伊藤健太郎主演

「赤坂檜町テキサスハウス」

幕が降りて

早くも半月以上が経ってしまいました。

健太郎くん主演の舞台の大千穐楽、帰り道

空を見上げると まん丸お月様が(🌕満月)

「お疲れ様」と静かにその優しい光で、帰宅の道を照らしてくれました。


そんな2026年5月31日 

私には忘れられない日になりました。

半月以上経った今でも観劇の感激(てへぺろ)が覚めやらないのです。


「赤坂檜町テキサスハウス」の舞台は下北沢から始まりました。



下北沢は「背信者」以来です。

その「背信者」が上演された本多劇場より先にある「ザ・スズナリ」は1981年に開館した本多劇場に先駆けた、稽古場として開館。

下北沢の演劇の聖地を作り上げた席数120席ほどの小さな劇場。

そこで、

「赤坂檜町テキサスハウス」が上演されました。


1回目(5月13日)は健ラバさんが用意してくれた🎫で、前から3番目のド真ん中の席。

おおー😱かなり舞台と近い。

近すぎる‼️ 開演前からドキドキ💓 

ドキドキして作品の内容が入ってくるかしら?

と心配

健太郎くん登場!

どこの場面で 健太郎くんがでてくるのか!

それが初観劇の醍醐味でもあります。

隣の健友さん

小さく「あっ🩷」と叫んでいます。

その気持ちわかります。

声が出てしまうほどのオーラ✨✨✨✨✨❣️

こんなに近くで彼をみるのは、お渡し会の時だけ。

それも数十秒のお渡し会は恥ずかしくて見つめられない😂 でも舞台はたっぷり自分の意思で見つめられる🥰🥰


2回目(5月18日)今回の席は、前から4番目左端下手、下手端で止まり演技する健太郎くんのシーン。その横顔にライトが当たり、まるで彫刻像のよう。その瞳から一筋の涙、そして手の甲の血管まで手を伸ばせば触れそうな席でした。


3回目(5月18日)前から3番目、真ん中。

やはり、真ん中は全体が見やすい。今回でスズナリの舞台は最後。できれば、もう一度このスズナリで千秋楽を観たかった!というのが、本音です


そして、4回目(5月31日)

