2015激動の1年
キム・ヒョンジュン 暴行、妊娠?
そんなジョギングなニュースで始まり
どれどけ落ち込んだ年始め、
でも、それは私にとっては激動の始まりのスタート
だったのです。
2015年1月
3年前から乳癌の疑がいで、経過観察していた
私に乳癌の診断が下りました。
いつかはなると思っていたので、そんなには
ショックではない、
でも、全敵術だから…やっぱりショックです。
ヒョンジュンのツアーが終わるまでと準備を
延ばしてもらい
いざ、全国ツアーへ
手につかめる距離で観れる、会場もあり幸せ
だったのに
名古屋公演でインフルエンザ
1日目は参戦できず
その後の福岡、広島体の回復しないまま参戦。
そんな中
ヒョンジュンの追加ツアーのお知らせ
体調が悪いまま、🎫を取り
幕張メッセへ行くつもりでした。
でも友達が、(こんなに真剣に叱ってくれる友達は始めてでした)ヒョンジュンは、また何時でも
会える
でも、このまま手術延ばして
あなたが死んでしまったどうなるの…
怒って泣いてくれました。
自分の事しか考えて無かった自分に反省
幕張メッセは諦めました。
この後、ヒョンジュンの幕張メッセの行動
みんなのツイに
なんでこんな病気になったんだ
なんでこの時期なのと、泣けました。
乳癌の手術日も決まり
全身転移がないかの検査結果が出ました。
脳腫瘍、顎に腫瘍?らしきものが
頭が真っ白になる、そんな言葉があてはまります、
その後は、ただ泣けるだけ
家族のささいな行動に腹が立ち
当たり散らかす
主人か泣く…
私は死なない、泣くなー、と
家を出、山の中でひたすら泣いていた。
母のお墓で泣く…
そんな日々でした。
乳癌の手術が終わり入院中、職場の管理者から
仕事辞めるとの連絡
今…なの
取り敢えず退院して職場へ
右側が痺ひ動かすこと痛みがあるなか
とりあえずの仕事かたずけ
静養休日をもらう
静養中、脳腫瘍の検査、顎の検査実施
幸いにも顎は良性
歯を抜き腫瘍らしきものを取り終了。
脳腫瘍、
脊索腫との病名?
300万人に1人の病気?
5年生存確率数パーセント
すぐに名古屋第二日赤病院へ
うーん
手術してそれからのことは決めましょう
とのドクターの言葉
なんか、引っかかる
そんな中、私の病気で検索すると必ずヒットする
東大病院のドクター
職場のスタッフの後押しで
東大病院へ受診
自分ネットで調べ考えて、考えて
行った病院
良かった、思っていた通りのドクターでした。
東大病院いざ入院
不安でいっぱい
そんな中に手術の説明後、同室の方から
術後に使ってと体拭き等いただきました。
術、当日にも温かい声かけもいただきました。
手術後は、本当に辛く
生きていくのはこんなに大変なのか
息を吸うことすら大変
あたたかいナースさんたちに、支えられ
一般病室へ
そこには同じ脳腫瘍の患者ばかり
これから手術の人、検査で結果を待ってる人
手術後がん治療している人
みんな、同じ痛みを持っています。そんな方々からの温かい支えがあり
無事に退院が出来ました。
手術後、あの叱ってくれた友達が泣いて喜んでくれたこと。
また家族、友達、職場のスタッフに温かく
迎えてもらえたこと
私は本当に幸せでした。
今、こうして仕事にも復帰でき
また、友達と日本中追っかけして走れる
そんな幸せ噛みしめながら
2016年迎えました。
長々ブログ買い手しまったけど
自分の記録として残しておくたくて書きました、
