「自治会の排他性が 地方の疲弊の原因」のつづき
2023.04.16 マネーポストWEB
新年度を迎え 地域コミュニティの活動が活発化するなか、全国各地の自治会(町内会)の運営が
曲がり角に立たされている。地域住民の脱会が増加、加入率の低下に歯止めがかからず、多くの
自治会が頭を抱えているのだ。
こうした現象が起きる背景には、地域住民が 自治会側のルール設定や運用に疑問を抱くケースが
少なくないということも 一因にありそうだ。
「 自治会非加入を理由にした ゴミ捨て場の利用禁止は違法 」──。
昨年10月、大阪高裁で こんな判決が下された。神戸市の住宅街に住む夫妻が起こした訴訟で、
司法は 1審(神戸地裁)に続き 自治会側の違法性を認めた。
この自治会では、住民に 年会費3600円の負担と掃除当番の協力を求めるなどし、応じない住民の
ゴミ捨て場利用を禁止するルールを設けていた。今後、最高裁で争われることになるが、同様の
ケースで 自治会と住民に軋轢が生じるケースは 少なくないという。
東北地方のある都市に住む男性(43)が言う。
「 わが家も似たような問題に直面しました。うちは 町会費を払っていますが、夫婦ともに不規則な
仕事をしているので、集積所の定期清掃は お断わりしてきました。すると 町会役員から
『このままだと、今後のゴミ処理は 自分の責任でお願いすることになる』と圧力をかけられた。
市役所に相談するも『個別のゴミ収集はできない。町会と折り合いをつけるか、ご自身でゴミ処理場
までお持ちいただくしかない』と言われてしまい…… 」
男性は 町会長に直談判。他の町会活動に積極参加する条件で話は成立したが、釈然としない様子だ。
5年前、愛知県から石川県の新興住宅街に転居した女性(36)も こう打ち明ける。
「 ご近所さんも 転居組の若いご家族が多く、当初は 土地に溶け込もうと みんなで町会に加入して
いました。ところが『できる範囲で構わない』という約束は反故にされ、土日となれば 各種行事や
会合に呼び出される。輪番制の町会費集金など 雑務も しんどいので、同じエリアの住民と相談して
町会を抜けることに。すると『 町会員を辞めるなら、お宅らの一角に設置した防犯カメラや防犯灯
は運用停止しますね』と言われました。まるで脅迫ですよ 」
こうした事例は レアケースかもしれないが、“自治会離れ”が 各地で見られるという現実があり、
朝日新聞が一面で〈自治会活動、曲がり角 加入率低下、役員高齢化 解散も〉(4月9日付)と
報じるなど注目を集めている。
大規模マンションが 集団で町会を脱会
だが、自治会側にも 運営に非協力的な住民に対しての言い分はある。東京23区内で10数年に
わたり自治会長を務める男性(72)が語る。
「 ライフスタイルや意識の変化により、町会活動を『うっとうしい』と感じるのは理解できる。
ただ、活動には いっさい協力しないが権利は主張する、というスタンスはいかがなものか 」
この町会では、お祭りや地域の運動会、防災訓練、防犯パトロールなど、行政だけではフォロー
できない活動をサポートしており、「地域住民の理解と協力なしで活動の継続は不可能」と訴える。
「 町会活動には 人員と資金が必要。よく『町会費の使途が不明』『(町会)役員の飲み代に
消えている』などと言われるが、町会報に記載された決算報告などを見れば 使途は明らか。
基本的には 町会役員が手弁当で活動している」(同前)
古くから地域で暮らす住民には 一定の理解を得ているものの、新たに居を構える人たちへの理解
を求めるのは容易ではないと、この自治会長は続ける。
「 10数年前に建った100戸を超える分譲マンションでは 一昨年、新たに理事長になった弁護士が
町会参加に異を唱え、集団で 町会を脱退する事態になりました。もちろん個人での加入はできますが、
あえて 町会に参加する人は少ない。この事例は 周辺にも伝わり、マンション1棟単位での町会脱会が
相次ぎました 」
そもそも 自治会は任意団体であり、住民が加入を強制されるものではない。あくまで 行政の補助
を担う「ボランティア」活動で、運営は 住民から集めた自治会費と行政からの補助金で賄われている。
慢性的な予算、人手不足に悩む行政活動を「地域のみんなでサポートしましょう」というのが 本来の
趣旨だ。
町会に参加しない道を選ぶ地域住民が増えているのも 悩ましい問題だが、自治会にとっては
「モンスター化する町会員」も厄介なのだという。
「 活動には 参加しないが、町会費は払うという人が、意外と厄介なんです。会費を払っている
のだからと、『迷子になった愛犬を防犯パトロール時に探してほしい』『台風で雨漏りしたから
屋根の様子を見てほしい』などと、町会を“便利屋”のように使う人が増えてきました 」(同前)
遠い親戚より近くの他人──との言葉もある。互いに先入観を捨て、同じコミュニティに住む人
として、「適度な付き合い方」を模索する時期に来ているのかもしれない。