宿毛に行く用事で途中、黒潮町を走っていると、上川口駅のところに朝鮮国女の墓という看板があります。
気になったので、行って見ました。
道路が狭いのでとっても不安でしたが、線路を超えると見えます。
花まで供えてあります。
墓碑の文章
文禄・慶長の役に出陣した長宗我部元親に従って朝鮮国に渡った入野郷上川口村の土豪小谷与十郎は、帰国に当たって、若い機織りの女を連行してきたという。彼の国の進んだ機織の技術を近郷近在に広めた彼女は美しく、優しく、土地の人々に愛され慕われたと言い伝えられている。
祖国朝鮮への望郷の念を抱いて寂しく異国の地に果てた機織女は、上川口村桂蔵寺の小谷家の墓域に葬られた。墓碑を建てたのは与十郎の四代の孫小谷安次である。天正年中来と刻んだのは、文禄・慶長の役の強制連行の痛ましさを隠したかったからであろう。卒年と刻んだのは尊祟の念からと思われる。
代々、土地の人々に守られてきた墓は桂蔵寺跡から移されて現在地にある。
いま、この朝鮮国女の墓を世に顕さんとするわれわれの志はこの悲劇の一女性の霊を慰めるとともに、それを通して、日本と朝鮮両民族の友好と連帯を誓うところにある。
1981年7月7日
朝鮮国女の墓を守る会
文禄・慶長の役といえば、豊臣秀吉が1590年代に行った朝鮮出兵のことです。
500年近く前の墓がまだこんなところで守られているなんて。