3月11日14時45分…
何をしていたのか、はっきり覚えています。
私はフロントで、ホテルの近所に住むおばあちゃんの接客をしておりました。
その日は、風が冷たく3月とは思えないくらい真冬日でしたので、おばあちゃんに温かいお茶をお出して、しばらく和やかな雰囲気の中お喋りをしていところ…
目眩を起こしたのか?錯覚してしまいそうな揺れが、だんだん強くなり…
とっさに私は隣にいた従業員の手を思いっきり握り(←すみません。)
おばあちゃんを落ち着かせ…守っていました。
冷静に考えると、ホテル従業員より、おばあちゃんが一番落ち着いていたのかも知れません。
ホテルに備え付けられている地震速報のラジオがオンになり、事務所からフロントまで鳴り響いていました。
地震がおさまり、事務所のテレビを見ると津波警報が出ていて
画面に映っていた映像は、普通の市場の上から見た風景でした。
『結構揺れたな…』くらいしか、その時は思わず
念のためテナントにあるボイラー室を見てきました。ボイラー室は異常なく、テナントに顔を出してテレビを見ると
先ほど見ていた市場が水に浸かっていました。
そして急いで事務所に戻ると…
ほんの数十分で…
車が…そして…お家が…
今回の目が回るような揺れは、阪神大震災のときに似ていた気がします。
仕事中だった私…
11日は直ぐに満室になり、お家に帰れなくなった人たちの電話が…夕方から鳴りっぱなしで夜中まで鳴り響いておりました。
お家に帰りテレビをつけると…あまりにもの衝撃に…涙がこぼれました。
そしてまず、東京にいる父親の安否確認…
(こんな時、家族が一緒に住んでいたらな…って思います)
横浜に住むお友達
東京に住むお友達
新潟に住むお友達
そして…福島県相馬市に住むお友達の安否確認をしました。
私のお友達は無事でしたが…
今は原発が心配です。まだ小さな子供がいるのに…
避難せず、自宅待機しています。
食料は、お米が1家族5キロのお米を無料配布していたりして大丈夫みたいですが…
私は不安です。
私の住む街に来てほしい。そしてその家族は、ある雑誌の4月号に大きく福島県の道の駅、水族館などの特集に映っていたのです。
家族全員笑顔で写っているのです。
そして…その水族館は停電により…たくさんのお魚さんが…
道の駅も…どうなのでしょう…
それでも、私のお友達は毎日元気だよ!と私よりも明るい
を入れてくれます。 地震直後は、なかなか
が届かず 日中は圏外で明け方なら電波が入るみたいで
朝4時、5時に
が来ていました。
が頻繁に出来なかったけれど、私にとって毎朝入る
が…とても温かく 今日も頑張ろうね!と思えるようになりました。
逆にね、元気にしてもらった。
今でも安心出来ない状態で不安で仕方ありませんが…彼女の明るさで気付かされたことがあります。
たくさんの人がお亡くなりになられ、彼女のお友達も、親戚も…
それでも生きてる以上頑張って生きないといけない。
そして生きていることが、どれだけ幸せなことなのか。
1日1日を大切に生きたいと思います。
そして、今自分に出来ることを一生懸命やりたいと思う。
絶対に忘れてはいけない出来事。私は12日の朝刊、夕刊を残してあります。
未来の自分の子供にも…
だけど日本中ずっと暗いままではいけません。
生きてる以上、仕事が出来る以上、私たちは頑張らないといけません。
そうやって思わせてくれたのは、私のお友達です。
だから…
ブログを再開したいと思います。私なんかのブログなんて別にって感じだけど
またお付き合い宜しくお願いします。
もも