202310.16(月) 昼過ぎ。
都内より日差しが強く暑いですよ😵
やはり、関西より南だからね🥵
お好み村、喫茶店を出て、長い商店街アンケード、道幅も広いです。
平日10月16日月曜.昼下がり、人が多い。
大都会です。広島は!!
観光名所だから、旅行者もいらっしゃる。
地元の人かな軽装な主婦、会社員、学生も多い。
雨の日もなんでも買い物できますよ。
何てもあるよ。松山市の商店街は道幅は倍以上あるけど、人は少なかった2022年5月。
広島市内のアーケード、ドラッグストアに立ち寄ります。
ドラッグストアで買い物、大通りに並行して連なるアーケード商店街、日差しも避けられて良し。
数本、路地を越えて緑が遠くに見えますよ。
きれいな樹木、森、平和市民公園ですね。
アーケード商店街から表に出ました。
公園に渡る川です。
あれが原爆ドームですね。
平和の像にも、なんだか心を打たれます。
平和記念公園は、きれいな公園。
常に清掃してくれる業者の方、ありがたい。
あらゆる場所にモニュメントあり。
原爆を投下された唯一の被爆国,日本
そして広島、長崎、忘れてはいけませんね。
自分が小学生時代に、78年前の爆心地から近くにいた5歳の少女だった40歳前半の英語の若かった先生、被爆した話をしました。
40歳前半で10歳くらいのお子さんを持つお母さんで英語の先生。
お子さんは自分より少し年上かな?
原爆投下時、すごい光と噴煙だったと聞いた記憶があります。
ピカ⭐️ドン、今まで経験したことのない朝8時15分頃、突然だった天変地異だったこの世とは思えない経験。
その被爆の話は自己紹介の時、あしてくださいました。
自分、アラフィフになって、この英語の教師の話、思い出しました。
実はこの7月、久しぶり、ついにアラフィフ60名くらいの同級生、25人くらいの出席しました。
欠席35人のうち2名はご逝去、33名は遠隔地居住や所用で欠席でした、その同窓会に出ました。
まだその英語の先生、地元近辺の学校で何校が勤務された後、自宅で過ごされていますが、若々しく見えました。
当時の面影どおり、若々しく恩師で元気でいらして、言葉もしっかり、びっくり‼️。83歳くらいでしょう、すごく元気づけられました。
原爆死没者慰霊碑へ来ました。
ここは、今年2023年5月19日。
広島サミットの際、戦没者へのG7首脳らが参集して献花した場所。
〜以下、広島サミットの画像〜
◯広島サミット記事・ゼレンスキー大統領来日、このサプライズは日本中がびっくりでした!!
2023年5月21日、ウクライナのゼレンスキー大統領が電撃来日。
原爆死没者慰霊碑への献花を行った。
広島の二の舞、ウクライナで起きてはなりません。
早く領土奪還、和平、世界協力対話、その道を探るべきです。
ウクライナ侵攻だけでなく、ハマスとイスラエルとの対立、ハマスは、対イスラエルではパレスチナ戦線とは別組織。
さらにイスラム聖戦という過激派もいて、ガザ地区の病院でロケット発射誤爆、500人近くの入院患者が新たに死亡。
ハマスとイスラエルの双方かなすりつけあい。
イスラエル2500人余の犠牲者、ガザ地区5000人余の犠牲者。
さらにパレスチナ、ハマスには背後にイラン中国、ロシア、北朝鮮らも。
イスラエルには、入植した西洋側、代表はアメリカが支援。
いろいろと宗教や入植問題、民族大陸、覇権主意と資本主義、垣根はなんとしても取り外されなければなりません。
「Глибоко вражений відвіданням Музею. Жодна держава світу не має пережити такий біль і руйнування. Ядерному шантажу не місце в сучасному світі.」
(注)和文仮訳:「(平和記念)資料館の訪問に深く感銘を受けた。世界中のどの国も、このような苦痛と破壊を経験することがあってはいけない。現代の世界に核による脅しの居場所はない。」
〜その2日前、2023年5月19日〜
地元広島で、岸田文雄内閣総理大臣夫妻で大イベント開催。
G7広島サミット出席のため広島市を訪問中のG7首脳夫妻を広島平和記念公園・でお出迎え。
マクロン・フランス共和国大統領
ジョセフ・バイデン米国大統領夫妻
ジャスティン・トルドー・カナダ首相
オラフ・ショルツ・ドイツ連邦共和国首相夫妻
ジョルジャ・メローニ・イタリア共和国首相
リシ・スナク英国首相夫妻
シャルル・ミシェル欧州理事会議長
ウァズラ・フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長夫妻
献花しました。
〜また、自分の画像に戻ります。〜
自分達の撮った画像です。
やはり、皆さま、来園していますね。
原爆死没者慰霊碑を振り返ると、人の行列。
建物は、広島平和記念公園の施設。
管理棟です。
混雑、行列ができて並びに参加できないほど。
それは広島平和記念資料館。1955年開館。
1945年8月6日午前8時15分、広島は世界で初めて原子爆弾の被害、被災を受けた。3日後には長崎にも原爆投下で、世界で唯一の被爆国で被爆国である日本。
核兵器廃絶と世界恒久平和のため、開館。
平和記念資料館は、被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集・展示するとともに、広島の被爆前後の歩みや核時代の状況などについて紹介している、
被爆者による被爆体験講話会などを実施するほか、平和学習のための資料の貸出しも行っている。
2023.10.16月曜日.平日なのに長蛇の列。
日差しも強く並ぶのもためらう暑さ。
諦めて原爆ドーム前まで戻りました。
橋手前のピアノカフェ。
記念公園、来園記念のお土産品売り場や軽食販売、冷房も効いていて日差し避けには最適です。
原爆ドームを見てから、友人達との待ち合わせ場所に行きます。
ドームの手前、鉄骨の基礎・柱のみ。
原爆ドーム、3度目ですが、過去は、出張の際、見たので、詳しくは見ておりません。
立派な楠木があります。
被爆を耐えて、生き延びているのでしょうか?
