🔶2. 放射性廃液で海岸を汚染

           2013年2月27日  中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター

 

第1部 : 核工場40年の「遺産」―英国セラフィールド

 

1960年代 急速に汚染進む


 1957年の大火災で 2つの原子炉が閉鎖されたセラフィールドでは、すでに 1952年から

ウランとプルトニウムを分離する再処理工場が稼働していた。

また 事故の1年前には「メーターで測れないほど安い電気代」というふれ込みで、世界初の発電用

原子炉が完成し、電力を供給しながら、その使用済み燃料からプルトニウムを取り出す技術体系も

確立した。

 「 あのころからですよ、アイリッシュ海の放射能汚染が進み始めたのは 」。

小柄なジーン・マクソブリさん(31)は、机に資料を広げて説明を始めた。彼女は、カンブリア地方

の放射能汚染を監視する市民グループ「CORE(コア)」のメンバーである。

 コアの事務所は セラフィールドから南へ50キロほど行ったバローインファーネス市にあり、

市民たちによる環境監視活動は、すでに 10年に及んでいる。
                              
       ※ セラフィールドの位置(地図)
 「 アイリッシュ海の汚染は 1960年代に入って急速に進んだのよ 」とマクソブリさんは言った。

特に、大型の核燃料再処理工場が完成した1964年以降、大量の放射性廃液が 2.5kmの

パイプラインを通して海へ捨てられた。増産体制に入った 1970年代には、1日1千万リットル

の廃液がたれ流しにされ、汚染は ピークに達する。

 「 廃液には、プルトニウムやセシウムなど 30種以上の放射性物質が含まれていたの。

    半減期2万4千年のプルトニウム239 や、400年余りのアメリシウム241 などアルファ線

    を放出する物質で汚染されているのが ここの特徴よ 」。

 

マクソブリさんは 分かりやすく説明を続けた。

 アルファ線は、薄い紙でも十分遮ることができる。しかし、いったん体内に入ると、ガンマ線

やベータ線より、影響は はるかに大きく深刻である。それほどひどい放射能汚染があったにも

かかわらず、周辺住民の間では ほとんど問題にされなかった。不安が広がり始めたのは1976年

だった。
 

周辺国が 閉鎖要求


 「 きっかけはね、外国からの使用済み核燃料の再処理計画が持ち上がってからよ。日本も

    その中に入っていたわ 」。

 

  マクソブリさんらは反対運動を進める中で、独自の環境調査に取りかかった。データが集まる

につれて、アイリッシュ海の汚染の深刻さが、1つひとつ 明らかになって行った。

 プランクトン、貝、魚など魚介類の汚染には、近隣諸国も 神経をとがらせた。

アイルランド政府は 1980年、セラフィールドの閉鎖を要求し、1985年には、欧州議会

「即時閉鎖」の動議も提出された。しかし、前者は 無視され、後者は 英国政府の強硬な反対で

可決に至らなかった

 マクソブリさんが 1枚のグラフを見せてくれた。

それは、英国環境省が5年前、カンブリア地方沿岸部で、家庭用掃除機のほこりの中から検出した

プルトニウム239、240、アメリシウム241の最高値を、オックスフォード市のそれと比較したもの

である。

 12カ所の測定地点の中で、棒グラフが極端に伸びている地点があった。セラフィールドの

南 10キロのレイベングラス村である。ここでは、オックスフォードに比べ プルトニウムが500倍、

アメリシウムが 2万6千倍を記録している。

 「 レイベングラスはね、湾になっていて、沖から泥や砂が潮流に乗って堆積するの。

    潮が引くと、汚染された砂が 風に乗って家の中に飛んでくるわけ 」

 その話を聞いて、私たちは 後日、マクソブリさんが教えてくれた その海岸を歩いてみた。

そこは、20年前まで 2万羽を超す水鳥が群れていたという野鳥保護区だ。あたりは 彼女の話が

まるでうそのように静まり返り、広大な干潟の上を 時折 カモメが舞った。

 

 

🔶 英の放射能海洋汚染半世紀…健康被害なくても拭えぬ不信

                     2011年4月3日  朝日

 放射性物質の流出として 過去最悪とされる海洋汚染は、1960年代から70年代にかけて

英国の核燃料再処理工場から起きた。周辺漁場で取れる海産物に 今、基準を超える汚染は見られない。だが、廃液は 今も 海に流され続け、住民や周辺諸国は 不信をぬぐえずにいる。

 

