前の記事に書いた
ニノちゃんが教えてくれた智くんの

「最高でしたぁ❤️」

ここからいろんなところに波及してって


柔らかで穏やかで優しい智くんの言葉は
性格からくるのかな
的なことを書いたんだけど。

コメントで

プレゾンの時の智くんが
「お稽古」
って言ってたことを教えていただいて

若かりし頃
こういう言い方が自然と出てくるっていうのは
お母様の育てかたがいいんだなって

あらためて思った。

もちろん元々の性格もあるだろうけど
幼少期から愛情たっぷりに育てられた智くんは、そういう部分が満ち足りているんだと思う

人に対しての

接し方とか使う言葉とかが
柔らかく穏やかで優しいのは

そういう意味で智くんって
育ちがいいんだよねって思う



さっき愛情たっぷりって言ったけど
親のエゴではない
子供にとってちょうどいい愛情のかけ方。


「適度に放っておいてくれた」
そんな話しをしてたな、とまた雑誌をめくってみたらあった。また2016年の『MORE』笑。



【家族と過ごす時間はずっと"宝物"】
彼がひとり暮らしを始めたのは、ほんの数年前のこと。それまではずっと家族と暮らしていた。

家族とは、もともと、ずっと仲よかったからね。離れてみても何も変わらなかった。一緒に住んでた時も適度に放っておいてくれたし、今も時間ができればすぐ実家に帰るしね。帰ったら、相変わらず母ちゃんの話を聞いたり、父ちゃんと飲んだりしてる。

父ちゃんと飲みながらささいなことを話してるけど、最後には必ずお互いに感謝しあってるって(涙)

「そもそも、父ちゃんと母ちゃんが結婚しなかったら、オレここにいないんだから、ありがとう」って。延々と、感謝しあってる。それも、家に帰って一緒に酒飲むたびに毎回やってるの(笑)。それをそばで見ている母ちゃんが、「またふたりで同じ話してバッカじゃないの?」って笑ってるんだ。


このエピソードほんと好き。
何気ない日常の話しなんだけど、あったかいものがもうホント伝わってくる

智くんの名言のうちのひとつ
「いつも産んでくれてありがとう」も

たまたま偶然出た言葉じゃなく、こういう家族との関係性から自然と出てきた言葉なんだよなぁ、きっと。


Voyage OHNO‘S Diary で

高校を3日で辞めた話しをしてた時も
うちの母ちゃんも(高校を)無理やり行く必要無いって人だったから「ああ、わかった」って感じだった。

デビューが決まった時
家帰って母ちゃんに「デビューっぽいんだよね」って言ったら母ちゃんが号泣してた。

「京都行ったり頑張ってきたあなたがいたから」みたいな。何とかならんかなとは思ってたらしいんだよね。で、めっちゃ泣いてたのは覚えてるね。


高校辞めるって言う息子に
「ああ、わかった」って受け入れるのって一般的にはなかなか勇気いることだと思う。


少し自分の話。私も息子から「高校辞めたい」って言われたことがあって。私、それまでほとんど息子のやりたいことに反対したことなかったんだけど、高校辞めるのは反対した。もちろん頭ごなしにではなく理由を聞いた上で、お母さんはこう思うって話して。結局辞めずにその後、いい先生や友だちに出逢えて、大人になってから「あの時辞めなくて良かった」って言ってた。



「ああ、わかった」って

そのまんまの智くんを
そのまんま受け入れる"母ちゃん"。

でもデビューが決まって号泣。
きっとたくさん心配して
智くんの頑張りをただただひたすら見守ってきた

智くんの"母ちゃん"の大きさ、広さ、みたいなものは、智くんの話すことからいつも伝わってくる。



そういう環境もあって
私たちの大好きな「大野 智」という人が
存在するんだなって、なんだか胸熱。




※。.:*:・'°☆※。.:*:・'°☆




ニノちゃんの

智くんにバッタリ遭遇した話や
「最高でしたぁ❤️」エピから

都内に居るんだなぁ…なんて思うなかで

今、事務所が活動休止前から大きく変わってしまった状況で、帷子を外して自分の思うように日々を過ごせているんだろうか…って

よく考えるんだけど



VIVANT のモニュメントを撮って
ニノちゃんに送る智くんから思い出した。

『Record of Memories』のパンフ

ー休止後、どう過ごすかは考えていますか?
まだあまり考えていません。電車に乗って"日本一週ラーメンの旅"とか、たまに考えるけど(笑)。行き当たりばったりでどこかの店にふらりと入ってもいいし、ぶらっと街歩きしてもいいし。訪れた先で船に乗ってもいいし…多分、何か、小さくて当たり前のことをしてみたいのかもしれないね。


