物というのは、唯物です。

それそのものは、それしかないものなのですが、

それを裏面から見るのと、表面から見るのと、左右側面や斜めから、上から、下からと色んな見方ができます。

その見方で、判断が変わってきます。

ある人は、白と言い、ある人は、黒と言う。

別の人は、青と言い、また赤という人もいます。

ある意味、人の数、価値観の数だけ「その物が存在する」というようにも考えられます。

正しく言えば、「物は一つなのですが、見方は複数ある」なんでしょう。

ただ、一つの見方しかできないのか、複数の見方ができるのかが大事なところだと思う。

これは白だ、
いや、黒でしょ、
赤だと思う、
青に違いない。

そんな言い争いをするのは、馬鹿らしい。

白にも見え、黒でも納得し、赤でも良いと思え、青なのかもしれないと考えることこそが正しい物の見方ではないかと思う。

そこに、いや、金色だと今までなかった意見を聞けば、何故それが金色に見えるのかと考え、問い、思考したらよいと思う。

これは、こういうものだと固執してしまうと、どうも頑固になりすぎて仕方ない。

別にその物を何色だと決める必要もないし、決めたところで、どうということはない。

単なる自己満足なんですよ。