ゴールデンウィークって
だからこそ書きたいものが
次々と浮かんできちゃう
ゴールデンウィークというワードで
私のなかに浮かぶ智くんのアートのあとひとつが
『ちょんまげの子』。
2013年
4月28日〜5月6日まで京都の禅居庵で開催された
禅居庵×FOIL 現代美術作家グループ展
『やろや、やりたいことを。』
このグループ展に智くんの『ちょんまげの子』が
匿名で展示された。
それはのちに、2015年『FREESTYLEII』作品集で
詳しく語られることになる。
当時の私自身の思い出を先に語らせてもらうと
智くんに堕ちた2013年夏。
大野智という人を知りたくて知りたくて、夜が明けるのも気付かないくらいに、ひたすら検索していたあの頃
京都のお寺に、智くんの作品らしき絵が匿名で展示されている、という噂があったその年の5月。その噂をキャッチしたファンの方が
行けた人、行けなかった人、
後日いくつかエピソードがSNSで見られて
あぁ…もう少し、あと半年早く、ファンになっていたなら、迷いなく有給取って京都へ馳せ参じたかったなぁ、と悔しい思いをした
懐かしい思い出
当時のネット記事⬇️
ネット記事に書いてあった内容要約⬇️
【このグループ展は大野と親交の深い世界的現代アーティスト・奈良美智が参加している。奈良氏が関わる展示会で「子どもの侍の絵」が、無名の作家の絵として展示されていた。現地に行ったファンによると、その絵を描いた人は無名の新人作家扱いで、急きょ持ち込まれて展示が決まったため、パンフレットにも載っていなかったそう。入り口看板には参加した7人の作家さんの名前に加えて手書きで『To. A. S. K』とサインが書かれていて、ゴールデンウィーク後半にはその看板も撮影禁止になって、警備もついていたとか。】
その時まだファンになってない私には
当時のネット記事だし、真偽のほどはわからないけど
これがホントなら、作品集だけではわからなかったことがわかる大切なエピソード
それを踏まえて『FREESTYLEII』作品集インタビューを読んでいくとまたいい。
すごく、いいの。
2009年から2015年の個展開催までの、智くんの気持ちの流れと、環境の流れ、それが何となく合致していく感がある。
2009年。
嵐10周年の記念の年であり、
奈良さんとの出逢いがあった年。
この年の3月に『歌のおにいさん』の撮影が終わって、ちょっと落ち着いたから『ちゃぶ台の細密画』を描き始めた、と。それを描き始めた理由を
正直、自分がどうなるのか、どうしたいのかっていうのが分からなくなってた時期だったから。自分なりに何か楽しいこと見つけなきゃと思って。
前回の『タツノオトシゴ』が楽しかったから、そのもっと大きいのをやろうと描き始めた、と。
どうして、また描き始めることができた?
との質問に、
やっぱり…''自分の居場所''的なことだったんじゃない?
と。描くことで何とか自分を見つけようとする智くん。でも、やりながら行き詰まってたんだよね(苦笑)。
その頃に『NEWS ZERO』の対談で奈良さんに出逢い、よく飲み語りするようになる。こうしてみると、奈良さんとの出逢いも必然だったかのようにも思える。
描けない苦悩を奈良さんに話す智くん。
すると奈良さんは
「違うのを描きなよ」 「何をやったっていいんだよ」
「水彩とかやってみたら?」と。
そんななかで智くん
2009年〜2010年の嵐10周年の1年は、そこから自分の中でもいろんな事がハッキリしてきた。 と。
智くんって
自分の中のモヤモヤとちゃんと向き合う人だなって
思う。
例えば、そういう不確かな感情ってなんとなく自分のなかにあっても、気付かないようにしてスルーする選択肢もあって。その選択肢が悪いわけじゃなくて、智くんってそういう感情も自分の感情として一旦受け入れて、その上で自分はどうしていくか、と考え、ひとつひとつ乗り越えて次に進んでるって感じがする。
そういうところが 真面目で不器用なのかもしれないけど、そういう智くんが大好きだなって思う
「自分の中でもいろんな事がハッキリしてきた」
奈良さんに、描けないことを話せたことも、自分を見つけるキッカケのひとつだったのかも、と想像する、
2009年から2010年。
奈良さんの助言で
2011年。
1月3日から描き始めた『水彩画 怪物くん』。
(奈良さんが) 今、細密画に行き詰まってるなら、水彩画をやってもいいんだって言ってくれて。『怪物くん』で水彩を改めてやってみたら…めちゃくちゃ楽しかったんだよね。
あらためて水彩をやったら楽しくて、やってる最中に新しいアイデアが浮かんでしまうほどに、描くスイッチが入る。
そうして『水彩画 怪物くん』が終わってすぐ、新しいアイデアの『ちょんまげの子』に取り掛かった
2011年3月。
ところがその年
3.11 東日本大震災が起こり、再び描けなくなる。
(ちょんまげの子の)顔は描いてたんだけど…そこからまた、全然描けなくなっちゃって。そこから、その年はまたずっと止まっちゃったんだよね。
この時期の智くんの気持ちがよく伝わってくる
2012年6月の『MISS』。
10周年が一つの区切りだったから、それが終わってからはよくわからないんだよね(笑)。忙しいし余裕なんてないけど、いろいろなものを越えちゃって現実感があまりない。
今の状態が理解できないのかもね。
