みえないはずのモノがみえると主張する扱いにくい子供だったのは確かです。


理解出来ない、みえないモノに善悪をつけるとしたら『 悪』の方が楽だったのでしょう。


中学生の頃に「あなただけが写っている写真をちょうだい」と言われ嬉しかったのを覚えています。流行っていた小説かドラマで愛してる家族の写真をこっそり隠し持つ内容があったのも嬉しい気持ちを後押ししたのかも知れません。好かれようと努力し出来ないのに出来ると無理をしていたのもこの頃です。兄弟のように愛されたかった最後の頃です。


嬉しそうに数枚差し出す私に「1枚でいいって言ったのに」とつぶやく母に違和感を覚えたのですが、自身も照臭い時不機嫌になるのでそんなものかと思いました。


時間の経過は覚えていませんが、写真を欲しがった理由を吐き捨てた母の顔は良く覚えています。


「やっぱりついてるって。悪魔悪霊」


みえる人にみてもらったら悪霊悪魔の子と言われたそうです。


数年後家出が出来て、十年後絶縁が出来て、数十年後2度目の絶縁が出来て、その悪魔悪霊と言われた力が自身や家族の生活を支える生業になると知らなかった頃の話です。


会いたいですね。その能力者。

悪魔悪霊と恐れた位大きな力は、私を救った。


自分を信じて

自分がみえるモノを信じて

良かったといつも感じます。


殺したい人がやっとひとり死にました。

あとひとり。