黄泉比良坂
古事記 黄泉国
・・・
次に 火之夜芸速男、またの名は 火之炫毘古といい、またの名は 火之迦具土という。
この子を生んだために、伊邪那美は、陰部が焼けて病の床に伏した。
その時の嘔吐物から現れた神は 金山毘古 と 金山毘売 である。
次に糞から現れた神が、波邇夜須毘古 と 波邇夜須毘売である。
次に尿から現れた神が、弥都波能売 と 和久産巣日である。
この和久産巣日の子が、豊宇気毘売という。
そして 伊邪那美は、火の神を生んだことが原因で、遂にお亡くなりになった。
・・・
火の神 迦具土神(カグツチ)
伊邪那岐 は、
「 愛しい私の妻を、ただ一人の子に代えるとは思いもよらなかった 」
と言って、女神の枕もとに這い臥し、足もとに這い臥して 泣き悲しんだ。
その時、その涙から現れた神は、香具山の 麓の丘の上にある木の下にいる。
その神の名は泣沢女 という。
そして、お亡くなりになった伊邪那美は、出雲国と伯耆国との境にある比婆の山
に葬り申しあげた。
そこで 伊邪那岐は、腰に佩いていた十拳剣を抜いて、迦具土の首を斬った。
すると、その剣の切先についた血が、神聖な岩の群れに飛び散って 神が生まれた。
石折と根折、そして石筒之男の三神である。
次に、剣の刃本についた血も、神聖な岩の群れに飛び散って神が生まれた。
甕速日、 次に樋速日 、次に武御雷之男で、
この神のまたの名は、建布都といい、豊布都ともいう。
・・・
以上の石折から闇御津羽まで合わせて八神は、剣によって生まれた神である。
また、殺された迦具土の頭に生まれた神は 正鹿山津見で、胸に生まれた神は 淤縢山津見
、腹に生まれた神は 奥山津見、陰部に生まれた神は 闇山津見である。
次に、左の手に生まれた神は志芸山津見、右の手に生まれた神は 羽山津見、
左の足に生まれた神は 原山津見、右の足に生まれた神は戸山津見である。
正鹿山津見から戸山津見まで、合わせて八神。
そして、伊邪那岐が使った太刀の名は、天之尾羽張といい、またの名を伊都之尾羽張という。
黄泉の国
伊邪那岐 は、妻であった伊邪那美 にもう一度会いたいと思い、あとを追って 黄泉国 に行った。
伊邪那美 が 御殿の閉ざされた戸に現れた時、伊邪那岐 が言った。
「 愛しい我が妻よ、私とあなたとで作った国は、まだ作り終わってなどいない。だから、
現世に戻ってきてくれ 」
すると、伊邪那美 が答えた。
「 それは残念なことです。もっと早く来て下さればよかったのに。私はもう、黄泉国 の食物を食べて
しまったのです。けれども、愛しい我が夫が、わざわざ訪ねて下さったことは恐れいります。だから
帰りたいと思いますが、しばらく 黄泉国 の神と相談してみます。ですが、その間、私の姿を御覧に
なってはいけません 」
こう言って伊邪那美 は、その御殿の中に帰っていったが、その間がたいへん長くて、伊邪那岐 は
待ちきれなくなられた。 それで 伊邪那岐 は、左の御角髮 に挿していた神聖な爪櫛 の太い歯
を一本折り取って、これに 一つ火を灯し、御殿の中に入って御覧になると、
女神の身体には 蛆がたかり、ゴロゴロと鳴って、頭には大雷がおり、胸には火雷 がおり、
腹には黒雷 がおり、陰部には析雷 がおり、左手には若雷 がおり、右手には土雷
がおり、左足には鳴雷がおり、右足には伏雷 がおり、合わせて八種の雷神がいた。