今の僕の状態は(噴水が吹き上がるようなしぐさをして)、このいちばん上に自分がいて、まわりの人たちが下から吹き上げてくれている感じ。自分の力じゃないから、何が起こっているのかよくわかってない。
「わからない」と
ふわふわした感じの心情を吐露する智くん。
描けていない上に、 『怪物くん』期が長く、続けて 『鍵部屋』期に入って 自分を整える時間が無かったんじゃないかな、と想像。
さっき書いたようにひとつひとつ、向き合って乗り越えていく智くんには、自分の心を整える時間が必要だと思う。
この時期にも奈良さんに
描けない苦悩を話していた智くん。
その時も、奈良さんに言ってたんだよね。「描けないんだ」って。そしたら「それでも描け」って言われたの。
「描けなくても描くんだ」「それでも描くんだ」って。じゃあ、描くなら『ちょんまげ』の続きかなって。で、2013年の1月から、また描き始めたの。
2013年。
この年の前半、デビュー以来初めての長期休暇。
で、完成したんだよね。それが…3月ぐらいかな?2013年の2月か3月。
苦悩した『ちょんまげの子』の完成のタイミングで前回の個展のスタッフさんから、グループ展展示の話しがあった、と。
俺も完成してたから、それを見せて。そしたら「話が早い」ってなって(笑)。そこから、結構流れが良くなった。
個展開催への流れになっていった、と。
グループ展についても事務所からも「いいじゃない」
と言われて
禅居庵の話が (事務所に)通ってからは…自分の中でも計画的になっていった。
ー個展をやるっていう前提になってきた。
なってきた。
ちなみに
2009年から2012年までの
この時期の 智くんの''描けない'苦悩''は、
2016年から2019年までのそれとは
私は、全く別物だと思ってる。
禅居庵に話しを戻して
作品集に書いてあるように
この時、タイミングがあって京都、禅居庵に見に行けた智くん。自分の個展と違って、匿名での展示だから鑑賞する人のリアルな反応を肌で感じる。
興味ない人はパッと見て、一瞬でいなくなるんだよね。それは新鮮でもあるし、ショックでもあり… (中略)それがリアルな反応なんだなって。
そんななかでも
一回さらっと見ていなくなった人が、もう一回のぞきに来たり、ずっと見てる人がいたり、作品を見ていいなと思って問い合わせしてくれる人がいたり。
匿名での展示だったからこそ、ファンの反応とは違うリアルな反応が嬉しかった、面白かったと語る智くん。
また、グループ展の主催者の方たちが
年に200件くらい持ち込みがあるその中でも、1組ぐらいしかない、自分がピンときたものしか受け入れない。
インタビュアーの米川さんいわく絵を見る目、言葉に、一切嘘がない方。 そういう人が、俺の作品を見て、飾ってくれたっていうのが…なんか勝手に、うれしいなって。
米川さんが、その経験を
すごく貴重な経験でしたね。 って。
なんか、こうして書いてると
いろんなことが偶然ではない感じもしてて。
奈良さんとの出逢いのタイミング
ちょんまげの子完成と禅居庵展示の話しのタイミング
もしかしたら
智くんが引き寄せているのかも。
この2013年の1月から描き出して、5月の展示と、そこから流れが 個展開催に向かって少しずつ本格的になっていき、どんどん創作が進む智くん。
2013年
『ちょんまげの子』仕上げ
『フィギュアサイトウくん』
24時間テレビ草間さんとのコラボチャリTシャツ
『油絵 みっちゃん』
2014年
作品作りとは別に前回の作品撮影をしたり、死神くん撮影の時期にも落書き的に書いていた、と。
『パグちゃん』取り掛かり
2015年
『パグちゃん』仕上げ
『カサゴのフィギュア』
連作2作目『パグちゃん』
こうして怒涛の創作期を経て
7月『FREESTYLEII』開催。
『油絵 みっちゃん』に取り掛かる智くんが、奈良さんにいろいろ教わって、画材一式そろえて、ご飯食べながら奈良さんに俺、頑張るね! って。その言葉からは、迷いなく一心に創作へ向かう智くんが感じられて
そんなふうに言う智くんの表情が
目に浮かぶようで、なんか胸がいっぱいになる。
禅居庵のグループ展の展示が、智くんのアートに良い影響を及ぼして、2回目の個展開催へのひとつの大きな流れになっていったのは、すごく素敵な事、嬉しい事だなぁって。
2013年は智くん的に
いろんなことが整った年だったんじゃないかと
思う。
だからこそ
それを経て迎えた 2014年、嵐15周年ハワイ
葛藤はない と、たくさん振り返って、たくさん流した涙と共にスッキリできたんじゃないかって
智くんが常に、ひとつひとつの感情を蔑ろにしないで、向き合い乗り越えていってるから、一貫性があってつながりを感じる。だから、智くんの言葉や行動で、これは智くんっぽくないな、って思うことがあんまり無い気がする。
だからこうして、
智くんを追っていると和むし、癒されるし
自分もより良く生きたい、って思う。
2008年の『FREESTYLE』の始まりが
フィギュアを100体作ったタイミングで、個展をやりたいと事務所に直談判した2006年だったように
2015年の『FREESTYLEII』の始まりは
自身の思い出深い京都で、『ちょんまげの子』から貴重な経験をすることが出来た2013年だったのかな
なんて
勝手な想像をめぐらす智くん探しの時間は
私もただの私で居る、大切な時間。