樹齢75年、それ以上でしょうね。
やはり1945年、昭和20年なんですね。
ここは
原爆ドームから程近い場所にあるお好み焼き屋。
人気店。
2時間弱平和記念公園に滞在しましたが16時過ぎても、並んでいます。
公園巡りした人が休憩、昼食、おやつにでも。
広い公園歩いたら、ちょうど休みたくなる場所。
そして広島の名物のお好み焼き屋、場所もベスト。
そこからすぐまた、アーケード商店街に入りすぐ。
友人との待ち合わせのシンボリックな大きなパン屋さん、奥の喫茶スペース。
友人が約束時間どおりに来て、久しぶりの面会。
「あらぁ、懐かしい、変わっていない。」
「いや、太ったわよ、そんなことないよ。」
「旦那さん、単身赴任中だよね。大丈夫www🤭」
「月1回,四国、今治市から帰ってくるけど、普段と変わらないよ。
上の娘も親離れ。下の息子も友達やゲームに夢中だから、旦那にはあまり関心もない。慣れたわよ。単身赴任。子供も大人になるね。」
「そうだよね。中学生から高校生になったら、もう親は学費の心配だけ。恋愛や友人関係、受験は自分の実力もわかっているし、学費だけ配慮してくれれば、、、、。」
などなど。
談笑、広島、東京、近郊での生活ぶりなど。
このパン屋の2階に上がり、喫茶店でコーヒータイム☕️。
しばらく話して自分は、元同僚の待つ居酒屋へ🏮
6時前に居ましたよ。同僚。
会社を早めに抜け出したみたい。
「こんなに頼んでどうするんだよ🤭」
「全部、食べますよ🤭、もちろん👊」
これ、食べちゃったけど、、、、、。
本数が選べる焼き鳥の皮焼き。
枝豆🫛も。
、
元同僚クン、アラフィフなのに、、、。
まだ,この串カツ、お代わりして、元気です、
勝てません。
もう後半になってから、ポテトフライはいらんよ。
飲んで食い散らかして、、、。
まあ、また、今度は東京で再会を約束して、90分で散会しました。
まあ、同僚とはいろいろと完璧なやらかした仲間同士です。
打ち上げで飲めば、ケンカや転倒したり、電車内に貴重品、財布は忘れたり、日常茶飯事でした。泣き笑いの日々でした。
彼は、若い時に夏場に異動、東京に来て,その冬本社で忘年会した時、若手幹事をさせられた。
宴もたけなわ、一升瓶で一気飲み、音頭で盛り上がる。
一次会て完全に出来上がり、二次会で直属の上司を殴りメガネは飛ばし壊して大乱闘に。
寒くて酔いも醒める午前0時過ぎに夜食。
もちろん、かなり散会して数名での〆ラーメン🍜
赤坂山王神社⛩️前の屋台ラーメン🍜を食べている時、歩道で寝込みました。
人が酔って泥酔すると、介抱する立場の自分は酔えないもんです。
なんとかタクシーに乗せて、おんぶして階段を上がり、鍵を探してアパート玄関に送り入れ、毛布をかけて、自分は自宅まで帰りました。
毎度のことでした。
ぞんな馬鹿話に盛り上がり、でも明日もあるので、再会を約束して飲み会は終了🍺。
同僚と別れて、広島市内アーケードを歩きながら、人も少ない22時前。
約20分で、宿泊ホテル着。
ホテルロビーでコーヒー☕️を飲み、客室へ。
2023.10.16(月)、なんとかお風呂にも入り、眠りました。
2023.10.17火曜日は、尾道市、因島です。
もう初日から🍁紅葉饅頭食べちゃいました。🤭
続く