 白いカモメの群れが 高い煙突をかすめて飛ぶ。英北西部のセラフィールド。絵本「ピーターラビット」

の故郷として 観光人気の高い湖水地方から 西へ約40キロ、アイリッシュ海に面した敷地に、

再処理施設がたち並ぶ。

 1950年代前半には、軍事目的で 再処理が実施されていた。以来 半世紀、再処理に伴い、

放射性物質を含む廃液を海に流し続けてきた。濃度は 70年代がピーク。その後は 処理技術が向上

したため、近年は 100分の1以下になっている。

 

 海洋汚染が発覚した 80年代以降、付近の海岸は 一時立ち入り禁止になっていた。放射性を

帯びた溶液漏れ事故も しばしば起き、運営会社による事故隠しも浮上。批判が高まった。

 そのつど 英政府は「 健康に影響はない 」と説明したが、アイリッシュ海がつながる北海に面した

ノルウェーアイスランドは 海産物の汚染を心配し 操業停止を求めている。特に 対岸のアイルランド

は 毎年、魚介類などの放射能を測り、漁民の健康調査をしている。

 これまで、健康への影響は立証されていない。だが、ノルウェーのソールハイム環境担当相は

「 セラフィールドで爆発や火災が起きたら、わが国の環境は チェルノブイリ原発事故の7倍の影響

を受けるだろう 」と国民の不安を代弁する。

 

 沿岸は エビやタラ、カレイの宝庫。「 廃液は 海で拡散するから、大丈夫だ 」と英国漁業者連盟

の北西地区議長ロン・グレアムさん(66)は請け合う。

それでも 実際の汚染とは別に、風評被害が起きた。英国名物フィッシュ・アンド・チップス(魚

ジャガイモのフライ)の店が「 アイリッシュ海の魚は使いません 」と張り紙を出したこともあった

という。

 グレアムさんは、福島原発事故の影響で「 日本の漁師たちが、風評被害を受けないか、心配だ 」

と顔をくもらせた。

 

 セラフィールドでは 1万人が働く。原子力は、他にさしたる産業のない地域の大黒柱といえる。

地元で 表だって 批判を唱える人は わずかしかいない。

 だが、この地方の公衆衛生を統括するジョン・アシュトン博士は「 住民の胸には 不安感が

よどんでいる。そのいくばくかは 原子力産業の秘密体質に由来する 」と語る。

セラフィールドの環境団体COREの代表マーティン・フォーウッドさん(70)は「 微量とはいえ、

汚染魚を食べ続けたら、将来どうなるかわからない 」と話した。(セラフィールド=橋本聡)

 

■魚介類、健康心配ない水準に

 セラフィールド再処理工場から、最も高い濃度の放射性物質が 海に排出されていたのは、

1970年代だった。英スコットランド政府の報告書などによると、濃度が高いところでは、

セシウム137で 海水1リットル当たり12 ㏃以上の地点もあった。80年代以降は、放射性物質

の排出は大きく減り、2007年には 0.2 ㏃ に下がった。

 福島第一原発事故の影響では、3月30日に原発から30キロ沖合の地点でセシウム137が

1リットル当たり8.5 ㏃ を記録した。これは、70年代のセラフィールドの値に迫り、現在の

42倍の濃度になっている。

 

 セラフィールド近海では 現在、「フィッシュ・アンド・チップス」の材料になるタラから、

1キロ当たり10㏃ のセシウム137が検出されている。他の魚類や貝類、甲殻類、海藻からも

1キロ当たり約1~8 ㏃ 検出され、セシウム以外の放射性物質も複数、検出されている。

日本の魚や肉の基準は 1キロ当たり 500 ㏃ だ。

 

 英環境省などによると、セラフィールドの漁師らが 近海の魚介類を口にすることで受ける被曝線量

は、1970年代中頃には 年約3ミリシーベルトに達し、80年代前半まで1ミリシーベルトを超えて

いた。最近は 約0.16ミリシーベルト程度で、健康への影響は心配ないレベルだという。

 

 

🔶破綻したイギリスの核燃料サイクル ―セラフィールド再処理工場の終焉

  と六ヶ所再処理工場の行方

      2022/04/04   New Diplomacy Initiative(新外交イニシアティブ)

