荀子 大略篇第二十七 (15) 

 

 

子貢が 孔子に言った、
子貢「 賜(ソレガシ)は、学問をすることに疲れました。主君に宮仕えして、一息つきたいです。」
孔子「 『詩経』に、こうあるではないか。:

 

朝(アシタ)も夕も、温和に恭(ツツシ)み
ひたすら政事に、恪(ツツシ)まん
(商頌、那より)

朝廷は、朝も夕も精勤しなければならない。主君に仕えることは、難しいことである。主君に

仕えたとて、なんで一息つけるだろうか? 」
子貢「 ならば、それがしは 親に仕えて、一息つきたいです。 」
孔子「 『詩経』に、こうあるではないか。 :

孝子は、匱(トボ)しからず。
そなたに、永く 福授けん。
(大雅、既酔より)

孝子は、親に いつも気前よく仕えなければならない。親に仕えることは、難しいことである。

親に仕えたとて、なんで 一息つけるだろうか? 」
子貢「 ならば、それがしは 妻子のそばで、一息つきたいです。 」
孔子「 『詩経』に、こうあるではないか。 :

わが妻に、掟を示し
その掟、兄弟に及ぼし
かくして 家御(オサ)め、邦(クニ) 御(オサ)めん
(大雅、思斉より)

夫は、家庭を苦労して治めなければならない。妻子と共に暮らすことは、難しいことである。

妻子と共にあったとて、なんで 一息つけるだろうか? 」
子貢「 ならば、それがしは 朋友とともに、一息つきたいです。 」
孔子「 『詩経』に、こうあるではないか。 :

朋友、我を攝(タス)く
攝くるに、威儀を以てす
(大雅、既酔より)

朋友どうしは、厳しく助け合わなければならない。朋友とともにあることは、難しいことである。

朋友と共にあったとて、なんで 一息つけるだろうか? 」
子貢「 ならば、それがしは 田畑でも耕して、一息つきたいです。 」
孔子「 『詩経』に、こうあるではないか。 :

おまえは 昼には茅(チガヤ)刈れ、
おまえは 夜には縄をなえ、
さっさと屋根を葺きかえんかい、
それが終わったら、また 種を播け。
(豳風、七月より)

農夫は、辛い勤労の連続なのだ。 田畑を耕すことは、難しいことである。

田畑を耕したとて、なんで 一息つけるだろうか? 」
子貢「 では、それがしは どこで一息つけるのでしょうか? 」
孔子「 あの丘を見るがよい。高々と作られて、土がかぶせられて、鬲(レキ。煮炊きの器)を逆さ

にしたように 丸く盛り上がっている。 あれが、一息つけるところなのだ。 」
子貢「 ああ、、あの墓に入ることこそが、休息の場所というわけですか! なんと、死は 大いなる

ことでしょうか!君子は そこでようやく 休息できて、小人もまた 同じく そこで休息するのだ!」

 

 

 

  子貢 孔子に問うて曰く、賜は學に倦めり、願わくは君に事(ツカ)うるに息(イコ)わん、と。

  孔子の曰く、詩に云う、溫恭にして朝夕(チョウセキ)、事を執るに恪(ツツシ)むこと有り、と。

   君に事うること難し、君に事うるも 焉(イズク)んぞ 息う可けんや、と。

   然らば 則ち、賜 願わくは 親に事うるに息わん、と。

  孔子の曰く、詩に云う、孝子 匱(トボ)しからず、永く 爾(ナンジ)に類を錫(タマ)う、と。

   親に事うること難し、親に事うるも 焉んぞ息う可けんや、と。

   然らば 則ち 賜 願わくは 妻子に息わん、と。

  孔子の曰く、詩に云う、寡妻に刑(ノット)り、兄弟に至り、以て家邦を御(オサ)む、と。

   妻子 難し、妻子 焉んぞ息う可けんや、と。

   然らば 則ち 賜 願わくは 朋友に息わん、と。

  孔子の曰く、詩に云う、朋友の攝(セツ)する所、攝するに 威儀を以てす、と。

   朋友 難し、朋友 焉んぞ息う可けんや、と。

   然らば 則ち 賜 願わくは 耕に息わん、と。

  孔子の曰く、詩に云う、晝(ヒル)は 爾(ナンジ) 于(ユ)きて 茅(チガヤ)かれ、宵は 爾索(ナワ)を

   綯(ナ)え、亟(スミヤカ)に 其れ 屋に乘(ノボ)れ、其れ 始めて 百穀を播(マ)け、と。

   耕 難し、耕 焉んぞ息う可けんや、と。

   然らば 則ち 賜は 息うべき者無きか、と。

  孔子の曰く、其の壙(コウ)(注1)を望めば、皋如(コウジョ)たり、嵮如(テンジョ)たり、

   鬲如(レキジョ)たり(注2)、此れ 則ち 息う所を知らん、と。

  子貢曰く、大なる哉 死や。君子は 焉(ココ)に息い、小人は 焉(ココ)に休む、と。

 

     (注1) 楊注は、壙は丘壠なり、と言う。ここでは、墓の丘のこと。
     (注2) 集解の郝懿行は、「 皋は なお高きがごときなり。嵮は 即ち顛字。鬲は 鼎の属なり。此れ皆 丘壠の

       形状を言う 」と言う。皋如は 丘の高い様子、嵮如は 顛如のことであって 丘に土が蔽いかぶさっている

               様子、鬲如は 鬲(れき。煮炊きする釜)を伏せた形のように丸く盛り上がっている様子のこと。