ニュースで千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を修しておられる方のニュースが取り上げられております(^u^)
仏教の事が取り上げられるのは嬉しい事です
浄土真宗開祖の親鸞聖人も同じ修行、それ以上に厳しい修行をなされたと言われています
比叡山での修行の時は範宴(はんねん)と名のっておられました
お師匠様、後の天台座主(てんだいざす)慈鎮和尚(じちんかしょう)様が千日回峰行よりも厳しい修行を終えて帰ってくるであろう範宴を待ちわびていましたが姿がなかなか見えない
修行の途中に命尽きてしまったか・・・
そう思った時に意識が朦朧とした範宴が帰ってくると、涙を流して慈鎮和尚はお喜びになったそうです
抱きかかえられた範宴の顔に慈鎮和尚の涙が落ちて、我に返った範宴に
「救いの道は得られたか?」
とお聞きになられますと
「身命を捨てて修行をしても、仏の悟りは見えてきません」
と言われたそうです
修行は、ただ行えば良いのではありません、悟りの・仏の証果を得られなければなりません煩悩を絶ち、仏様から悟りを開いたと認められなければなりません
しかし親鸞聖人は自らは煩悩止む事なしと自己を見つめて行かれました
厳しい修行で悟りを開くことのできる方は僅かな方にしかなしえません
根気の劣った者の救われていく道がお念仏の教えだったのです
その厳しい修行をえて、万人が救われる念仏の教えを紐解いてくださったのが親鸞聖人なのです