大阪 近鉄アート館 大千穐楽です。

この席も前から3番目のど真ん中 

FCから申込みしたからかな❓

全て神席でした。

この館は300席ほどあり

スズナリとは大分違う雰囲気の舞台。

観客も一般の方も多く観劇していました。

私の隣の席の方々は、脚本、演出の鄭義信さんの演出が「優しく、あたたかい舞台で大好き」と言う演劇鑑賞会のご年配のグループの方達でした。

そして2列ほど後ろの席に日焼けしたスポーツマン風の若者4、5人😊健太郎くんのサーフィン仲間の方々だったそうです。

なにしろ、スズナリもアート館もどの回も満席だったようです。


さぁ、舞台へ


よく通る声 遠くを見つめる目 何もかもが

透き通るような健太郎くんの立ち姿から あの古い小さな箱(スズナリ)の隅々に光を放っているかの様にみえました。

そのシーンが 和雄くん(歳をとった永六輔)との掛け合い。和雄くんが若かりし日の思い出を若い自分と語り合うシーンからはじまりました。

キラッキラの眼差しで遠くを見つめ、ちょっと幼い感じの声で六輔くんを演じる健太郎くん!これから華々しい活躍をする永六輔の未来に向かって

「乃木坂から六本木の交差点に行く道、海の匂いがするんだ!」と六輔と和雄くんが、目を瞑り匂いを嗅ぐシーン、そして「ぼく、テキサスハウスに行ってくるね」



このプロローグは私の一番のお気に入りのシーンになりました。


場面の転換

テキサスハウスの一部屋

ジャズシンガーの芦田左千夫さんの部屋

登場人物が集まる部屋 

我が物顔でみな出入りしている部屋

至る所に幼い時に私の家にあった物がたくさんある‼️なんか懐かしい❗️ 

サイドボード 魔法瓶 ステレオ レコード


六輔さん(健太郎くん)があんぱんの餡子だけを食べるシーンは

観客の笑いを誘います。回を重ねてどんどん、笑いをとる巧みさが増す健太郎くん。芦田さんが淹れてくれるインスタントコーヒーと餡子を交互に食べ

「合う、あう。おねがい

「合う、あうウインク」その言い回し

健太郎くん自身の言い方を感じます🥰

もぅ、かわいいんだから😍

日本で初めてのインスタントコーヒー。なんと森永が作っただなんて知らなかった!「へぇーそうだったんだ」という事が、劇中で何度もありました。


そして、次に登場したのは俳優の森山昇さん。

3匹の子豚ブーフーウーのオオカミの声を担当していた人😃

小さい時に観ていた人形劇。私が物心がついたかどうかの時期に観ていた3匹の子豚ブーフーウー!



おかあさんといっしょ の初代キャラクター達。私の時代から現在も続いている番組。ブーフーウーのアーカイブを観ていたら、六輔さんが演じたフーの動きがソックリ‼️六輔役の健太郎くんもこのアーカイブ映像を観てフーの動きを研究したのかも😃

そして、森山昇さんは在日朝鮮の人。いずれ北へ帰って行くのだけど、その役を大鶴佐助さんが演じています。この方、唐十郎さんの息子さん、そして健太郎くんの幻の舞台となった「両国花錦闘士」で共演予定だった。これでやっとご縁が繋がった。舞台俳優さんでとても魅力ある、実力者。あれだけの長いセリフを早口で発しても、きちんと聞き取れる。これぞ、舞台役者って感じ。彼はもう一役しています。大竹昌治さん、カメラマンの役です。見事に二役こなしていて、何回観ても観客を飽きさせない演技をしてくれます。毎回ほんとに、笑える、そして泣ける!

それに対等に演技をする健太郎くん、お見事でした。

それから、ベトナム戦争の脱走兵のジョージ。この時代、ベ平連🟰ベトナム戦争反戦反米の市民活動団体の活動が活発になり、政府の取り締まりもかなり厳しい時代。その脱走兵をめぐりドタバタ劇が始まります。在日朝鮮人で俳優の森山、ジャズシンガーの芦田、そして六輔。4人の持つ人生の背景が交錯し、言い争い!さもすれば重たい場面が、コミカルに笑いまでとり客席まで巻き込みます。この時に客席にある物が飛んでくるのです🤣

それが、コーヒー豆🫘🫘




毎回、これを拾うのが楽しみになりましたよ🤣

このドタバタのシーン、回を重ねると益々エスカレート‼️健太郎くん、ほんとに疲れた〜という😭😂表情で、これまた客席から😆笑いが😆🤭

健太郎くんの顔にもコーヒー豆🫘が撒かれ、その後箒で🧹お掃除シーンも毎回ありましたね🤭🤭芦田さんと六輔さんが一所懸命に掃除、すくった🫘を一番前に座っているお客様にプレゼント

羨ましい❣️

そうそう、何回も上演する舞台

アクシデントもあったそうで

私は残念ながら観ていない回でしたが

その掃除するシーンで

健太郎くんの🧹の柄が取れてしまったそうな🤭見たかったなぁ🤗


さてまたシーンが変わり

和雄くんのリビング

和雄くん(みのすけさん)の手の震え方がとっても自然。難病の役でもコミカルな表情で心の機微が伝わってくる演技のみのすけさん。役者さんって凄いな!って改めて思うのです。娘役の小川菜摘さんとの掛け合いが、私の心に切実に伝わるのです。三年前に亡くなった父の介護がまさによみがえり重なり、涙がじわじわと滲み流れました。うちの父ももう少しみのすけさん演じる和雄くんみたいなかわいい父であったらなぁ!とも思ったりしながら観ていました。



永六輔さんと父は同じ歳、娘さんも多分私と同年代、そしてそのお婿さんが俯瞰的に義理の父親を理解しつつ、好意的に介護をサポート。これも、私の旦那様と同じでした。因みにお婿さん役は芦田左千夫役の福井昌一さんが二役しています。