「小さくて当たり前のこと」

VIVANT エピは

行き当たりばったりでどこかの店に入ったり
ぶらっと街歩きしたり

そんなまさに「小さくて当たり前のこと」の最たるものなのかもしれないなって


智くんが
変化していく状況のなかで…それに流されることなく自分の思うように日々を過ごせているのなら


私も頑張んなきゃウインク








前の記事で

『嵐を旅する展覧会』の『OHNO ROOM』のことを書いたからかな、また智くんの自画像を観てた。スクショしたやつ。


あれね

ずっと観てられるの


大胆な筆の運びとか
右目のなかと眉毛の赤と黒の色選びとか
左目の白く絵の具が立体的になってる奥のほうとか
髪の毛のカラフルな筆運びとか色使いとか
ゴールドのぐるぐるとか
そのぐるぐるの上に
右上にすぅっと抜けてる白い部分とか


いくらでも観てられる


2020年。
『FREESTYLE2020』開催のために
描けなかった長い期間を経て、新たに描いた新作
『パグちゃん』『ジャニーさんの肖像画』『大型細密画』

そのどれとも違う描きかたで。


智くんの作品のなかで
こういう描きかたのは他に無い気がする


『抽象画』や『カイト』のジャケットになった作品とかがちょっと雰囲気が似てるかなと思うけど、でも違う



作品集で
2020年最初に描いた『パグちゃん』なんかは智くん当初、あんまりリアルに描くつもりはなかったのに、色を重ねて重ねてかなりリアルな仕上がりになった、と。

それを性格なのかなぁ(笑)と語ってたけど

2015年の『パグちゃん』は描き込まない手法。

人物の「顔」という点では『みっちゃん』だけど、あれも相当色を重ねて描き込んでっていう、奈良さんの手法をリスペクトした作品、だと思う。


筆の運びに勢いがあって
描き込む、というよりは筆を走らせてる感じ


どの作品とも違う『智くんの自画像』。

見えないだけで描き込んでるかもしれないけど、全体が「白」の印象だからそう感じるのかも。



当時の時系列
『FREESTYLEⅡ』開催期間
東京が2015年7月24日~8月23日
大阪が2016年3月3日~4月3日

その大阪個展のみの展示

描いた時期を思うとき
2015年8月頃から2016年2月頃が可能性としてはあるわけだけど

ARASHI BLAST in Miyagi ツアーの日程が
2015年9月19、20、22、23日。

Japonismツアーの日程が
2015年11月6日~12月27日。

それを思うと
年末の忙しさを経て年明け2016年1月頃描いたんじゃないかな~と勝手に想像

8年前のちょうど今頃、お正月少しのんびりしてから、『世界一難しい恋』撮影に入る前に描いたのかなぁって


もちろん
ホントのことはわからないけど



なんで時期を明確にしたがるかって

2015年頃までは自分の顔を描くのはイヤだって言ってた(『愛を叫べ』の特典映像でJALの特別塗装機のデザイン画のインタビューでそう言ってた)智くんが突如として、あの大きな自画像を描いた心情を思う時

描いた時期と手法は
私にとってとても重要。


だって
智くんのなかで何かが変わったから
だと思えるから



2014年ハワイでたくさん泣いて、たくさん振り返ってスッキリして、もう葛藤は無いと語った智くんが

2015年9月のことがあり
智くんのなかで、何かが変わった

『智くんの自画像』は、その象徴だと思う。







事務所の状況がどのように変わっても

智くんの作品たちが、大切に、智くんのものとして保管されることを切に切に願い

またいつか見せてもらえることがあれば

幸せ