米国が震撼「銀行パニック」が恐ろしい深淵理由 

一流経済学者が教える、1913年FRB創設の裏側

 ジョージ・A・アカロフ ロバート・J・シラー : ノーベル賞受賞経済学者
           2023/03/17      東洋経済オンライン
 
1907年の銀行パニック

 19世紀を通じ、定期的に銀行パニックが生じた。預金者たちは 文字どおり銀行に長蛇の列を

なし、自分より先に並んだ人々が 銀行の最後の一銭を引き出して 銀行がすっからかんになって

しまうのでは とびくびくしていた。

   こうした取り付け騒ぎは 伝染した。一つの銀行が不渡りを出したという知らせが流れると、

他の銀行でも 預金者たちは行列を作った。危機の前には 何の問題もなかった銀行にさえ、預金者が

殺到したら苦労することになる。

預金者全員がおびえて 預金を引き出そうとしたら、その要求すべてに応えられるだけの現金はない

かもしれない。

 

    世間にしてみれば、1907年の銀行パニックで 堪忍袋の緒が切れた。またもや同じことの繰り返し

ではないか! 1907年に ニューヨークのニッカーボッカー信託銀行が通貨支払いを停止したことで、

金融危機は 手に負えなくなったように見えた。

 

そこから取り付け騒ぎが広がった。

 

   ニューヨーク以外にある国内銀行は、ニッカーボッカー信託銀行を含むニューヨークの大銀行に

預金を持っていて、かれらは 自行の預金者が通貨を要求してきたら、そうした預金を使おうとあて

にしていたのだった。

ニッカーボッカー信託銀行が支払い停止になると、あらゆる銀行で取り付け騒ぎが起きた。国内銀行

では 預金者が長蛇の列をなし、ニューヨークでは そうした国内銀行が 自行の預金を現金化しよう

していた。おかげで生じた商業の混乱は、国の経済生産を激減させた。1907年から1908年にかけて、実質産出量は 11%も減った。

 

    ロードアイランド州代表の有力な共和党上院議員で、ジョン・D・ロックフェラー・ジュニアの

義父である ネルソン・アルドリッチは、全米金融委員会の議長に任命された。

彼は 2年近く ヨーロッパに行って、中央銀行制度を勉強してきた。戻ってくるとアルドリッチは、

ニューヨークの主要銀行家4人と、ジョージア州沿岸のジキル島クラブに 1週間極秘でこもった。

    そこで 一同は、ある程度の改訂を経てだが、連邦準備制度の基盤となる計画を生み出した。

これは 預金から通貨への逃避問題(取り付け騒ぎ)を解消するよう設計されていた。

 

不足していたのは、通貨でなく、安心

   FRBは、信用を提供する力を与えられ(そのための割引窓口だ)、また 一時的に、特に パニック時

に 現金が必要な銀行に対しては、現金を提供できることになった。FRBが 1913年に創設されたとき、

この「柔軟な通貨」の提供は 大きなイノベーションだと考えられていた。

この最後の貸し手は、他のだれも信用を供与しないときに、信用を供与する役目を持つのだ。

   柔軟な通貨を FRB経由で提供することの本来の動機は、安心とその反対のパニックに対処するため

だったというのに注目。

 

   こうした問題は、1907年のパニック以降、金融改革の提案との関連で よく議論されていた。

実際、マサチューセッツ州の上院議員ヘンリー・カボット・ロッジは、パニック直後の1908年に

上院の議場で発言したとき、こう指摘している。

 

  「 パニックの最中に不足していたのは 通貨ではなく、安心であったが、こうした場合には

   いつもそうなのだ

 

    1911年、ネルソン・アルドリッチが 中央銀行型のアメリカ国家機関設立を主張し続けているとき、

『ワシントン・ポスト』の社説は 状況をこうまとめた。

 

  「 まずは 何らかの中央機関が必要である。それにより、来る危機は、結集した力を持って対峙

   されて追い払われるであろう――あらゆる銀行やあらゆる金庫が 自分だけを守ろうとあわて

   ふためき、パニックを広めたり 強化したりするのではだめだ。

      1907年には これが起きた。人々を落胆させたのは まさに、銀行同士が お互いについて安心

   できなかったということなのである

 

    連邦準備制度が実際に導入されたのは ―― 何年も議論が続いた末のことだったが ―― 別の

パニックがやってきそうだったからだ。ヴァージニア州代表の下院議員カーター・グラスは、

1913年初期に こう宣言した。

 

   「 無視してはならない症状があらわれている。(中略)緊急性のあるパニックなのだから、

    対応を強制されるところまで 手をこまねいているのは 愚の骨頂である 」。

 

   パニックということばは、明らかに重い心理学的恐怖を伴うものだ。連邦公開市場委員会(FOMC)

は、金融危機において審議するとき 本能的に これを理解している。FRBは創設時から、安心が崩壊

しつつあるときに 決然と行動する機関だと見なされてきたのだ。

 

それでも 危機は繰り返される

   FRBと その後のFDIC(連邦預金保険公社)は、銀行パニックを引き起こしかねない流動性問題

の巧妙な解決策だった。

実際、かなりの期間にわたり、銀行パニックや流動性危機は 過去のものになったように思われ

それが あまりに顕著で ほとんどの経済学者は、それが解決済みの問題だと思っていた

 

   ところが 2008年9月15日、リーマン・ブラザーズが倒産した。FRBと政府は、経済に介入する

新しい方式を開始した。もはや FRBと財務省の力で一つの機関を救うという話、つまり 最初の

ドミノが倒れるのを防ぐ という話ではなくなった。世界中の中央銀行や政府が自国経済と、そして 

もっと広く世界経済を救おうとしていたのだ

 

  われわれのアニマルスピリット観、そして 本書における中央銀行の力の議論(特に危機時の話)は、

なぜ そうした危機が起きたかという解釈の柱となっている。