「わし、和雄くんにソックリと言われた。

 ざんねん‼️」と娘さんが言うんですが

     ざんねん‼️   

     には大笑いしてしまいました😆

私も父親似なんです。

ざんねん‼️ 女の子ってとかく、父親に似るらしいです😱でも、役としては、和雄くんは伊藤健太郎ですよ! 菜摘さん、残念ではありません🤗

羨ましいです🥰


そして、そんなテキサスハウスで戦後集まって語り合い、励ましあい、リスペクトしあってきた仲間達の別れの時が来ます。俳優の森山昇さん、北朝鮮へ帰る決心をします。六輔さんは幾度か止めます。

それでも、彼の決意は固く、北へ帰る時は六輔が作詞した「上を向いて歩こう」のレコードを持って帰ると言います。この曲を芦田さんと森山さんと六輔さん3人で、歌う場面がありますが、健太郎くん、大千穐楽では感極まり3人で歌う場面では早くも涙を堪えきれずに、2人にうなだれるように歌っていました。それを観た私も嗚咽しそうになりました😭



 「上を向いて歩こう」を歌った坂本九さんとも溝があった永六輔さん。久々に九さんに会って、今度食事をしよう!と約束をしたのちに彼は日航機の事故で、帰らぬ人になってしまいます。


「必ず、日朝、日韓がアジアの国として手を繋いで、文化交流する日がくるから!」と六輔さんは言っています。しかし、昭和30年代は日本の歌や本などは絶対朝鮮、韓国では歌ったり読んだりは出来なかった時代です。「そんな時代なんか来るはずがない」と森山は言って、日本を去って行きます。

六輔さんの親友でもあった森山昇さん。固く抱き合って別れます。六輔さんが「また、会えるよね。会おう!」それに対して昇さんは「夢で会えたらね」と答えます。そう、結局2人はこの後会うことはありませんでした。森山さんのその後の消息もわからないまま。

そして、大竹省二さんもこのハウスを去ります。



私は戦後生まれ、今まで戦争は歴史上の事として自分が生まれた時代よりずっと前の事のように思っていました。しかし、この舞台で実は私の生まれ時はまだ戦後をずっと引きずっている時代だった。決して遠い過去ではなく、近い過去だったんです。


時代に翻弄されながらも、懸命に新しい時代に柔軟に寄り添ってもこれだけは

「戦争反対」を叫び続ける!と六輔さんは言っています。

テキサスハウスで出会いと別れを繰り返して、新しいメディアの時代をつくり、高度成長期の日本へと突入していった永六輔さんたち。

そして、テキサスハウスの取り壊しが決まり

エピローグ

六輔さんが

「さようなら、テキサスハウス」

「さようなら、僕の青春」

和雄くんは

テキサスハウスに集う皆に夢で会えた事をうれしそうに話し

「ぼくは少しねむくなりました。お休み」

と言って、穏やかにその生涯を閉じました。



テキサスハウスがいつ取り壊されたか、正確な日付はわかりません。多分、昭和の後半らしいとか?先日、前のブログに記しましたが、スズナリの千秋楽の日、赤坂檜町に行ってきました。テキサスハウスを感じたくて!



でも、どうしても海の匂いを感じる事ができませんでした。やはり、テキサスハウスは遠い昔になってしまったのかしら🥲


六輔さん、テキサスハウスの記録を残してくれてほんとうにありがとうございました。

そして、崔洋一さん、鄭義信さん、こんなにも素敵な舞台を創りあげていただきありがとうございました。

まだまだ心に留めおきたい言葉があったのですが、思い出せません。できるなら、もう一度テキサスハウスのあの部屋の世界へ行ってみたいのです。


またいつかあの舞台が再演される事を願って

私も新しい時代を生きて行きます。


一部の写真は「赤坂檜町テキサスハウス」公式Xさんよりおかりしました。

あくまでも私の主観で、役者さんのセリフも記述した通りではないかもしれません。ご了承ください。