これを見た伊邪那岐 は驚き、恐れて逃げて帰ろうとすると、伊邪那美 は、
「 私に よくも恥をかかせたな 」
と言って、ただちに 黄泉国 の醜女 を遣わして追いかけさせた。
そこで伊邪那岐は、髮に着けていた黒い鬘 を取って投げ捨てると、たちまち山ぶどうの実が生った。
これを醜女 たちが拾って食べている間に逃げのびた。
しかし、まだ醜女たちが追いかけて来たので、伊邪那岐 は 今度は右の御角髪に挿していた爪櫛
の歯を折り取って投げ捨てると、たちどころに 筍が生えた。それを醜女たちが抜いて食べている間
に、伊邪那岐は逃げのびた。
しかし その後、その八種の雷神に、千五百人もの大勢の黄泉国 の軍勢を従わせて追跡させた。
そこで伊邪那岐は、身に着けておられる十拳剣を抜いて、後ろ手に振りながら逃げて来られた。
なお追いかけてくるので、現世と黄泉国 との境の黄泉比良坂の麓にやって来たとき、伊邪那岐は、
そこに生っていた桃の実を三つを取って、待ちうけて 投げつけたところ、黄泉の軍勢は ことごとく
退散した。 そこで 伊邪那岐 は、その桃の実に向かって言った。
「 おまえが 私を助けたように、葦原中国に生きている あらゆる現世の人々が、つらい目に
逢って苦しみ悩んでいる時に助けてくれ 」
と言って、桃の実に意富加牟豆美命 という神名を与えられた。
最後には、女神である伊邪那美 自身が追いかけて来た。
そこで 伊邪那岐は、巨大な 千引の岩をその黄泉比良坂に引き据えて、その岩を間に挟んで
二神が向き合って、夫婦離別の言葉を交わした。
伊邪那美 が言う。
「 愛しい我が夫が こんなことをなさるなら、私はあなたの国の人々を、一日に千人締め殺す 」
すると 伊邪那岐 は、
「 愛しい我が妻よ、あなたがそうするなら、私は 一日に千五百の産屋を建てる 」
そんなわけで、一日に必ず 千人が死ぬ一方で、一日に必ず 千五百人が生まれるのである。
ここから、伊邪那美 を名付けて 黄泉津大神 という。
また、伊邪那岐に追いついたので、道敷大神 ともいう。
黄泉の坂を塞いだ岩は、道反之大神と名づけ、また 黄泉国の入り口を塞いでおられる
黄泉戸大神 ともいう。
そして、いわゆる 黄泉比良坂 は、今の出雲国にある伊賦夜坂 という坂である。
禊祓いと三貴子
このようなわけで、伊邪那岐 は、
「私は、なんと穢 らわしい、汚い国に行っていたことだろう。身体を清める禊 をしよう」
と言って、筑紫 の日向 の橘の小門の阿波岐原で、禊ぎ祓いをした。
まず投げ捨てた杖から生まれた神は、衝立船戸である。
次に投げ捨てた帯から道之長乳歯が生まれた。
次に投げ捨てた袋から時量師が生まれた。
次に投げ捨てた衣から和豆良比能宇斯能が生まれた。
次に投げ捨てた袴から道俣が生まれた。
次に投げ捨てた冠から飽咋之宇斯能が生まれた。
次に投げ捨てた左手の腕輪から奥疎が生まれた。
次に奥津那芸佐毘古、次に奥津甲斐弁羅が生まれた。
次に投げ捨てた右手の腕輪から辺疎、次に辺津那芸佐毘古、次に辺津甲斐弁羅が生まれた。
以上の衝立船戸から、辺津甲斐弁羅までの十二神は、身につけていた物を脱ぎ捨てることに
よって、誕生した神である。
伊邪那岐は、
「 上の瀬は流れが速い。下の瀬は流れが遅い 」
と言い、中流の瀬に沈み潜って、身の穢れを洗い清められた時に、八十禍津日、大禍津日