  1970年代、イギリスは核燃料サイクル政策を掲げ、商業用の大型再処理工場・THORP

(酸化ウラン燃料再処理工場)の新設計画に乗り出した。すでに 同国内では軍民両用の再処理工場が

稼働していたが、新しい工場が計画されたのは、日本やドイツなど 自国の再処理能力が不十分だった

国々の使用済み核燃料を引き受ける「再処理ビジネス」が狙いだった。

    しかし、THORPは 高額な再処理代金などのため顧客を失っていき、収益が見込まれなくなった

ことから、2018年に操業を終えた。かつては イギリスを含む多くの国々が、使用済み核燃料を

再処理して取り出したプルトニウムを繰り返し利用する「核燃料サイクル」路線を政策としていたが、

再処理に伴う 財政リスクが露わとなり、ほとんどの国が その路線から撤退した。

    一方、日本政府は 依然として プルトニウム利用計画を推進し、電力会社に再処理事業を貫徹

させるための拠出金を課すなど、世界の潮流に逆行している。

・・・

「ジャパン・プラント」の所以(ゆえん)とアメリカの圧力

 これには 日本国内の事情も大きく関係していた。政府は 全量再処理の方針をとり、茨城県の

東海村に 再処理工場を設置したものの規模が小さく、日本の原発から出る すべての使用済み核燃料

を再処理する能力はなかった。さらに 核拡散を懸念するアメリカ政府の圧力により、東海再処理工場

はなかなか運転を開始できなかったのである。

そうした事情もあって、原発敷地内にある使用済み核燃料の冷却プールは貯蔵容量が逼迫していた。

 プールが満杯になってしまうと原子炉から使用済核燃料を取り出せず、新燃料を入れることが

できなくなり、発電を停止せざるを得なくなる。そこで、日本は イギリスとフランスに再処理を

委託し、使用済核燃料を両国に搬出することで、原発の運転停止を回避したのである。こうして

時間を稼ぎながら、その間に 国内に大型の再処理工場(青森県の六ヶ所再処理工場)を建設する算段

であった。

   日本の再処理計画に対するアメリカ政府の圧力背景には、1974年にインドが行った核実験があった。

アメリカも かつては核燃料サイクル政策を掲げていた。しかし、インドが核実験で使った核爆弾に

民生用研究炉の使用済み核燃料を再処理して抽出されたプルトニウムが使用されていたことから、

アメリカは 自国の方針を転換しただけでなく、核燃料サイクル政策を推進する他の国々にも再処理

からの撤退を迫ったのである。

   アメリカは 日本にも政策の見直しを要求し、英仏への再処理委託についても 難色を示した。

日米原子力協定の下、日本の原子力政策は アメリカの影響を強く受けるが、日本は粘り強く交渉し、

アメリカから再処理の承認を勝ち取ったのである。これは、日本が原発を停止することにでもなれば、

それらに 核燃料を供給していた米国原子力産業の利益が損なわれることも 一因したと言えよう。

・・・

 

セラフィールド核施設による放射能汚染

 再処理によってもたらされた放射能汚染の問題にも触れておきたい。

1963年から1990年の間、セラフィール核施設周辺では 小児白血病が多発していたことが確認されて

いる。その原因として、施設内にある核兵器用プルトニウム生産炉(すでに閉鎖)で1957年に発生

した火災事故がまき散らした放射能や、再処理工場から放出された放射能の影響、放射能汚染された

地元産の食べ物を摂取したことによる体内被ばく、各地から集まってきたセラフィールド核施設の

労働者が持ち込んだウィルスなど、様々な可能性が検討されてきた。

  しかし、いまだ因果関係は明らかになっておらず、調査・研究が続いている。

  再処理工場は 原子力発電所より ずっと多くの種類の放射能を大量に放出する。イギリスの場合、

かつて 政府が定めた放射性廃液の放出規制値が 極めて緩かったこともあり、セラフィールド再処理工場

から排出された放射能によって、アイリッシュ海から北海に及ぶ広い範囲が汚染された。

 アイルランド政府や北欧政府はイギリス政府に対し、「 排出ゼロ、ないし工場閉鎖 」を要求した

ほどだ。その後、規制値が強化されたこともあり、放出量は 大きく低減されたが、問題は長寿命の

放射能である。

   セラフィールド再処理工場から放出されたプルトニウムは、累計500キロ近くとされるが、それは

外海に拡散されず、アイリッシュ海に留まっているという。

実際、セラフィールド再処理工場周辺の海岸線では、プルトニウムが変化してできるアメリシウムが

検出されており、こうした長寿命の放射性物質による汚染は、今後、何世紀にもわたって人々の健康

を脅かすことになるであろう。

   イギリスの再処理に詳しい同国ジャーナリスト のポール・ブラウン氏は、セラフィールド再処理工場周辺

に残る 高レベル放射性廃液、中レベル および 低レベル放射性廃棄物を安全に処理するために、

ひとつの産業が必要だと指摘している。

セラフィールド再処理工場の場合、通常の運転で放出された放射能が多かったために周辺環境が

汚染されたが、六ヶ所再処理工場は そうはならないだろう、との見方もある。しかし 福島原発事故

がそうであるように、大事故が起きて 大量の放射能がまき散らされる可能性は否定できない。