運命というのは、なんですか?

宿命というのは、なんですか?

定義がよくわからないのですが、ある人は、

「運命は、変えられる」と言った。

ほう。そういうものかと思った。

そいで、その人は、「運命を変えるには、お経をよんだりして修行する必要がある」と言った。

ほう?そういうものですかな??

ふむふむと話を聞くと、どうやら「お経」をあげることで、身を清めれば「運命」を変えられるそうな。

私は、こう言ってみた。

「私のハゲは、先祖代々のもので、祖父も父もハゲ。兄貴もハゲ。おまけに義理の兄までハゲ(それは関係ないかw)ですが、私も、もうやはりかなりきとるのです。

こればっかりは、遺伝のもんなんで、ノンシリコンシャンプーしようが、頭皮マッサージしようが、ましてやお経をあげようが、修行しようが、やっぱりハゲるよね。」と。

そしたら、「それは、宿命だからどうしようもない。宿命は運命と違って変えられないから」と返ってきた。

ちょっと待ってくださいと。

私のハゲは、宿命ですか。。。

なんとも哀愁の漂う決めつけですな。

でもね。いやね。

その場は、それで終わりになりましたが、よくよく考えてみた。

ハゲにも希望がありまして、「発毛剤」とか、「ips細胞」とか、男性ホルモンを抑える薬っだとか、そういうハゲ界では、こう、まばゆいほどの希望があるのですよ。

現段階においても、お金と努力で、ハゲは治せるまでもいかなくとも、ハゲる速度を緩めるだけでも可能なわけです。

近未来では、ハゲても増やせることももうわかっているわけですよ。

ということは、なんですか。あれですか。人間は「宿命」をも凌駕した医療の境地に達したのでしょうか?

いやいや、でも「宿命」は変えられないのでしょ?

ていうか、「俺はハゲる宿命だ」というのは、やっぱり日本語としてもしっくりこないですよ。

やっぱり「俺はハゲる運命だ」というほうがしっくりきますよ。

ハゲは宿命ではなく、運命ですよ。

そう考えたほうが色々とうまく考えられますよ。

ハゲは運命だから、「変えられる」のです。

しかし、ハゲが運命だということは、「その人」が言う「お経」だとか、「修行」なんてのは、運命を変えられるほどの効果のないものだと思います。

ふさふさの仏教の坊主もたまにいますけど、ハゲとる坊主も多々いますからね。

奴らは、頭皮丸見えのヘアスタイルが多いですからね。よくわかります。

いい加減なことを言うもんじゃありません。

ハゲは運命でしょ。

変えられるのです。

そういう私は、前述したように、もうかなりきとるわけですが、

毛髪には未練を残すことなく、潔く運命を受け入れ、ズル剥けの頭で
「ハゲでわりぃか!」といわんばかりのハゲ頭を世間にさらし、

生きていくわけです。
潔く運命を受け入れ、