が生まれた。 この二神は、あの穢らわしい黄泉国に行ったとき、触れた穢れによって生まれた神である。
次に、その邪気を消そうとして生まれた神が神直毘、大直毘、伊豆能売である。
次に、水の底に潜って、身を洗い清められる時に底津綿津見、底筒之男が生まれた。
次に水の中程で洗い清められる時に中津綿津見、中筒之男が生まれた。
水の表面で洗い清められる時に上津綿津見、上筒之男が生まれた。
この三柱の綿津見の神は、安曇連らの祖先神として崇め祭っている神である。
そして、阿曇連らは、その綿津見の神の子の、宇都志日金析の子孫である。
また 底筒之男 、中筒之男、上筒之男の 三柱の神は、住吉神社に祭られている
三座の大神である。
そして さらに、左目を洗った時に誕生した神が、天照大御神である。
次に、右目を洗った時に誕生した神が、月読 命である。
次に、鼻を洗った時誕生した神が、須佐之男命である。
八十禍津日から、須佐之男までの十柱の神は、体を洗い清めることによって誕生した神である。
このとき、伊邪那岐はとても喜んで、
「私は子を次々に生んで、最後に三柱の貴い子を得た」
と命じて、ただちに首飾りの玉の緒を、ゆらゆらと揺り鳴らしながら、天照大御神にお授けに
なって言った、
「 あなたは高天原をお治めなさい 」
そして、その御首飾りの珠の名を御倉板挙之神という。
次に月読 命に向かって、
「 あなたは 夜の世界をお治めなさい 」
と命じた。
次に須佐之男に、
「 あなたは 海原をお治めなさい 」
と命じた。
於是 欲相見 其妹伊邪那美命 追往黃泉國。
爾自殿騰戶出向之時 伊邪那岐命語 詔之 愛我那邇妹命。
吾與汝 所作之國 未作竟 故可還。
爾 伊邪那美命 答白 悔哉 不速來 吾者爲 黃泉戶喫 然 愛我那勢命 〈那勢二字 以音下效此〉
入來坐之事 恐故 欲還 且與黃泉神相論 莫視我。
如此白而 還入 其殿内之間 甚久 難待。
故、刺左之御美豆良〈三字以音下效此〉、湯津津間櫛之男柱一箇取闕而
燭一火入見之時、宇士多加礼許呂呂岐弖、〈此十字以音〉
於頭者大雷居、於胸者火雷居、於腹者黒雷居、於陰者拆雷居、於左手者若雷居、
於右手者土雷居、於左足者鳴雷居、於右足者伏雷居、并八雷神成居。
於是伊邪那岐命、見畏而逃還之時、其妹伊邪那美命、言令見辱吾、
即遣 豫母都 志許賣〈此六字以音〉令追。
爾伊邪那岐命、取黒御縵投棄、乃生蒲子。
是拓食之間、逃行、猶追、亦刺其右御美豆良之湯津津間櫛引闕而投棄、乃生筍。
是抜食之間、逃行。 且後者、於其八雷神、副千五百之黄泉軍令追。
爾抜所御佩之十拳剣而、於後手布伎都都〈此四字以音〉逃来、猶追、
到黄泉比良坂之坂本時、取在其坂本桃子三箇待撃者、悉逃返也。
爾伊邪那岐命、告其桃子、汝如助吾、於葦原中国所有、宇都志伎〈此四字以音〉青人草之、
落苦瀬而患惚時、可助告、賜名号意富加牟豆美命〈自意至美以音〉。
最後其妹伊邪那美命、身自追来焉。
爾千引石 引塞 其黄泉比良坂、其石置中、各対立而、度事戸之時、
伊邪那美命言、愛我那勢命、為如此者、汝国之人草、一日絞殺千頭。
爾 伊邪那岐命詔 愛我那邇妹命。汝爲然者 吾一日立千五百產屋
是以 一日必千人死、一日必千五百人生也。
故、号伊邪那美命 謂 黄泉津大神。 亦云、以其追斯伎斯 〈此三字以音〉而、号道敷大神。
亦 所塞其黄泉坂之石者、号道反之大神、亦謂 塞坐黄泉戸大神。
故、其所謂黄泉比良坂者、今謂 出雲国之伊賦夜坂也。