教の教祖のようなカリスマ性を演出して

自分の言うことが絶対的であるように見せかけて

「基本事項は誰でもできる

つまらない事項で

難しい事項、

新課程教科書に掲載された事項が

難関大学受験の必須である」

かのように

信じ込ませる

センセイもいると聞きました。

つまり、早慶上智大・旧帝大に

上位で合格した受験生すら

知らなかったことを

必修だと信じ込ませるわけです。

難関大学受験は

素人目には

いかにも難しそうに見えますから

いかにももっともらしく見えるのも事実です。

しかし、実際には

このブログで伝えてきたとおり、

たとえ早慶一橋においても難問は

極一部の問題にしか過ぎない。

難問・特殊な問題は

目立つし印象に残りやすいので

実際の数より多く見える。

しかし、

現実には極一部の

少数にしか過ぎないのです。

難問や特殊な事項が入試の中心なんて、

受験生に刷り込むことは

受験生を

一年間にわたって

騙し続けることなのです。

受験生を商売に巻き込むためには

難しい面だけを強調して

騙すのが

手っ取り早いという

考えなのでしょうか?

「難問が入試の中心、

新課程教科書に掲載されたことが、

入試の中心である」と

刷り込まれ、

思い込まされようものなら

極一部の問題が入試の中心であると

思い込まされ、

それを重点項目だと思い込まされるわけですから

学力がのびるわけがない。

たとえ、

浪人して

もう一年頑張ろうという場合でも

その思い込みから解放されない限りは、

滅多に出題されない部分を

重点的に勉強する姿勢は変えられないわけですから

希望する大学に入れる可能性は

低くなるでしょう。

さらに

難しいこと、

新課程の特殊な事項が入試の中心だというウソを

あくまでも押し通して

商売のネタにしたい人にとっては

受験生が入試問題を

自らしっかり見て

入試問題の本当の姿をつかんでもらっては困るわけです。

自分たちのウソが全部丸見えになりますから。

こういうセンセイがウリにしているマニアックな事項、

新課程教科書に掲載された事項は実は滅多に出題されないことばかり。

受験生が、本物の入試問題を集めた入試問題集を沢山こなして

入試問題の本当の姿を自分で理解してしまうと、

すぐに彼らがウリにしている

マニアックな事項、新課程教科書掲載の特殊な事項が

実は滅多に出題されないものだったという

インチキはすぐにばれてしまう。

そういうわけで、

自分がウリにしているマニアックな事項、新課程教科書の特殊な事項を

わざと追加した問題だけを見せ頻出事項に見せかける。

それ以外の本物の入試問題を編集した問題集は、

色々な手を使ってやらせないように仕向ける。

そして、一問一答のみを紹介する。

「これは必要最低限の事項です。まず、これを完璧にしなさい。」

一問一答はZ会の一問一答のように

多少内容を絞り込んだものでも

相当に難しいことも含まれているから、

これを完璧にマスターしようとすれば、

それだけで一年終わってしまう。

本物の入試問題を使った問題演習をする時間は殆どなくなる。

これでは、自分で入試問題の本当の姿を理解出来ないから、

マニアックな事項・新課程教科書の特殊な事項が実は、

今までも出題されなかったし、

実はこれからも滅多に出題されないことを見抜けない。

一年間騙されたままで終わってしまう。

最悪の場合は二・三年騙され続ける。

しかも、正誤判定問題・論述問題は、

本物の入試問題を使ってしっかりとトレーニングをしないと得点力がつかないから、

一問一答のみにハメられた状態だと最悪の結果を生んでしまう。

でも、実際に出題された入試問題に

たくさん取り組んでみると

本当に入試で必要なものは何なのか

受験生自身の手である程度はわかってくるものです。

傾向のあらましも分かってくる。

巷で一部のセンセイが煽っている

マニアックな事項、

新課程の特殊な事項が、

出題されるにしても

いかに滅多に出題されない事項か、

自分自身の手で理解できるのです。

受験生を利用して商売しようとするセンセイは

受験生に自分で傾向を掴んでもらっては

商売になりませんから

このことを頭ごなしに否定して隠そうとするでしょう。

しかし、

彼らがどんなに抵抗しても

本当のことは

どんどん広まって行くものなのです。